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 ど、う、し、よ、う。
 来てしまった。ついに来てしまった、遠路はるばる秋田県。長期休暇中でもないのに、ただの三連休なのに、わざわざ神奈川から高校一年生の一人旅。とは言えその三連休も今日が最終日。なのに荷物は一泊二日分。明日の学校サボる気満々である。今まで皆勤賞だったんだけどな。まあいいや、学校には明日の朝に電話で風邪だとでも言っておこう。一人暮らしな分、親にまで芝居を打つ必要が無いのが大きな救いだ。
 旧友たちには、この計画は既に話してある。というより、今でも同じ高校・同じクラスである黄瀬に話したら、中学時代の部活仲間に広まってしまったというだけだが、彼らからは任されごとも承ってきた。一泊二日にしては少々大荷物である理由はそこにある。
 しかしまあ、私もドラマや漫画を笑えない立場になってきた。彼氏のためにここまでやるとは、自分でもビックリである。乙女かよ。
 学校をサボるのも、一人ぼっちで北上してきたのも、全ては敦君の誕生日を祝うため。そして旧友たちから任されたのはプレゼント配達、というわけだ。

 さて、それはいいとして。部活があるそうで今日も学校だ、という情報は仕入れていたのだが。
 陽泉高校ってどこだ。
 ……早速迷ってしまった。学校の最寄り駅までは問題なかったし一応下調べもしてきたのに、今はスマホと手書きのメモ片手に右往左往。情けない。が、サプライズで行きたいから、極力敦君には頼りたくない。助けて我らの赤司君、きみが居ればすべてが上手くいく。主導権は握られてしまうが、逆に言えば彼が勝手に操縦してくれるから、縛られるのを嫌うわけではない私からすれば楽ちんでありがたいのである。
「ねえ、きみ」
 うおっ。どちらさんだ、詐欺か! なんて失礼なことを思いながら声のした方、右斜め後ろを振り返ると、物憂げな右目、左目を隠し微かに太陽光を反射する黒髪。どえらいイケメンさんがいらっしゃった。黄瀬で目が慣れていたように思っていたが、この彼も輝いて見える。いや私の一番は敦君ですけどね!
「えーっと、きみ、そうだなあ……紫原敦って子、知ってるかな?」
「え、あっ、ハイ」
 敦君の知り合い、だろうか。だとしても何故私が敦君と関わりがあると知っているのか、それが謎である。
「ああ、やっぱり。なまえさん、だよね?」
 ……ん?
「な、なんで私の名前を? 敦君のことも……」
「俺は彼のチームメイトなんだ。氷室辰也。よろしくね」
 ほう、敦君のチームメイトか。言われてよくよく見てみれば、陽泉高校のジャージを着ている。氷室辰也さん、氷室、ヒムロ……。彼とは初対面のはずだが、なんとなく親しみのある響き。そういえばそんな感じの名前の有名人が居たような……いや、その人じゃない。氷室、氷室、ひ、むろ……むろ?
「むろちん……そう、室ちんだ!」
「……っぷ、ふふ、ふ」
 あ、しまった。



