「ごめん、こんなことに付き合わせて」
「そう思うなら少しはじっとしてるってことができないのか、軍主様は」

 ラズロの言葉に、まだ少年特有の甘さの残る声音でテッドが言う。しかしその表情はその声の甘さに似合わず、また態度も言葉も鋭くラズロを責める。ラズロは肩をすくめて、「落ち着かないんだ、ただ寝てるって」と堂々と休息を拒む言い訳をした。

 オベル奪還のその日から丸三日、ラズロは自室のベッドの上で死んだとも生きているとも言えない状態で安置されていた。息はしている、心臓も動いている、灰にもならない。だが目覚めることのないその体を、軍師の命令で船の乗員たちは慌てラズロの自室へと隔離した。
 生きてはいるが、体温は随分と低い。真の紋章の力を解き放ち、倒れて物言わぬ軍主の監視をテッドは言いつけられた。どうやらラズロ本人が自分に何かあったときはそうするようにと指示を出していたらしい。
 ――確証は無いけれど、テッドにこれはうつろわない気がする。テッドが巨大船ティアマトに乗船して暫く、そう告げられたのを覚えている。
 その感覚は、おそらく間違いではない。テッド自身、罰の紋章は決して自分を選ばないだろう。と、理由も分からず、しかし感じ取っていた。右手に宿った死神がラズロの命をかすめ取ることはあっても、である。
 テッドはラズロにソウルイーターの話をしたことがない。故にラズロはテッドが抱えるその呪いのことを何一つ知らない。正直なところ、罰がテッドに移ろわないからといって監視役として選ばれるのは遠慮してもらいたい事だった。冷たいその体から、いまにも魂を奪おうとする紋章とテッドは生きているのだ。
 まだ大丈夫。それほど大切に思う相手でもないだろう? そんな言葉は、あの霧を鮮烈な青が切り裂いた日から既に無い。死神はラズロの魂を欲していて、だが不思議なことに未だに鎌が振り上げられることはない。
 もしも、もしかしたら、なんてありえない。だがテッドも、思ってしまう。ラズロはソウルイーターに喰われないかもしれない。なんでだろう。今にも喰ってしまうかもしれないという恐怖は消えていないのに。
 冷やしてもいないのに冷えきったラズロの額。手袋越しに触れ、顔にかかった髪をよけてやりながら、テッドは三日間考えた。結論など出なかったのだが。

 ラズロは目覚め、開口一番「あれから何日経った? 戦況はどうなっている?」と軍主の顔をして聞いた。おそらく相手がテッドであるという認識も薄かったのだろう。それからすぐに体を起こそうとするもので、テッドはラズロをベッドへと戻すのに苦労した。三日も寝たきりの人間が即座に歩き回ろうだなんて気が狂っている。この時何より優先すべき医師の判断をあおぎ、まずは食事、体力が戻れば風呂にも入りたいだろう。そして軍師への報告、指示を待つのが正しい。
 ラズロは大人しくなると、無表情で自分が倒れたあとの話をするテッドの声を聞いていた。そして聞き終わると言った。

「そうか、リノがどうにかしてくれたのか」

 と。無機質な声だった。軍主としての顔をしているとき、ラズロは誰のことでも呼び捨てにする。普段は敬意を持っているのだろうオベルの国王や、海賊たちを一纏めにする女海賊のことも。テッドはその顔があまり好きではない。テッドがラズロに見た光は、強さは、決してそういった顔や態度に見るものではないと思うのに、どうしようもなく惹かれる己がいることを否定できないのだ。苛烈で、燃え尽きることのない炎。穏やかな海の色が、己を燃やしてでも一等輝く星の形を見せるその瞬間。
 報告を聞いてやってきたユウによる検査を受け、ラズロの体に問題が無いことは証明された。おそらく体に熱も戻っていたのだろうが、診察の際、部屋の隅に居たテッドはその熱の温度を知らない。

 そうして本人としては不本意に数日寝込んでいたラズロだが、どうにもこの軍主は大人しくしているということが出来なかった。掃除くらい、見張りくらい、料理くらいできるよ。と言って聞かないのだ。ついには軍師に怒鳴られ酒瓶を振られ追い立てられ、自室へと閉じ込められてしまった。
 そんなに暇ならこれを読んで勉強でもしておくんだね――ラズロが最後に聞いたエレノアの言葉である。自室に閉じ込められたラズロは腕の中に、少々初心者向きではない兵法書やら群島にある島々の独自の習慣、決まり事に関する本を抱えていた。

「戦うとか、体を動かすことは良いんだ。軍主という立場に立ってはいるけれど、これまでこういったことの大半はリノさんやエレノアがやってくれていたから……苦手で。そもそも俺にはそれほど学が無い、字が書けているだけで褒めてほしい」
「褒めてやろうか?」
「……いい、そんなことで褒められても、みじめだなって、たまに思う」

