1から100年後くらい。









同居人であるラズロは料理が上手い。
今もとてもいい匂いがしている。

(グレミオのシチューにはかなわないけど)

一度そう言ったら、お母さんの味に勝てるわけないじゃないと言われてしまった。
そんなラズロが今作っているのはシチュー。シチューが食べたいとねだったのは自分。





「ティル」
ジャガイモと玉ねぎの入った木の箱に腰掛けながら本を読んでいたティルをラズロが呼ぶ。
緑色のシンプルなチェックのエプロンを身に纏い、シチューをかきまぜるラズロにティルは本から視線を移した。ラズロは微笑みながら小皿を差し出し、ティルはゆっくりと本を閉じる。
「味見?」
「あじみ、そろそろ合格点が欲しいな」
「いつもおいしいよ」
「グレミオさんには勝てないんでしょ?」
「あたりまえだ」
ティルはいつも通り誇らしげだ。
ラズロはくすくすと笑いながら再び鍋へと向き火加減を見る。ティルは味見にしては多めに盛られたシチューを渡されたスプーンですくって口に運んだ。
とろとろとしたシチュー。ほくほくのジャガイモにニンジン。適度に歯応えの残っている玉ねぎ。
「おいしい?」
「おいしい」
「グレミオさんのシチューより?」
「それはない」
グレミオのシチューは特別。とティルはシチューを口に運ぶ。ラズロは嘘偽りの無い笑顔で私もまだまだだねと呟きながらサラダの準備に取り掛かった。

正直、ティルはシチューの味など憶えていない。もう百年以上前の話だ。
あんなに大切だったのに、今もとても大切なのに、忘れてしまう。
今日はシチューですよ、と笑っていた顔も、声も。
紋章を託して死んでいった親友も、この手で命を絶った偉大な父も。
天魁の星に集った仲間も。今では酷く曖昧だ。
ティルの目の前で夕食の準備をしているラズロはそろそろ三百歳になる。もうなっているかもしれないと笑った顔は少年そのものだったが、正体は長い時を生きて、人では無くなってしまったものだ。
ティルとラズロの付き合いは百年程度だが、いまだに互いの知らないこと、話していないことがたくさんある。

「…うっわ…! な、何?」
考えれば考えるうちにもやもやとしてきた気分を吹き飛ばすように、ティルはラズロの脇腹に手を添えくすぐった。
驚いているラズロを笑いながら小皿とスプーンを返す。今の状況がまったく分かっていない様子のラズロは差し出された小皿とスプーンを反射的に受け取る。
その反応にさらに笑みが深くなるティルに、我に返ったラズロは拗ねたように目をそらした。
「昔グレミオによくやったんだ」
「誰の入れ知恵? お坊っちゃんが」
テッド、とティルが言えばラズロは少し驚いたような、複雑そうな顔をしたあと微かに笑みを浮かべる。
「私の知っているテッドからは想像できないな、本質は違うだろうとは思ってたけど、悪戯なんて」
「僕も想像できないな、無愛想なテッドなんて、初めて会った時はそんな感じだったけど、よそよそしいっていうか」
「おかしいね、想像できないって言ってるのに想像できる」
いつものようにラズロは笑う。笑いながらティルに皿を手渡した。今度は小皿ではなくシチュー皿。
「さ、夕飯にしようか、お皿持っていってくれる?」
もう自分達のことを本当に知る者などいないだろう、それでもいいとティルもラズロも思っている。人という存在から外れた時間の流れ、それもまたいいと。
「ラズロのシチュー好きだよ」
「グレミオさんの次に、でしょ?」
「グレミオのシチューは一番、特別、でもラズロのシチューも同じくらい特別」
「まったく、そんなこと分かってるから早くお皿持っていって」
「はーい」



笑って、笑って、幸せになりましょう


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