もう二つ果物を買い、ティルは女性に別れを告げて王宮へと続く階段を上がっていた。
 ――下では微かにしか見えなかったが、階段を上りきった頃には海と空との境界線がはっきりと見える。

「そこから見える景色はオベルで一番綺麗なんだよ」

 ふと穏やかな声を辿る。道の端に、男性が静かに立っていた。
 少年とも、青年ともいえない姿。白いゆったりとしたローブを身に纏い、手には顔にも服装にも似合わない二本の剣を持っていた。
 海風になびく髪の色は砂浜のような色。目の色は空や湖、とティルは思ったが、それよりも深い、青。

「空と海、人々の生活笑い声、それがここからは一望できる」
 ティルに歩み寄り、ふわりと音無く男性は塀に飛び乗った。視線は、海に向けられている
「……かみさま?」
「あれ、旅人だと思ったんだけど、地元の人かな?」
 こてん、と男がしても可愛くないだろうに、可愛らしく首を傾げ、男性はティルに問い掛けた。
「いえ、観光に来た旅人です」
「そうだよね、雰囲気が違うもの。うん、私をそう呼ぶ人も多いね」
 男性は頷きながら一人で話を進めた、何だかティルの知らない雰囲気を纏っている。
 だが、テッドが、どこか遠くを見るような目をしていた時の雰囲気に似ているかもしれないと思う。
「……普通の人ですね」
「私は人だよ旅人さん。観光……王宮を見に来られたのですか?」
「いえ、それもあるけど……船を」
 男性は再び首を傾げ、セイレーンを? と呟いた。
 ティルは、セイレーン? と、失礼だとは思ったが質問に質問で返す。
「あぁ……あの船を見に来たんでしょう? セイレーンという名前なんです」
 男性はゆっくりとした自然な動きで、今まで見ていた海とは違う、左手の方の海を指差す。先には木製の大型船があった。
「群島解放戦争の中心となった船だよ。観光で見るような船といったらあれくらいしか私は知らないのだけど……」
「あってます、それを見にきました」
 ティルは男性の言葉に頷き答えた。男性はその言葉にやわらかく微笑む。
「近くまで行くんですか? なら案内しますよ」
「え」
「私は特別に一人でもあの船に近づく許可が……、あるんです」
 ふっと微笑みながら、男性は変なところに間を置き言葉を紡いだ。
 ティルは微かに首を傾げたが、すぐにこれは好都合だと考え、ぜひお願いしますと返事を返す。
 ティルの言葉に男性はにこりと笑うとティルに右手を差し出してくる。この男性に会ってから何度も思ったが、ティルはまるで男性の周りは普通の人より時間がゆっくりと流れているように感じた。
 雰囲気が、動作が、とてもやわらかい。
「テッドです、よろしく」
 名乗られた名と、差し出された右手に戸惑い、ティルは固まる。
 男性はこの世のものとは思えないような優しい笑顔を見せていた。
「テッド……さん?」
「うん?」
 ティルは、一呼吸置いてから右手を差し出す。ずくり、と右手に宿る死神が疼いた様な気がした。
「いえ……僕の親友が、同じ名前で」
「そうなんだ、珍しくない名前なのかな」
 握られた手から伝わるあたたかさは、生きている者の証だ。じんわりと伝わる熱に、ティルは緊張がほぐれていくのを感じる。だが、油断はしていない。
 テッドの名前を聞いても、握手をしても、ここまで動揺することは今までになかった。たしかにソウルイーターを継承してからは右手で人や動物に触れるといった行為に戸惑いを感じることもあったが、人に戸惑いを感じ取られることは無かったはずだ。
 しかしティルの目の前で穏やかに微笑む男性は、確実にティルの戸惑いを感じ取っている。
 かみさまと呼ばれ慕われる、青年とも少年とも言えない男性。どこか、普通の人とは違う雰囲気。
 くそ、とグレミオが聞いたら泣きそうな言葉を心の中で吐き捨て、ティルは男性の手を強く握り返した。
「ティルです、よろしくお願いします」
「うん、よろしく。どうする? すぐに行く?」
「テッドさんがよければ」
 ならすぐ行こうと男性、――テッドは握り合ったままだったティルの手を引っ張った。
「うわっ!」
 突然の強い力によろめくティルに笑いかけて、テッドは足を進める。二、三歩で体勢を立て直したティルは相変わらず手を引いて歩くテッドに続く。
 初対面、印象は良くも悪くも無かった。不思議な人、変な人。とてもではないが、好きや嫌いでは表せないような人だった。

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