「なまえー、アイチ君があんたの荷物持って来てくれたわよー」
世間ではあちこちで終業式が行われ丁度下校しているであろうという時、私は自宅で分厚いファンタジーを読んでいた。階下から聞こえる声に本を閉じ、部屋着のポケットに手を突っ込んで階段を下りる。
「こっちこっち」
お母さんがリビングから顔を出して手招きしている。いつもは玄関までなのに、引き止めて家に上げたのか。
「一週間ぶりだね、なまえ。夏風邪ひいたりとかしてなかった?」
相変わらず男性ホルモンの分泌されてなさそうな愛らしい顔と声だ。んー、とどっちつかずな返事をして(毎日だるいのだからどうとも言えないのだ)、お母さんから出されたのであろう麦茶のコップを両手で握っているアイチの正面に腰掛ける。
簡単に言うと私は不登校というやつだ。どれくらいくらい前からだったかはよく覚えてないけど、三年になってすぐまでは元気に登校していた。だからこそ引き出しやサイドのフック、ロッカーに置きっ放しになっていた荷物もあるわけだ。アイチが持って来てくれた荷物の中には、歯磨きセットや絵の具も紛れている。こうやってこの幼馴染みが荷物を届けに来るのは初めてではない。日々の連絡プリントや宿題は一週間の内に一回は手渡ししてくれたし、そうでない日は郵便受けに入っていた。何とも律儀で優しくて、よくできたやつである。
「なまえ、夏休みくらいせめて家の外には出てみようよ。行きたいところとかない?」
「ない」
「ええぇ…じゃあ学校でやってる勉強会に連れて行っちゃうよ?」
「そんなんやってるんだね」
「そんなんって、僕たち一応受験生なんだから」
苦笑いをしながら肩を竦めるアイチ。肩幅も狭いなあ。仕草とかもいちいち可愛いし。そのうちどっかのエロ親父に捕まりやしないかと、わりと本気で心配だ。
「アイチ君、お昼食べてくー?」
「えっ、そ、そんなの悪いですよ!」
「ていうかもう作っちゃったから食べてって」
「う…じゃあ、いただきます」
押しに弱いのも昔から変わらない。いい子過ぎるんだ、こいつは。詐欺の格好の餌になるようなタイプである。…本当にアイチの将来が心配になってきた。母性本能くすぐられまくりだ。
「ちょっとなまえ、お皿運んでー」
「はいはーい」
「あ、僕やりますよ」
「いいのいいの、お客さんは座ってて」
自分の分の皿と麦茶のペットボトルを持った我が母が言葉だけでアイチを再度座らせ、自分と娘のコップもテーブルへ持って行く。どんだけ弱いんだ先導さん。
「はい、どーぞ」
「ありがとう」
右手の皿をアイチに差し出し、左手の皿を自分の席に。今日のお昼は和風パスタ、別名手抜きインスタントだ。
「いただきまーす」
間延びした声で定型句を言った母に倣い、私達も手を合わせる。食事するアイチを見るのは久々だ。ちくしょう可愛い。
「あんた、夏休みくらい家出たらどうなのよ」
「それさっきアイチから聞いた」
「あら、うちの馬鹿を連れ出してくれるの?ありがとねアイチ君」
「いえあの、あ、そんなんじゃなく」
わたわたとパスタを飲み込んで弁解をする姿まで可愛いとは、もう底なしだ。癒される。
「せっかく優しい友達が誘ってくれてるんだから、海なり山なり行ってくればいいじゃない」
「いきなりハードな…」
「それなら、最初は室内にしようか」
「…プールは嫌だかんね」
「うん、プールじゃないから大丈夫」
にへら、と笑顔を向けられた。くっそ可愛いなもう。
最もポピュラーな愛の形