涙 | ナノ


 誰もいなくなった体育館のど真ん中を陣取って、床に大の字になって寝ころんでみる。天井が遠い。
 こうして見ると、この学校の体育館は大きいのだと改めて自覚させられた。もうここに来ることはないだろうけれど。
 床はひんやりとしていて、制服からはみ出した肌から熱を奪っていった。
 電気のついていない体育館は、昼間とはいえ存外暗く、そのせいか開けっ放しにした扉から差し込む光はひどく眩しい。
 その正面の入口の扉以外は全て閉め切っているため、風はなく、どことなく汗臭さを感じた。
 目を閉じて耳に神経を集中させると、遠くでは賑やかな声が響いていた。その声に混じるように聞き慣れた少年達の楽しげな声を聞いた気がした。
 しかしその匂いも音も明るさも、私の記憶の中の幻なのだと分かっている。
 誰もいない体育館は、ひどく寂しい。

 そして私はここで一人、黒子テツヤを待っている。
 きっと来ると信じて、待っている。


     〇


 暑い、と彼女は体育館の床に倒れ込んだ。手足をだらしなく広げて恥じらいもなくべったりと床に張り付いている。
 その日は、観測史上最高気温を叩き出していた。
 僕は立っていて、彼女を見下ろしていた。天井を仰ぐように彼女の目はばっちりと開かれているのに、どこか焦点が定まっていないように見えた。
「黒子、邪魔」
 邪魔、と言われて癇に障らない人はいないだろう。僕はムッとしてしゃがみ込み、更に彼女の視界を阻むように見下ろす。
「……子供か。せっかく天井の電気数えてたのに」
「あなたこそ馬鹿ですか。下らなさでは青峰くんと良い勝負だと思いますよ」
「青峰なんかと一緒にしないでよ」
 外では蝉が鳴き止まない。以前彼女は、蝉の鳴き声は嫌いじゃないと笑っていた。
 彼女の苦笑いはむず痒いと常々思っていたが、その時ほど痛感したことはなかった。
 しばらく二人でぼんやりとしていると、外からガヤガヤと人の声が聞こえてきた。どうやら部員が来たらしい。僕は立ち上がり、彼女の手を引っ張って起きあがるよう促す。
「黒子ぉ」
 いつもよりも間延びした声を発しながらのろのろと起き上がった。
「なんですか」
「……んー、やっぱ何でもない」
 あ、むず痒い。


     〇


 黒子テツヤは消えた。
 彼はあの日を境に忽然と姿を消し、気配を消し、有って無いような存在感を消して、いなくなった。
 私は、彼は死んでしまったのだと思った。
 ふいに少し肌寒い風がふわっと吹いて、胸元に咲く薄っぺらい造花を揺らした。
 立ち上がって、光の差し込む入り口に目を遣る。少年が立っていた。綺麗な空色の髪は光を通して透きとおっていて、さらさらと揺れている。俯いた彼の表情は見えない。
「黒子!」
 反射的に光の方へ走り出した。光がぼやけて水彩絵の具のように混ざっていく。駄目だ、零してしまったら、消えてしまう。
 唇を噛み締めて、入り口の扉に片手をついた。外へ踏み出す一歩が出ない。手を伸ばすと、一粒の涙が零れ落ちて視界を洗い流してしまった。
 私はまだ、皆の面影を探している。
「卒業おめでとう」
 そうして、黒子テツヤの影は光に溶け込んで消えた。
 桜の花びらを運ぶ風が頬を撫でて、涙の筋を乾かしていく。
 私はまだ体育館から踏み出せない。


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