(あれ……?)
 気が付けば視界一面黄金色。さわさわと肌に心地いい風が吹く。
(これ麦? なんだろうここ、見たことない)
 そもそも、自分は宿屋に居たはずだとティルは周囲を見渡す。
 麦、遠くに見えるのは海。水面は夕日で赤く染まっている。
(テッド……)
 揺れる金色は、テッドを思い出す色だ。その想いに反応したように、右手がちりちりと疼く。
 これはテッドの記憶か。それともソウルイーターの記憶か。
「綺麗……」
 こんな幻想的な風景は滅多にお目にかかれない。歩いてみようか、とティルが一歩足を踏みだした途端、世界は一変した。
「あれ」
 ぐるりと世界が捩れて、金色は一瞬にして長い道に変わる。今まで見えていた景色はどこにもない。
 黒、闇。果ての見えない、一本道。
 寒く、暗い。
「あ」
 小さな違和感に右手を見れば、ソウルイーターがない。何でとどうしようもなく不安になる。
 たとえ呪いだとしても、あれは。
 慌てて一歩踏み出せば、また景色は変わった。目に痛いくらいの青。
 空と、海。

「――……」

 その中、黒と赤を纏った人物がこちらに手を差し出しながら、言葉を発する。
 ざわざわする。何を言っているのか分からないのに、酷く動揺している。
 その人のことが気になり、ティルは今度は動こうと思わなかった。じっと眼を凝らすがその姿を、形を正確に把握する事はできない。
 そうしている内に、さらさらと砂のように、景色は崩れてしまった。

 右手には確かにソウルイーターの存在を感じる。
 再び構成された世界は、どこかの部屋だろうか。飾り気のないテーブルに椅子。ベッド。

「一生のお願いだよ」

 勝手に口が動き、言葉を紡ぐ。
 視線の先には、空と海の青の中で真っ直ぐに自分を見据えていた人がいて、少し驚いたような顔をしていた。
 といってもそれは感覚でしかなく、その人は霧がかかったようにぼやけてしまっていて。

「――」

 また、何を言っているのか分からない。聞こえないよ、とティルは言うが、声は出ない。

「――……」

 また勝手に口が動く。目の前の人の名前だろうか。その言葉に、ゆっくりと青が細められた。



「……おはよう?」
「あ……れ……?」
 ふわふわとした世界を合わせて、何度目になるか分からない疑問の声をティルは出した。少し、擦れた声だった。
 視線を動かせば、すぐにここが宿の一室だと理解できる。
「おはよう、でもまだこんばんはだから寝ていられるよ」
 テッドはまるで子供をあやすかのようにティルの頭を撫でていた。ティルは必死に働かない頭を働かせて言葉を紡ぐ。
「……寝てました?」
「うん、ぐっすり、声かけても布団の中に放り込んでも頭撫でても起きなかったよ」
 それは悪かったなと思うと同時にティルは驚いた。目の前で笑う人物には気配という気配がないが、まさかそんなことまでされて起きなかったとは。
 昔、まだ穏やかに日々を過ごしていた頃ならば分かるが、あの経験以来右手の紋章のこともあり、ティルは普通の人間よりも気配に敏感だ。
「すみませんでした……」
「お風呂から出たらベッドの上で潰れてるし何かと思ったよ、なんか呼吸も浅いし」
 私は一緒に泊まらせてもらう身だから、と先に風呂に入るようにと言われ、ティルは好意に甘えてありがたく先に風呂に入らせてもらった。テッドが風呂に入り、先に寝るのはどうかと思いどうしようかとベッドに腰掛け考えていた。――ところで意識が途切れている。うとうとした記憶もない。
「私も寝るからこのまま寝なよ」
「すみません……」
 いいよ、あれは仕方ない。と声が返る。
 また勝手に寝ようとしている頭を働かせて、眠気には誰も勝てないということかとテッドの言葉を解釈し、ティルは目を閉じる。
 最後に、とても穏やかな声音でおやすみという言葉が聞こえた。



「ソウルイーター」
 懐かしい夢を見せてその子をどうするつもりなのか。それとも、自分に対してこんなことをしているのだろうかと、ラズロは問う。
「分かっているよ、それがとても優しいって分かってる」
 でも、それじゃ駄目なんだと。テッドの仮面を被ったラズロは笑った。

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