「階段は気を付けてね、落ちたら大変だから」
 ぎしぎし悲鳴を上げる床を、テッドとティルはゆっくりと歩く。突然抜けるなんてことはないと思うが、やはり不安になる音だ。

 崖から命綱も無しにロープを垂らし、それを伝って甲板に降りるといった普通の人間ならばまずやらないであろう行動を見せてくれたテッドに続き、ティルも普通の人間ならばまずやらないことをやってしまった。
 テッドが突然ほぼ飛び降りる勢いで、むしろ落ちたのではないのかと思う早さで降りていった時には流石にティルも心臓が止まるかと思った。が、実際やってみればたしかに普通に降りるよりも少し落ちたほうが早い。ロープを離しては掴み、離しては掴み。
 普通の人間ならばまずやらない、ではなく。普通の人間ならばまずできないことなのだが、それに二人は気付かない。
 甲板にある扉から船内へと入り、テッドの案内で中を進む。ティルの前を歩くテッドは嫌な音の鳴る床を一歩二歩と慣れたように進んでいた。
「大きな船ですね」
「うん、港を塞いじゃうくらい大きいよ」
 階段を下りながら、今の港は大きいからそれは無いかなと子供のようにテッドは笑った。ティルは小さく微笑み返す。
「百五十年、前の船なんですよね」
 整備をしているにしても木造船、何十年と時が過ぎてここまで綺麗なのは異常に思えた。ぎしぎしと床が音をたてる以外に欠陥は無く、嫌な音をたてるわりに床が抜けた跡などは見当たらない。
「この船を作った人の腕が良かったんだよ、それに、この船は海の加護を受けてる」
「海の加護?」
「そう、海の加護。ちょっとこれは言えないんだけど、特殊な強化が施されてる」
 それは現在の整備で施されたものなのかと聞けば、違うとテッドは首を横に振る。
「ずっと昔、この船が戦争に使われていた頃の話だよ。今はちょっとした整備しかしていない」
 約百五十年前の技術と少しの整備で、ここまで綺麗なものなのかとティルは疑問を深めた。しかしこの世界には真の紋章を含め理解し難いものが数多く存在する、それにティルは船に対してあれこれ言えるほど詳しくはない。
 特殊な強化の詳細が話せない以上、この綺麗な船の謎について聞くことはない。そうなんですか、と一言呟いて、ティルはテッドの後を追った。


 階段を下った先にあったのは広く開けた部屋だった。上にも似たような部屋があったが、見目から察するに少し利用目的が違う場所のようだ。
「ここが船の中心、かな。ここにお店とかがあって、奥にはお風呂がある、生活の中心だよ」
「へぇ……」
 かつてたくさんの人が生活していたであろう場所、当たり前だが今はそこに生活の気配はない。壁に貼られたもう読めないポスター、カウンターに置かれた欠けたカップ。少しだけ残された誰かがそこにいた証拠が、なんだか寂しい。
「何もありませんね」
「うん、特に気になるってものもないでしょう? 見学にもならない」
 もう何もない、この船はぬけがらだよ。言葉に似合わない、とても愛しそうな声でテッドは呟いた。





 ティルという少年に船を案内する途中、まだ、朽ちずにあるのかと、ラズロはそれを撫でた。
 百七刻まれた名前はかつての友の名。そして全てを導く一、天魁には自分の名。
 微かに残る確かな生きた証、生きている証。それは甘く優しく、しかしまるで毒のようで。
 じわじわと染み渡る毒が、ラズロを生かし、縛っていた。

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