 素直に褒められておけば良いものを。字が書ける人間のほうが、世界の情勢を思えば少ないだろう。ましてや立派な学舎がある町などほんの一握りだ。ラズロは群島から出たことがないから、その事を知らなかった。
 羊皮紙をペン先が引っ掻く音が、静かな部屋に響く。羽ペンが動く速さはお世辞にも速いとは言えない。書いては止まり、悩み、少しずつ文字が綴られていく。
 それはテッドから見ても少々複雑な事の書かれた書面であった。百五十年ほど生きているとはいえ、テッドもラズロと同じく本の中の知識を学ぶための学舎に通った記憶は無い。ラズロと立場はそう変わらないが、それでも生きてきた中で学んだことはラズロよりも多いだろう。ラズロは今まで見たこともない文章に呻きながら、必死に内容を理解しようとしている。
 オベル王国がクールークの支配から開放されたことで、ついに群島の島々は本格的に手を取り合う日がやってきた。それは共に戦いましょうという話であったり、貴方を後ろから撃ちませんよという契約であったり、もしもの時は負傷者の受け入れなど手を貸しますよという約束であったり。
 ラズロがどれだけ「この船にはリーダーと呼ぶべき人間が複数居る」と言い張ったところで、軍を率いる軍主はラズロ以外に居ない。権力を持たず、どの組織にも国にも所属せず、そういった立場のラズロだからこそ群島の島々は協力してくれる。しかしラズロを見て、己より下だと侮られ嗤われているのだと、傀儡だと嘲る者も中には居るだろう。だが少なくとも、テッドは間違いなく、軍主がラズロだからこそ戦争になど手を貸している。こいつのためなら、命を奪ってやろう。そうしても良い。そう思い、船に留まっている。
 だがしかし、だからこそラズロはいま現在困っていた。ラズロは字を読むことは出来ても、書くのがあまり得意ではなかった。

「みじめって……」
「字は、……子供の頃、スノウが、教えてくれて、騎士団でも座学があったから少し学んだけれど、殆どの人が読み書きに困ったりなんてしていなかったから、出来ないことを隠していたこともあった」
「なんでまた。素直に言えば教えてもらえただろうに」
「……ぼくは立場としてはフィンガーフートの家の小間使いで、スノウたちの顔に泥を塗るわけにはいかなかった。簡単な読み書きも出来ない、計算も出来ないと言われるほどではなかったから、隠すのはそこまで苦ではなかった」

 エレノアを軍師としてからはそんな甘え許されなくなったけれど。それは勉強を嫌がる子供のような台詞であったが、喜びの響きがあった。
 だが同時に、ラズロが苛ついているとテッドは感じる。スノウ・フィンガーフート。何度かテッドの前でもラズロの口から出た名前。彼の話をするとき、ラズロはいつも不機嫌そうな顔をする。それは普段、テッドが知る限りスノウに関することでしかラズロが見せない顔だ。ぼく、とどこか幼い声音で、己を示す言葉すら変わっていることに自覚はあるのかどうか。

「ラズロはおつかいに行ったりするだろう? そう言って、分からないと困るだろうからと、フィンガーフート家に仕える使用人たちがぼくに教えてくれる以上のことを教えてくれたスノウを、疎ましく思ったことがないとは言えない。それこそ、おつかいに行かなきゃいけないのに、と思ったりしたこともある」
「完全な善意だが子供らしく相手の都合を考えない、と」
「うん。……兄のように、振る舞うスノウのことを疎ましく思ったことが、ある。……でも、俺に良くしてくれたグレン団長や、騎士団の先輩方を疎ましく思うようなこともあった。そんな風に俺とスノウを比べたりして、俺とスノウとの関係を悪化させないでくれ、と。心の中で思ったりした」

 ラズロの書く字は整っている。が、他の人間が書く字に比べると、少し幼い。描き慣れているのに、描き慣れていないとでもいうのか、字を覚えた経緯を聞けば納得する。おそらくラズロの字は、幼いかつての主が書いた字をそのままを再現しているのであろう。

「君の良い奴ぶってるところが嫌い、テッドも聞いただろう。あの言葉を聞いてから、思うんだ。前に、グレン団長のためにスノウと特効薬を探しに行ったんだけどね、スノウはその特効薬をどう言って団長に渡すか、全てをぼくに委ねてしまった」

 今日はよく喋るな、と思ったが、テッドは言葉の続きを促すようにひとつ頷いた。ラズロは決して視線を手元の書面から逸らすことが無かったが、青色が不安定に揺れて瞬いた。

「あれは、ぼくが嘘をつくことを考えていなかった、とか、スノウがそういう悪意に疎いとか、純粋とかではなくて、……良い奴ぶってる君ならそんなことはしないだろう? という、スノウなりの嫌味だったんじゃないか。とか」
「……どう思うんだ? 本心としては。俺より、お前の方が分かってるはずだろ」

