ティルは背丈ほどある黒い棍を背負って船を降りる。オベル王国も今まで見てきた島のように活気に満ち溢れていた。
「ありがとう」
 軽く頭を下げ船員に礼を言う。とても気持ちの良い笑顔を返され、ティルも満更ではなかった。
 きょろきょろと、あきらかに余所者だと分かるような動きでティルは周囲を確認しながら坂を登り道を歩く。港はイルヤよりも小さく見えた。
(小さい……いや、古き良き風景か。しかし群島諸国の中心がこれでいいのか……)
 オベルの風景を見て、港から町の中へ続く道を歩きながらティルはつい戦時の癖で考えた。今ティルが歩いている道も歩きやすいよう手が加えられてはいるが狭い。港から続く道はこの道一本らしく、不便に思える。
 しかし、それがどうもティルには意図的なものに思えて仕方ない。わざと中途半端に便利で不便にしているような。
 攻め難さ、ということも考えられるが、何か別の意図を感じるのだ。
 素朴なあたたかさがある。グレッグミンスターとはまた別のあたたかさをティルは感じていた。

 視界が開けると道端にテントを張り、店を開く人々がいる。良くも悪くも開放的な印象だ。今までティルが渡ってきた島のように、やはり人々は気軽に声をかけてくる。
「お兄さんどうだいひとつ、おいしいよ!」
「ひとつもらうよ。その代わりに聞きたいことがあるんだけど」
「なんだい?」
 果物ひとつ分の金を女性に渡し、赤く熟した果実を受け取る。それは群島諸国のような温暖な気候の土地でしか味わえない果物で、そのまま噛り付きたいと思うが自らの育ちの良さがティルの衝動を抑える。
 気安く、ティルが何を聞こうなんて考えていないような態度で女性は首を傾げ、ティルに先を話すように言った。
「群島解放戦争で使われた船が見れるって聞いたんだけど、どこで見られる?」
 女性はすぐに島の先の階段を指差した。そうしてティルに言葉でも答える。
「上だよ、王宮横の道の先にあるんだ。ただ船は王宮前からでも見えるし、道には危ない魔物も出る」
 それと随分昔に作られた道だから、崩れかけている場所もあり滅多に近くで船を見ようなんて人はいないのだと、女性は言った。
 ティルはその言葉に首を傾げ、滅多に? と女性に問い掛ける。
「じゃあ通行が禁止されてるわけじゃない?」
「兵士さんが一緒ならね。なんだ、お兄さん行くつもりかい?」
「それ目当てだから」
「はー、今時あの船に進んで近づこうなんて、整備士と神様くらいだと思ってたよ」
 女性の言葉に、ティルは再び首を傾げる事となった。
「かみさま?」
 ティルの言葉に、女性はそうさと笑いながら頷く。
「群島の神様だ、遺跡に籠もったり海に出てたりで見ることは少ないけど」
 さらに首を傾げながらティルは頭の中で情報を整理する。
 しかしやはり意味が分からなくて、口を開き問う事にした。女性は悪戯が成功した子供のように笑っている。
「かみさまは、人? 実在してる?」
「あぁ、見た目は人間だ。私たちと変わらない」
「見た目は? まさか人間の姿をした何か別の存在?」
 ティルの問いに女性は困ったように笑う。そうして、誰もよく知らないんだ、と答えた。
「本当に神様は変わらないんだ。何年、何十年とたっても変わらないんだよ、ずっと子供とも大人とも言えない姿のままだ」
 まるで老人のような雰囲気と全てを悟ったような性格。海に対しての深い知識と理解、そして何より、海に愛されている。だから神様と呼ばれ、時には龍神や海神の落とし子とまで呼ばれているのだと女性はティルに話した。
 明るく気さくな女性が神様のことを話す時は、静かに優しく、とても大切そうに話す。その神様は皆から本当に愛されているのだと感じられる。はじめて神様の存在を知ったティルが頬をゆるめ、大切な方なんですね、と言ってしまうくらいにはその神様は愛されていた。
「大切な方だよ、今は遺跡に籠もってるんじゃないかな」
 遺跡、という言葉にティルは群島諸国案内誌に書かれていたオベル遺跡を思い出す。中には危険な魔物が存在し、入るには許可が必要だと書かれていたはずだ。今はほぼ許可が出ることはない、とも。
「神様って……何者?」
「私たちにも分からない。でも長い間この国と共に在って、愛されてきたことは確かだよ」
「貴方は見たことがあるの?」
 女性は嬉しそうに頷く。人なのかは分からないけど、どんな人? とティルが問うと、女性は、人間とは思えないような存在、と笑いながら答えてくれた。
 顔を見合わせ、二人で小さく笑う。
「でも本当に不思議な雰囲気でね、ふわふわしてるんだけど確かな存在感がある。でも存在に気付くまではまったく存在感がない」
「矛盾してる」
「会えば分かるよ」
 会えるかな? とティルが問えば、すぐに、会えるさ、と返事が返ってくる。
「お兄さんなんだか神様と似てるから」
「そう?」
「そんなところが似てる」
 再び二人で小さく笑う。女性は、あっ、と呟いた後、神様はね、と言葉を続けた。

「神様はね、海のような目をしてるんだ」
 色もそうだけど、感じが。と。女性は今は穏やかなオベルの海を見ながらそう呟いた。

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