ノックの音に、リオウとルックが同時に扉を見る。何か間違いが起きるようなことはまず無いが、夜も遅いからと言ってビッキーはビッキーのためにと確保した部屋へ帰した。
何か忘れ物でもしただろかとリオウはベッドから体を起こす。しかしルックが強い声でリオウの行動を諫めたため、リオウは中途半端な体勢で動きを止めた。
そんなぐたぐたな状態で動くなということなのかと思えばどうやら違うらしい。ルックは扉を睨み付けている。

「ルック?」
「悲鳴だ」
「え?」

意識しなければ分からない。でも、言われてみれば確かにガラスを引っ掻くような高い音に混じり聞こえていた悲鳴が聞こえる。扉の、その向こう側から。
再び、ノックの音が響く。何だか先程よりも元気が無いように感じた。
リオウとルックは目を合わせ、無言でどうするかを話し合う。無視してもいいが、おそらく扉の向こうで悲鳴を放つ相手は自分達が部屋にいるのを分かっているのだろう。
予期せぬ出来事、未知の存在に対した時、人はこんなにも弱いのものなのか。
ナナミが、矢に倒れた時のように。

「……はい、今開けます」
「! 馬鹿!」
「……黙ってたって、何にも変わらない」
姉が倒れていく姿を見ていた。何もできなかった。咄嗟に構えたトンファーも、役に立たなかった。
しかし、何かしなければ変わらないことが、確かにあるのだ。

「あの……ラズロです」

リオウは言うことを聞かない体に鞭を打って立ち上がる。ドアノブに慎重に手を伸ばすが、扉を開く前に聞こえてきた声に手が止まった。
ラズロ。昼に森で会った、ビッキーの昔の知り合いだという少年。

「少し、話がしたいのだけど、いいかな」

ぐるぐると最悪の事態が頭の中を回る。ルックが、知り合いかと聞いてくる声に、なんと答えていいのか分からなかった。
まったく知らないよりも、中途半端に知っているから質が悪い。刺客。もしくは右手に宿る紋章関係の。親友と共に宿した紋章に、何かされるわけにはいかないというのに。
ビッキーは昔の知り合いだと言った。それはどれくらい昔の話だ。ビッキーのことすらよく分からないのに、昔の知り合いなんて。今、こんなに大きな悲鳴を上げる人を、得体の知れない人を、信用していいのか。
信用していいはずが無い。
だが、ビッキーは嬉しそうに笑っていた。それに対する少年も、幸せそうに、優しく笑っていた。

「ひとつ、いいですか」
「なに、かな」
「貴方は、敵ですか?」

隠すということをしない物言いに、ルックが呆れたように息を吐く。さり気なく紋章を発動できるように準備していてくれるところが頼もしい。
だから、リオウは好きに動ける。

「敵じゃない」

強い意思の籠もった声だった。迷い無く紡がれた言葉に、リオウは肩の力を抜く。
今度は、躊躇無くドアノブに手をかけ扉を開く。リオウの予想通り、扉の向こうのラズロはとても真っ直ぐな目をしていた。



