涙 | ナノ


いつだってその瞳は私を悲しそうに見下ろした。
初めて逢った時も、その次も、何処か憂いを含んだその瞳に、私は恋い焦がれたのだった。

初めて出逢ったのは他には誰も居ない音楽室だった。
今と同じように私が一人で音楽室で物思いに耽っている所を、まるで私を見つけたかのような表情で見つめた。
可笑しいでしょう、私達は初対面なのよ、なんて言う暇も無く、私の心は簡単に落ちてしまっていた。

二回目は、大好きだった彼氏にふられた所に、彼は来たのだった。
無意識のうちに彼に逢いたいと思ってしまう私を、元彼は気付かずには居られなかったらしい。
それでも私は好きだったので、ショックを受けない訳が無かった。
何かあったのか、と尋ねる彼を赤く腫れた瞳で仰ぎ、全てを言った。
友達にその話をすると、あんたららしいわと笑われた。
女の子の気持ちには鈍感なくせに、人の痛みには鋭いのが彼の特徴だと思う。それも、よりによって心の痛みに、気付くのだ。
何とも言えない彼らしさで、狡いとさえ思う。
そんなところを好きになったのかと尋ねられればそうだろうし、かと言って其処だけが好きなのかと聞かれれば首を傾げる他無い。
一概に此処が好きだとか言えないからこそこの感情は存在するのであって、名前を付けるとしたら恋以外には何も浮かんでこないことに気が付いたのは最近だ。

嗚呼、逢いたい。
悲しそうに私を見下ろす瞳も、今にも私の方へ伸びてきそうな右手も、今はただひたすら愛しい。

「名前」

びく、と肩が跳ねる。
驚かない筈など無かった。だって後ろを振り向けば今まさに逢いたいと思っていた本人が居たのだから。

「緑間君…」

掠れた声がその場に残る。
嗚呼、逢いたかった。ずっと私は、貴方が、好きだった。
確かに私を見下ろす瞳は必ず物悲しげだった。
夕陽が照らす音楽室のピアノは、彼よりずっと悲しそうだった。

「ねえ緑間君、逢いたかった」
「そうか」
「ずっと、逢いたかったよ」
「…、」
「緑間君は、絶対に笑ってくれないね」
「突然どうした?」
「だって、初めて逢った時からずっと、悲しそうなんだもの」
「それはお前も、だろう」
「そうなのかな」
「ああ」

笑える筈も無いだろう、と苦笑を零す緑間君を、再び仰ぐ。
彼の丁寧に手入れされているであろう緑色の髪の毛が、夕陽に照らされて眩しい。
此処に来る筈など、無かった。
だって彼は今、本来なら友人と帰っている筈なのに、どうして。
嗚呼、思えば君はあの時からずっと、私の心に何かを齎してきた。
醜い感情然り、綺麗な感情然り。
緑間君の隣に居たら、期待してはいけないと分かっていても期待してしまうよ。
だって、あまりにも余裕を失ったと言わんばかりの表情だから。
その悲しそうな瞳が意味するものは、一体何ですか。

「他の男を好きだと分かっている好きな女に、何故笑顔が向けられるのだ」
「緑間君?」
「好きだ、ずっと、あの頃から」

ねえ、お願い。一度だけ私に笑ってみせて。
好きよ、ずっと、あの頃から。きっとこれからも。
その言葉を飲み込んでしまったのは、彼の形の整った唇が私のものを塞いでしまったからだった。


笑ってよ、ねえ、


(不謹慎にも程が在ると分かっていたけれど、)
(その泣き顔にこの左手を伸ばして全てを抱擁してしまいたいと、思ってしまったのだった。)
(たった一度だけで良いから、その泣き顔をこの手で笑顔に変えさせて)


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