 上品に笑ったあと、アツシに会いに来たの? と傾げられた首に迷子であることを白状すると、氷室──先輩、かどうかは分からない(大人びて見えるけどあの緑間君も私と同い年ってくらいだし、敦君は歳関係なく身近な人にはあだ名をつけてタメ口で喋るから彼の態度はあてにならない)からさん付けで呼んでおこう。氷室さんはまたくすくすと笑い、案内をしようか、と言ってくれた。ありがたい。更には荷物を持とうかとまで言われたが、さすがにそこまでは申し訳ないと全力で断った。旧友たちからのプレゼントが詰まった紙袋だけお願いして渋々ながらも引き下がってもらったが、なんて紳士的なんだ、彼は。
「アツシから俺の話を聞いてたんだね」
「はい。でもフルネームどころか、まともに苗字すら出てきたこともなくて……。いっつもそうなんです。こっちからすれば誰の話? ってなっちゃって」
「まったくだよ。俺もアツシからちょくちょく君のこと聞いてたんだけど、苗字が出てきたことは一度もなかったな」
「ははは……あ、私、みょうじといいます」
「みょうじさん、ね」
 淡く艶めくような笑み。とても高校生とは思えない。なんという色気。バリバリ露出しているお姉様方の振りまくようなむき出しのものとは違う、もっとこう、根本から漂うような。
「アツシは幸せ者だね。こんなに可愛い彼女がわざわざ神奈川から来てくれるなんて」
「かわっ、……か、からかってるんですかっ」
「まさか! ああ、でも別にナンパしてるわけでもないから。安心して」
 後輩の彼女を横取りする趣味はないよ、と氷室さんはまたくすくす笑う。やっぱり先輩さんでしたか。
「でも本当、喜んでくれると思うよ? 毎日惚気られちゃって、アツシはよっぽどその子が好きなんだな、っていつも思ってたから」
「惚気? いやあ、まさか……。むしろ私より赤司く……あ、えと、敦君と仲の良かった……と、友達……? が居るんですけど、その人にばっか懐いてましたし」
「ああ、赤司君だろう? 知ってるよ。確かに彼のことも話してくれるけどね、君の話が一番多い。断トツでね。俺が君の顔を見てみょうじさんだって気付いたのも、アツシが君の写真を何度も見せてくれてたからなんだ。可愛いでしょー、ってね」
「う──」
 嘘だあ。と、続けようと思ったら、おもむろに氷室さんが足を止めた。綺麗な指を顎に添え、眉根を寄せる。
「ごめんね、少し寄り道してもいいかな」
「もちろん」
「ありがとう。まあ、俺はそれが本来の目的だったんだけどね。あやうく忘れるところだった」
「え、すっ、すみません! 私が居たせいでというか、なんというか」
「ああ、君が謝る必要は無いよ。むしろ謝らせるような言い方をした俺の方が悪かった」
 どこまでも紳士なお人だ。寄り道と言ってもほとんど道中にあるみたいなものだから近いよ、と、そう言いつつ氷室さんは細い路地に足を踏み込んだ。私道とまでは思えないが、車一台頑張れば通れるだろうか、というレベルの小道である。
「さ、着いたよ」
 わ、本当に近かった。大きな通りから外れて、約二十秒ってところだ。
「パン屋さん……いや、ケーキ? ケーキ屋さんですか?」
「みょうじさんはアツシの誕生日を祝いに来たんだろう? そういうことだよ」
 氷室さんは大人っぽい顔つきで悪戯っ子のような笑みを浮かべる。一挙一動がいちいち麗しい。



 その後、事前に注文していたというケーキ(かなりでかい)を手にし、嬉しそうな氷室さんはどこか足取りが軽い。その理由を問うと、「プレゼントはする方もされる方もワクワクするものだろう?」だそうで。なるほど。確かに私も今日は終始気分が高揚している。
「あ。もしかしてアレですか? 陽泉高校って」
「当たり」
 遠くに見えてきたの建物を指さすと、氷室さんは穏やかに笑った。
 わりと役に立たなかったが、下調べはしてきていたのだ。陽泉高校の外観ももちろんチェックしていた。
「実は今日の部活は午前練で終わってたんだけどね、アツシにはケーキ用意してるよ、って言って残らせてるんだ」
「ほう」
「他の部員も、わりかしアツシと親しい方の人たちはまだ居ると思うよ。今頃皆でウインターカップ対策に他校の試合映像でもチェックしてるんじゃないかな。あ、ウインターカップって分かる?」
「冬にある大きい大会のことですよね? 友達もバスケ部で、それ、出るらしくて。インターハイで負けた直後から、ずっとウインターカップこそはー! って言ってるんです」
「ああ、そういえば君は海常生だったね」
「それも敦君情報ですか?」
「そう」
 歓談しつつ陽泉高校の門をくぐる。けっこう質素で地味というか、地味すぎるというか……。
 待てよ。
「ここ、まさか正門とか言いませんよね」
「そう。裏門だよ。こっちの方が部室棟に近いし、他校生が無断侵入に正門を使うなんてダイナミックなこと、俺は勧められないかな」
「あっ」
 盲点だった。
 見下ろす私の身体は清々しいほど明らかな私服姿である。そりゃそうだ。海常だって、他校生が正当な理由も許可も無く我が物顔で敷地内に入ってきたら、黙っていない。色々と抜けすぎだろう、自分。



