変わる景色、変わらぬ景色。意図的に、残された風景。
 それは自分をここに縛るものなのだと、百五十年以上の時の中で思い続けてきた。
 自分を置いて逝ってしまうから、せめてと残された優しさに蝕まれていた。
 ここにしか自分の居場所はない。ここにしか思い出はない。自分が生きた世界がない。だから自ら望んで縛られ続けた。
 その優しさを忘れたくなかった、だから無抵抗で優しさに浸った。忘れないように、愛し続けるために。
 逃げ出そうとは思わなかった、と言えば嘘になる。死んでいく仲間たちを見て、全てを捨て逃げ出したくなったこともある。
 きっと逃げても誰も責めることはなかっただろう。それは分かっていた。
 これは、愛された証だ。愛されている証。悲しまないように。一人時代に取り残されたと嘆かないように。
 ここは帰る場所だ。少しくらい遊びに行っても、誰も何も言わない。
 ただ、いってらっしゃいと言ってくれるかもしれない。そして寂しくなって帰れば、おかえりと言ってくれる場所。
 少しの面影を残して、自分を受け入れてくれる場所。
 どうして今まで気付かなかったのだろう。ここを離れれば全てを失う気がしていた。
 しかし、闇が教えてくれた。かつて軍主でも罰の紋章でもなく、自分を自分として見てくれた少年と、その少年の友人が。
 もう縛られることはないのだと教えてくれた。ただ素直に愛されていればいいのだと、教えてくれた。
 そして、素直に愛せばいいのだと。教えてくれた。
 顔も声も思い出せない、名前も忘れてしまいそうで。時の流れは残酷だ。
 それでも愛している。たとえ全てを忘れたとしても、確かに愛しかった。それがどんな形であっても、――たしかに自分は愛されていた。
 今も愛し、愛されている。

 それから、懐かしい夢を見た。ぼやけることもなく、はっきりとした夢だ。
 むしろあれは情報といったほうがいいかもしれない。かつてあの兵器の恐ろしさを記録した不思議な箱のような、長く残り続ける情報。
 霧の船で出会い、友達にならないかと手を差し出した。
 そっけない態度で、最後は少し心を見せてくれた彼。
 一生のお願いだよと言う少年に少し意地悪をして、どうしようかなと言ったあの夜。少年の口から出た自分の名前が、とても特別なような気がした。
 幸せな夢から覚めて。ソウルイーターに戦闘以外で感謝したのはこれが初めてだと、ラズロは笑った。



「次にあった時はあなたの名前を教えてください」
 ティルの言葉に、テッドはそれほど驚いてはいない顔で問う。
「いつ気が付いた?」
「昨日の夜、夢を見てから。よく考えれば、あなたは自分の名前を呼ばれて反応するという感じではなかったから。知っている名前だから振り向く、そんな感じ」
 よく分かったねとテッドは笑う。ティルも笑った。
「じゃあ次に会った時にね」
「はい、次に会った時に」
 今教えたり聞いたりはしない。次に会った時、と言ってまた会う約束をする。
 長い時の中、生きていく支えの一つにするために。

「またねティル君」
「はい、また」
 赤い服に緑のバンダナ。黒の棍を背負った少年は船に乗り込む。そして甲板から手を振った。
 小さな、それでいて大きな英雄を乗せた船は、ゆっくりとオベルの港を離れていく。
 かみさまと呼ばれる人も、少年に答え手を振った。



「また、いつか」
 昔から変わらず青い海。仲間達が生きた海。
 一人では、怖くて近づくことができずにいた思い出に触れて、気が付いた。
「ちょっと残念なんだ」
 君に会えなかったのが。
「テッド」
 最初は警戒した。何故ソウルイーターを持つのが、彼ではないのかと。
 しかしソウルイーターが教えてくれた。テッドがソウルイーターを少年に託し、ソウルイーターも少年を宿主と認めたのだと。
 ――幸せだったんだろう? そうラズロが呟いた言葉は、風と共に海に溶けた。

×