涙 | ナノ




「黒子くん」

「はい」

「付き合って」

「どこにですか?」



表情を変えずに首を傾げる黒子くんがツボにハマって思わず噴き出してしまった。どこにですか。まさかそんな返し方をされるとは思わなかったよ、やっぱり黒子くんは面白いなあ。名字さん?戸惑う黒子くんの袖を引いて向かったのは屋外の非常階段。他にも適当な場所は色々あるけど、この近くではあそこが一番人気がない。



「‥なに、を」

「しー。静かに」



黒子くんを階段の手すりに追いやって、そっと顔を近付ける。吐息がかかる距離になっても黒子くんは逃げなかった。嫌ならわたしの手なんて振りほどけばいい。ほんの少し押し退けるだけで現状を打破出来るのに。そうしないってことは嫌じゃないってことだよね。確かめるように触れた唇は固く閉じられたままだったけど、拒否というよりは慣れてないだけのようで安心した。



「名字、さん」

「付き合って」



流石に今度はどこにですか?とは言わず、ほんのりほっぺたを赤くした黒子くんは一度何か言いたげに開いた唇を閉じて、視線を足元に、それから小さな声で「はい」と呟いた。そんな気まずそうにしなくても、別に黒子くんがわたしのことすきじゃなくてもいいんだよ。ノリでOKしちゃったのもわかるし自分のことすきな女はとりあえずキープって感じで、ヤリ捨てしてくれてもいいよ。だってわたし黒子くんのことすきだから。

今までセックスで始まる恋愛しかしたことがなかった。大して親しくもない奴らにビッチ呼ばわりされても気にはならないけど、黒子くんには誤解されたくないなあ。初めて人をすきになったと言ったら信じてくれるかなあ。たかがキスくらいであんなに緊張したのは初めてだった。



「あのね、すきになった人が自分のことをすきになってくれたら、それってもう奇跡だと思うんだよね」



それ以来クラスの違う黒子くんとはいつもお昼休みに非常階段で待ち合わせて一緒にご飯を食べる。春の木洩れ日と呼ぶには少しばかり強い日差しを避けて、狭い段差に肩を並べて座りながら、わたしの作った不細工なお弁当を食べる黒子くんの顔が嬉しそうに綻んだから、つい勘違いしそうになる。



「そうかもしれませんね」

「だからわたし奇跡が起こらなくても、こうして黒子くんといられるだけでしあわせ」

「‥何度も言いましたけど、僕はすきでもない人と付き合ったりしませんよ」

「うん。聞いたよ」

「信じてないですよね」


キッカケをくれたのは名前さんでしたけど僕も名前さんがすきです。黒子くんは優しいから、何度もそう言ってくれる。それだけで胸がいっぱいになってしまって、わたしのお昼ご飯はいつも全然減らない。予鈴が鳴るまで、ふたりで他愛もない話をしながら過ごす。



「戻らないんですか?」

「先に行って。わたしトイレ寄ってくね」



奇跡が起きたからと言って、いいや、起きたからこそ勘違いしてはいけない。わたしは堂々と黒子くんの隣にいてはいけないのだ。なるべくひっそりと人目につかないように。そうしなければ、きっと。



「ねえ、聞いた?あのヤリマン今度黒子狙ってるらしいよ」

「は?黒子って誰?」

「ほらあんたの斜め前にいるじゃん。バスケ部のさー」



開きかけたトイレのドアをそっと元に戻す。他の階のトイレにしよう。多分今のは黒子くんのクラスの女子だ。一度だけ、告白した翌日に黒子くんのクラスを訪ねてしまったことがある。アドレスを聞いてなかったとはいえ軽率だった。密やかに囁かれる悪意が黒子くんに届かなければいい。わたしの自業自得のレッテルが黒子くんを傷つけたりしないように。
これでも随分と気をつけたつもりだった。でも幸せとは長く続かないもので。



「わたしの噂聞いたことあるでしょ?」

「噂?」

「うん」

「すいません。噂話にはうとくて、‥聞いたことないです」

「そうなんだ」



でも、黒子くん昨日渡り廊下で絡まれてたよね。優しい黒子くんは知らない振りをしてくれる。あのヤリマンに遊ばれんなよ、名前は飽きっぽいからなんて面白半分に声をかけたあの連中とは何度か寝た覚えがあった。無視してくれるといいなあと窓枠に頬杖をついて渡り廊下のやり取りをぼんやり眺めていたら、普段の物静かな黒子くんからは想像もつかない激昂ぶりであいつの胸ぐらを掴んで、名前さんはそんな人じゃない。泣きそうになった。違うんだよ黒子くん。わたしそんな人だったの。黒子くんに会うまでは。



「飽きちゃったんだよね」

「‥名前さん?」

「わたし飽きっぽいの」



黒子くんは何も答えなかったけど、見開かれた目が信じられないと言ってた。だって黒子くん優しいから、わたしの為に怒ったりしなくていいよって言ってもきっとわたしの知らないところで怒るでしょ。部活の話、いつも聞いてたから今が大事な時期だってわかるよ。喧嘩なんかしたら大変なことになるって。だからこれでいいんだよ。大きく吹いた風で揺れる髪を手で押さえるようにして、視線を逸らした。早く行って。お願いだから。



「‥じゃあなんで」

「‥‥」

「飽きたのになんで泣くんですか?」



わたしは女優にはなれないな。流すべきじゃないシーンで涙を流すなんて最低だ。「目にゴミ入っちゃった」嘘もベタすぎる。次から次へ溢れる涙を袖で拭っていると、黒子くんの手がわたしの手を退かした。



「見せてください」

「大丈夫、だから」



思わず後ずさって腰に手すりが当たる。心配気に近付く顔に、いつかとは逆だなと思った。あの時は、わたしが黒子くんの立場で、黒子くんは拒否したりしなかった。いつかのように吐息がかかる距離になる前に黒子くんの胸を軽く押す。物理的には何の意味もない筈なのに、それだけで黒子くんは動きを止めてくれて。



「別れよう」



逃げようとして捕まれた腕を振り払い階段を降りる。奇跡を修復するなんてそれこそ奇跡が起きなければ無理なのかもしれないけどどうか足掻くくらいは許してください。けたたましい自分の足音に掻き消されてしまいそうな黒子くんの声が痛くて苦しくて、ああくそまた景色が歪む。ねえ黒子くん。わたしも許して、最初から最後まで勝手でごめん。


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