 他の生徒や先生にバレたような様子もなく、というかすれ違うことすらなく、なんとか無事にバスケ部の部室前まで辿り着いた。にしても、他校生の無断侵入を手伝っておきながら、何故こんなにもにこやかなのだろう、氷室さん。
「俺の後ろに隠れてて。呼んだら出てきてくれる?」
「は、はいっ」
「サプライズは徹底した方がいいからね」
 言われるがまま氷室さんの背に身を寄せると、扉を開く音が聞こえた。
「ただいま。お待たせ」
「あー、やっと帰ってきた。室ちんおせーし」
 う、わ。敦君の声だ。電話越しじゃない、ノイズに邪魔されていない。すぐそこに敦君が居て、すぐそこで声を発している。
「まあそう言わないで。ケーキ以外にも、アツシが喜びそうな……」
「……あ、つし、くん」
「わ、みょうじさ──」
「敦君っ!」
「は?」
 氷室さんに歩み寄って来ていた敦君に向かって猛ダッシュ。タックル並みの力量で抱きついた。すみません氷室さん、我慢できませんでした。私は欲に忠実なんです。一瞬だけ身体が揺らいだが余裕で私を受け止めた敦君は、間の抜けた声を零しながら瞬きを繰り返した。
「え、なにしてんの……ていうか、なまえ?」
「なまえだよ!」
「あー……え? なにコレ、室ちんコレなに?」
「みょうじさん」
「いやそうだけどそうじゃねーし」
「サプライズだよ」
「んー……まあ、驚いたけど……ホンモノ?」
 そう疑いつつ、敦君の大きな手は私の後頭部を大雑把に撫でている。敦君だ。ついさっき爆発した実感がまた膨れ上がってくる。前と変わらない、お菓子と彼本人の混ざった香り。懐かしくて懐かしくてたまらない。
「何事だ?」
「アツシが誕生日だから、来てくれたみたいです」
「来てくれた、って……アツシのカノジョ、千葉って言ってなかったか? 結構遠くね?」
「……んん? 千葉じゃったか?」
「たしか鹿児島アル」
 あれっ、耳慣れない声。恐る恐る目を向けると、ジャージを着てはいるが失礼ながら高校生には見えない人と、日本以外のアジアっぽい雰囲気の人と、背の高いその二人に挟まれたせいで小さく見えてしまう(が、平均的に見ればそうでもない筈。中学時代の赤司君現象だろう)人。そういえば氷室さんが、敦君以外にも何人か残っている的なことを言っていたような気がしなくもない。
「か、神奈川です」
「あーそうそう、神奈川神奈川」
「ケツアゴリラの顔のせいでドン引かれてるアル」
「顔っ!?」
 賑やかな人たちだ。なんだか変わってしまう前の帝光バスケ部を思い出すな、としんみりしていると、少し離していた頭が再度敦君の胴体にひっついた。
「むぐっ」
「あー、なんかじわじわ嬉しくなってきた。これ俺のだからとらないでよ」
「こら、コレなんて言うんじゃない」
 周囲の声がくぐもって聞こえる。いや、もう敦君の腕が無くともシャットダウンしてしまいそうなほどの夢見心地。腕の力を強めると、向こうからも抱き返してくる。
「うわ、懐かし。いー匂い」
 どうやら敦君は私と似たような事を思っているようだ。すり寄ってくる仕草はまるで小動物のようで、うっかり彼の身長が2メートルを越えていることを忘れそうになる。
「ねー」
「ん?」
「ちゅーしていい?」
「ん……いや待て、待ってストップ!!」
「えー?」
 今まで小声で話していたからか、突然の私の叫び声に敦君以外も肩を揺らした。スミマセン本当、お騒がせ女で。
「い、今はほら……ね?」
「……忘れ物アルか?」
「違うじゃろ。今は、っていうのと辻褄が合わん」
「あ……いえ、おっお気になさらず」
「室ちーん、なまえにちゅー嫌がられた〜」
「ああああつしくん!!」
「TPOを考えないからだろう? 雰囲気も重要だ」
「また英語ぉ?」
「いや、TPOは日本でもけっこう有名だと思うけど。時、所、場合」
「ふーん」
「うっわ、氷室スゲー冷静!」
「色男の余裕アル! アレがモテる男アルよ、モミアゴリラ!」
「何故じゃぁぁ!」
「そろそろケーキ切り分けようか。みょうじさんチョコ大丈夫?」
「爽やかなスルー!」
 この場は私以外も実に賑やかで、目が回りそうだ。でも、彼はいつもこんな人たちに囲まれているのか、と思うと、安心した。


メルヘンチックに蓋をして

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