体調不良で寝ている人を起こすのには気が引けたが、黙って出ていくよりはずっといいだろうとラズロはティルを揺すり起こし、事情を説明した。
怒ることもなく真剣に話を聞いたティルは、ルックが言ったことなら大丈夫だろうと言い再び布団の中に潜り込んだ。
ここを離れることが不安だった。しかし最後に呟かれた、待ってる。という言葉がとても嬉しかったと言ったら、どんな顔をするだろうと考えてラズロは小さく笑った。



「どこに飛ぶの?」
百五十年か、百六十年か。久しぶりに聞いた言葉に、ラズロは少なくない懐かしさを感じていた。
少し首を傾げる仕草も、全て記憶のままだと今なら分かる。擦り切れた記憶でも、目の前に本人がいれば思い出してしまう。
記憶の上書き、という気は、不思議としなかった。
「えっと、どうしようかな、私ここら辺は詳しくないから……」
「どうせなら群島まで飛びますか? えいっ、ってすぐですよ?」
「いや、さすがにそれは」
群島から出てきたのに帰ってどうする。
しかし話せば話すほど記憶の中のビッキーが鮮明になるなとラズロは思う。やはり、変わっていない。
「そうだな……グレッグミンスターに飛んでくれる? ビッキーも一緒に」
「はい! それじゃあ……えーいっ!」
ふっと感じた浮遊感。宿の一室だった景色は一瞬で消え去り、すぐに足に石畳の地面を感じる。
一回瞬きする間に、景色は大きく変わっていた。
「……相変わらず、すごいね、ビッキーは」
「そうですか? でも、私はこれくらいしかできません」
「そんなことないよ」
「リオウさん達が苦しんでいても、私は何もできませんでした」
昔も、彼女はふいにふわふわとした雰囲気が消えることがあった。その小さな背中に、何を背負っているのかは知らない。
ラズロはそんな雰囲気のビッキーが、嫌いではないが苦手だった。どうも調子が狂う。
「そんなことない」
「ラズロさん」
「ビッキーは私をこうして連れ出してくれたじゃないか、十分だと、私は思うな」
「……ラズロさんも、変わらず優しいです」
可愛らしい花のような笑顔にほっとした。
ビッキーに微笑み掛けてから辺りを見回せば、確かに今いる場所はグレッグミンスターだと理解できる。少し前に見て回ったときと変わらぬ景色だ。
夜のため、突然現われたラズロ達に気付いたものも居ないようだ。後は巡回の兵士に気を付ければいいだろう。
「ねえ、ビッキー」
「はい?」
「天間は、天魁を繋ぐ星だと誰かが言っていたのだけど、本当かな」
「うーん……私には分かりません」
「そう、だよね、……宿に行こうか、この町には良い宿があるよ」
そう言いながらラズロは空を見上げた。今日は晴れていたから星がよく見える。
自分の星はもう無いが、確かにあの空には、彼等の星が見えるのだろうと思うと、嬉しくもあり、羨ましくもあった。





ラズロがビッキーを連れてバナーを出ていってから三日。体調も紋章の調子も大分良くなった。
まだ紋章は共鳴状態にあるようだが、問題はないだろう。
問題は、今泊まっている宿屋の下が騒がしいことだ。ぽつりぽつりと物騒な言葉も聞こえてくる。
待っているとラズロに言った以上、バナーから離れる気はない。そしてティルは、泣いている女性を放っておくほど冷たくもない。むしろ、マクドール家の長男として女性の扱いはしっかり、主にクレオに教えられてきた。

「……よし」

久しぶりに握った棍は、変わりなく手に馴染む。
あまり動かずにいると、体が鈍る。
そして、右手の紋章の共鳴相手に。興味があった。


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