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「あ、みょうじセンパイっ」

居残って美術の版画課題を終わらせ、痛む右手を擦りながら部活に向かっていると、後輩がぱあっと明るい笑顔を浮かべ駆け寄ってきた。狩屋マサキ君、最近サッカー部入ったばかりの新顔だ。どうやら猫かぶりちゃんだったらしく私の彼氏も(というかほぼアイツだけ)被害に遭っていたのだが、今ではそれなりに仲良くやっている様子。…日頃から争い事は避けるタイプだけど、蘭丸、よく耐えたよなあ。

「どうしたの、狩屋君」
「速水先輩が足捻っちゃったんですけど、救急箱に湿布が無くて」
「ありゃ、速水君大丈夫?」
「軽ーくなので大丈夫だと思いますよ」

ひらひらと保健室からもらってきたのであろう湿布を振る狩屋君に、また君が踏んだんじゃないでしょうね、と腕組みすると、まさか!と笑われた。笑い事じゃないのに、まったく。

「さ、グラウンドに戻るよ。速水君の手当てしてあげなくちゃ」
「はぁい」

既に声変わりの済んだ低い声を響かせながら私の斜め後ろをついて来るのが小動物っぽくてちょっと面白い。本人に言ったらどうなるか分かったもんじゃないから口は閉じておくけれど。


 * * *


「居残りお疲れさん」
「どーも。本当に疲れたぁ」

速水君の手当てを済ませ、ベンチに深く腰掛けた。版画なんてもう懲り懲り、と言うと、水鳥も同意してくる。お互い大ざっぱで気が合う私たちは、喧嘩しないほど仲がいい。喧嘩するほどというのは本音をぶつけ合うことの比喩らしく、私たちの場合は本音をぶつけ合っても互いが互いに同意するわけで。要するに似た者同士。

「一端休憩だ。10分後に再開する」

鬼道監督の声に、部員達がそれぞれ反応した。律儀で礼儀正しい拓人や三国先輩、影山君あたりはきっちりと返事をして、走り疲れた面々は倒れ込む。そんな中真っ先にこちらへ向かってきたのは、狩屋君と松風君、西園君だった。

「せーんぱい、タオル下さいっ」
「はい。ドリンクは?」
「ありがとうございます。んー、後でいいです」

仲良しコンビが葵ちゃんから受け取っているのをよそに、狩屋君だけは私に声を掛けてくる。いつもこうなのだが、何故彼はこうも私に寄ってくるのだろうか。可愛い後輩の存在は嬉しいが、純粋に疑問に思う。

「なまえ、俺も」
「あれぇ、霧野先輩。真っ先にみょうじ先輩チョイスですか?べた惚れですねぇ」
「うるさいな…空野は手一杯だし、瀬戸は浜野達を叩き起こしに行ってるし、山菜…は今どこに居るんだ?」
「あー、茜ちゃんなら音無先生から何か調べもの頼まれてたよ。図書館行って、時間かかるしそのまま帰るって」
「そうか。…まあ、そういうことだからな。狩屋」
「へーぇ、そぉですか。消去法っていうやつですかねぇ。ふーん」

相変わらずな関係だなあと思いながら、蘭丸にタオルとドリンクを手渡す。この二人の場合は喧嘩するほど、だろう。何だかんだでいい組み合わせだと私は思う。兄弟みたいで、見ててハラハラしつつも、ちょっと和んでしまうような。本人達に言ったら全力で否定されそうだけど。

「…蘭丸?」

気付けば、真顔をちょっと不機嫌にしたような表情で見つめられていた。相変わらずぱっちり二重できらきらとした、綺麗な目だ。それを縁取る長い睫毛が、何かを訴えているかのように下を向いている。

「どうしたの?」
「別に」
「…ぷ、ふふ」

何故か拗ねているらしい蘭丸の何が面白いのか、狩屋君は顔を伏せてくつくつと笑い始めた。よく分からない状況に首をかしげていると、今度は遠くで倉間君が謎の視線を送ってくる。何だその哀れみの目は。本当に哀れむべきなのは君の身長なんじゃないのかね。

「なまえ、ちょっと来い」
「えっ、な、なななに、らんまる?」

いつになく荒い手付きで腕を捕まえられ、そのままぐいぐいと引っ張られる。いつもは穏やかで優しいのに、どうにも蘭丸らしくない。なんだかオーラまで黒ずんでいるような気がしてきた。背後からはやっぱり狩屋くんの笑い声。気付けばグラウンドから大分離れ、陸上部員のタンクトップ姿が見えてくる。

「…なまえは、」

緩やかに足を止めた蘭丸が、振り返ることなくぽそぽそと話し始める。トレードマークの二つ結びした髪も心なしかしょげているように見えた。最近は何やかんやで明るくなっていたから、こんな蘭丸は正直久々だ。

「なまえは、俺と狩屋、どっちが好きなんだ?」
「……え、どっちって…そりゃあ恋愛的意味なら、蘭丸、だよ」
「…そう、か。うん。そうか、そうだよな。うわ、なに言ってんだろ、俺」

へらりと笑いながら、少しだけ顔をこちらに向ける蘭丸。よく分からないが、これは、これはもしや、嫉妬してくれたのだろうか。本当の本当に珍しいぞ、今日の蘭丸は。正直、凄く嬉しい。いつもは私が妬くばかりだったから、ちょっと安心してしまった。けれどもまあ、勘違いだったらかなり恥ずかしいから、余計なことは言わないで黙っておく。

「そろそろ戻るか。遅れたら後々恐そうだしな」
「あ、ちょっと待って」

グラウンドへ引き返そうとしていた蘭丸を引き止めた。勘違いの可能性も大いにある。あるのだが、妬いてくれたのかと思うと、いつも以上に蘭丸が愛しくなった。一歩半離れていた距離を詰め、背伸びをしながら蘭丸の頬に口付ける。

「っ…お前、なにして…!」

おお、赤くなった。何度も言うが珍しい。もともと美人さんだから絵になる。次はいつ見られるか分かったもんじゃないしな、と思い存分に堪能していると、不意に両頬をホールドされた。食むようにゆっくりと口付けられ、ちゅ、と恥ずかしい音を立てて離れていく。かと思いきやまた優しく食まれ、押し込まれた舌が一瞬だけ私の歯列をなぞった。

「続きは部活終わってからな」

いたずらを仕掛け終わった小学生のような笑みを浮かべた蘭丸に、今度はこっちが赤面。続き、ってどういうことだ。まさかさっきのキスの、だったり、するんだろうか。…それ以外無いよなあ。


緩やかに滲む三秒間のひみつ

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