懐かしい闇の気配。しかしその闇は墨のような黒で。
 ――何故、と首を傾げる。色濃く感じる死に、かつての生の気配は感じられなかった。



「ティルさんはなんで観光に? あの船はもう朽ちるのを待つだけの船ですよ」
 二人並んで、歩きやすいとはいえない道を歩く。整えられてはいるようだが、所々崩れてしまっている道だ。
 進行方向右手には果ての見えない海が広がる。崖に沿うように存在する道は海風を遮るものが何もなく涼しい。群島の暑さに少し疲れていたティルは、これで魔物が出なければ最高なのにと思った。
「親友がよく見てたんです、歴史書」
「群島の?」
「全体ではなく、群島解放戦争に絞られて書かれたものでした。本は好きみたいだったけど、その本は本当に何度も何度も読んでいて」
 ティルの言葉を聞き、不思議そうな、しかし別の感情が入り交じったような顔でラズロは首を傾げる。ティルはラズロの人間らしい表情を初めてみたような気がした。
 人間らしいところを見て気付いたが、テッドは表情も雰囲気もどこか人間らしくない。人間とよく似た別の存在のようだ。
「群島解放戦争が好きだったのかな、もしくはリノ・エン・クルデス好き?」
 ティルは戦争が好き、はありえないと断言できる。テッドは知識のために戦争の本も読むが、基本的に戦争という事柄には触れたがらなかった。戦いも避ける性質であろう。
 リノ・エン・クルデス、軍の頂点に立ったといわれるオベルの王。彼が好きだから、も違う気がする。もしかしたら本当にリノ・エン・クルデスに憧れていたのかもしれないけれど、それは本人にしか分からないし、本人はもういない。
「どっちも違う……と思います。何だか優しい、遠い……懐かしそう、っていうのかな、そんな顔をして、あの船の絵を見ていて」
 ティルの指を追って、ラズロの視線が動く。指が示す先に、船は静かに存在している。
「昔あの船を見たことがあるのかなとか、何を思ってたのかなとか、それを、知りたくて」
「……大切な人なんだね」
 ラズロが静かに微笑む。今までの笑顔にあった作り物のような雰囲気はなく、本当に優しい笑みだった。
「はい」
 大切な人だ。何があっても変わることはない。今も、大切な親友。
「さてと、どうする? 本当に近くで見たければちょっと無茶をしなきゃいけないのだけど」
「無茶?」
 道の終わり(まだ先があるようだが先は洞窟だ、船を見るのに用はないだろう)でラズロはくるりと体を反転させ、ティルに問い掛けた。今の場所からでも、十分近くに船が見える。さらに近く見える場所があるのか、と視線を走らせ探したが、そのような場所は見当たらなかった。
「船の床が抜けるかも?」
 え、とティル本人も意識していなかった声が空気を震わせる。
「入ってみる?」
 ティルは咄嗟に頷いてはいたが、言葉の意味を正しく理解できていなかった。



 墨のような黒。そこに金色の光は存在していなかった。
 死に満ちたその紋章は、かつて確かに生も秘めていたというのに。

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