「ありがとう」
「いいえ、どうぞ、入ってください」
ラズロが部屋に踏み入った瞬間、ルックの紋章の気配が消える。危険はないと判断したのだろう。
適当に座ってくださいと言ってベッドに飛び込んだリオウにラズロは曖昧に笑って、最終的に壁に背中を預ける。
「で、話って? 想像通りだとは思うけど」
話を切り出したのは意外にもルックだった。今までのぴりぴりとした雰囲気は何だったのか、いつもと変わらぬ上から目線の言葉だ。しかし覇気がない。やはりルックも辛いのか。
「想像通りだと思うよ、紋章についてなんだけど、まず君達はどこまで分かっているのかな」
「今近くに三つ真の紋章があること、そしてそれが妙な共鳴状態にあること」
「三つ?」
ラズロが疑問を口にすれば、ルックはぎろりラズロを睨んだ。聞かれたくないことだったかとラズロは口を閉じる。
「真の紋章には分からないことが多い、しかも一つは不完全だし、もう一つは安定していない……アンタのは、性質が変な感じだけど平気みたいだね」
「やっぱりばれてたか」
「それだけ騒いでれば嫌でも分かる」
困ったな。とラズロは本当に困ったような顔をする。別にばれて困るということではなく、むしろばれているとは思っていたが、どうも紋章の変化まで見抜かれているようで。
「不完全な紋章と、不安定な紋章が近づいて、さらにそこに他の真の紋章が介入しておかしくなったんだと僕は思うよ」
「解決方法は? 正直だるいって段階じゃないんだけど、これ」
リオウがベッドに突っ伏したまま言えば、ルックは、簡単だよ。とリオウとラズロにとって予想外の言葉を放った。
え、と二人から驚きの視線を受け、ルックは眉間に皺を寄せる。
「アンタたち真の紋章の持ち主だろ、それくらい解りなよ」
「え、無理無理、僕まだこれ宿してからそんな時間たってないし」
「私は……ずっと引きこもっていたから」
分かりやすく吐かれた溜息に、リオウは眉を釣り上げた。ラズロはリオウとは逆に眉を下げる。
仕方ないなと言った風にルックが言った解決法は、本当に簡単なものだった。
「原因になった紋章を引き離せば良い、もっと分かりやすく言えば、アンタが離れれば良い」
「私が?」
「そう、ただの共鳴をおかしくしてるのはアンタの紋章だ」
ラズロが無意識に自分の左手の甲を撫でる。悲鳴を上げ続けるのは、償いと許しを司る罰の紋章。
「そっか……でもどうしよう、今離れるわけにはいかないのだけれど」
「本当なら、不安定な紋章を安定させるか、不完全な紋章を完全な形にすればいい」
「不安定な紋章を、安定」
安心する。そう言って自分を送りだした少年は、制御に精一杯だったとラズロは思う。あれが不安定な状態だというなら、どうすれば安定させられるというのか。あんなに苦しそうだった少年に無理をさせて?
そこまで考えて、ラズロはその考えを捨てた。そんなことはさせられない。
「でも不安定な紋章はずっと前から不安定なままだし、不完全な紋章もずっと前から不完全なままだ、アンタが離れるのが一番早い」
ふと、ルックの言葉に引っ掛かり、ラズロはいつの間にか俯いていた顔を上げる。
「不安定なのは、ずっと、前から?」
少年があんな状態になったのは今日、おそらく別れた後からだとラズロは思う。それなのに、ずっと前から不安定だった、とルックは言った。
「そう、アンタの気配がその紋章の持ち主と一緒に居たから言うけど、あの紋章は前の持ち主から今の持ち主に変わって、一度も安定してない」
「ねー、ルック、僕のは?」
「基本的には安定してるよ、……アンタ、真の紋章の気配を感じるなら、あの紋章がおかしいことくらい解るだろ」
リオウとルックのやりとりは、ラズロの耳をすり抜けるばかりだ。
ルックの言葉を何とか理解し、次は考える。ルックは、前の持ち主から今の持ち主に変わって、と言った。
「私は、紋章の気配を感じられても違和感とかは解らないんだ、でも」
だが、ラズロは前の持ち主を知っている。だから解る。
群島で、少年に宿主を代えたソウルイーターに対した時感じたものを思い出す。
暗いばかりの闇。かつて見た金色の光はなく。
「……分かった、私が離れればいいんだね?」
「この妙な共鳴が終わった頃に帰ってくればいいんじゃない? 僕は後は知らないよ」
ソファーからベッドへ身を移し、ばさりと布団を被ってしまったルックに、リオウとラズロは顔を見合わせて困ったように小さく笑う。
「いいんですか、ラズロさん」
「うん、その代わり、少しの間ビッキーを連れていっていいかな」
「……ええ、いいですよ」
少し考えるような仕草の後、リオウは頷く。
ありがとう、とラズロはリオウに微笑み、今度はルックに向かってありがとうと言った。
「ビッキーはまだ起きてるかな」
「起きてるとは思いますけど……」
「ビッキーには悪いことをしてしまうけど、こういうことは早いほうがいいからね」
まだ肝心のビッキーに会っていないのに、ラズロは本当に申し訳なさそうな表情を顔に浮かべた。
リオウはそんなラズロに何か気のきいた言葉を掛けようと思ったが、口をきくのも辛い紋章の気配に負ける。結局、リオウはただおやすみなさいと呟くことしかできなかった。


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