 付き合いの長さが違う。だがラズロは、分からないと首を横に振って、自分はずっと自分に都合のいい夢を見ていたのかもしれない。と囁いた。

「……本当に分からないんだ。……この紋章を得て、得るものはあったと思う。でも、たまに考えてしまうんだよ。もしもラズリルを追われることなく、スノウに仕えて、一生を終える。なんて人生のことを」

 やっと一枚。ラズロはかつての親友が書いたそのままをなぞった己の名前を見つめ、インクを乾かすために机の隅へとそれをよけて置く。
 次の書面も難題だ。何しろナ・ナルは島の中では既に意見が二分されている。エレノアから借り受けた本を開きながら、慎重に文面に込められた意味を理解する。「こっちも見ておいた方が良いんじゃないか?」と、ラズロが一枚目を仕上げる前に目を通しておいてくれたのか、テッドは数枚の紙を寄こしてきた。癖のある字でラズロの助けになるだろうことが書いてある。感謝の言葉と共にそれを受け取ると、テッドは今まで読んでいた物とは別の本を手に取った。

「……この通り学がないから、もしスノウが心を寄せるような子が現れて恋文の代筆を頼まれたとしても、気の利いた言葉のひとつも出てこなかっただろうと思う」
「それは、知識があっても向き不向きがあると思うが……」
「……そういうことでもたぶん、スノウは俺に下であることを望んでいた。特に比べられることを嫌がってた。同時に俺がスノウの所持物であることを疑っていなかったから、俺が褒められると自分の事のように喜んだこともある。……でも俺だって、スノウは俺がいなければ駄目なんだろう。と、信じ込んでいた。……スノウは、俺の世界の全てだった。だからスノウに、俺のためにそうあってほしいという願望を、押し付けていたのかもしれない」
「自分の存在理由か……そんな大層なもの、たぶん、誰も与えちゃくれないさ」

 テッドは容赦がないな。とラズロは本当に困ったように肩をすくめてみせた。ゆらゆらと揺れる青色に、火の粉がちらつくことはない。
 本当にその通りなのだろう。とラズロは途方にくれたような声で言った。そんな大事なもの、きっと誰も与えてくれない。この紋章を得てから、得るものは多くあった。しかし事実を言ってしまえば、自分は最初から何も持っていなかったのでないか。

「ガイエン海上騎士団は、正式な騎士になった時に証を貰えるんだ。別に材質としてはそれほど特別なものではなくて、身分証明のため……のものだけれど、それを与えられて初めて正式な騎士を名乗れる」

 でも自分はそれを持っていない。

「町で聞いただけだったけれど、鉄だったか、何かが俺が騎士になった当時不足していて、正式な騎士の鎧すら出来上がっていなかった。見習いのものより脱ぎにくくなっているらしくて、いざという時は船と運命を共にする。そういう覚悟を表した鎧だそうだよ。でもその鎧を身に着けるのを待たずこれを宿して、俺は海に流されることになった」

 私服と剣と、少しの食糧だけを持って漂流し、暫くの間はゆっくりとものを考える余裕も無かったが、仲間が居たから頑張れた。しかしいま思えば、自分を生き長らえさせるためだけの船に食料、そんなものよりも、どうしてもあの鎧と騎士の証が自分は欲しかったのだと少年らしい声音が語る。
 なんで? と同じく少年らしい声音でテッドが問えば、またこれにもラズロは己の答えを知らぬような顔をした。

「……何でだろうな。父親のように慕っていた人に、立派な騎士になったところを見せたかったのか……騎士になれば、……堂々とスノウのとなりに立てるなんて、そんな夢を見ていたのかもしれない」

 そして、言ってからラズロは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。自分が流刑になった理由とも言える相手だというのに、流されたその瞬間に求めていた夢がそんなものだったなんて。自分への嫌悪感が、スノウに対しての感情よりも上回った。
 ラズロは使用人としての育ちからなのか、基本的に上手く利用されようと、騙されたとしても、人を憎くは思わない。スノウに対して複雑な感情を抱えるが、分かりやすく責めたりもしない。ただ代わりというように、そうした悪感情を己へと向けることだけは一人前だった。
 きっとこの関係は正常ではない、不健全だと分かっていた。だから誰から見ても正しいものにしたかった。自分が騎士の立場を得たならば、たとえそれがフィンガーフート伯の支援あってのものだとしても、小間使いよりもずっと世間的な立場が良くなる。スノウと比べられることがあってもそれは騎士の技量であって、得手不得手であって、何もスノウが傷ついたり悲しむことではないのだと。遠回しに小間使いより劣っていると言われ悔しい思いをすることなどないのだと。
 何て馬鹿な、甘い夢を見ていたものか。

「……分かっていたんだ。スノウを楽にしてやる方法は。そんな風に自分がスノウと同等の立場を得て並び立つのではなく、目の前から消えてやるか、とことん落ちぶれるかするまでこの確執はなくならないだろうと、分かっていた」

 そこまで言って、ラズロは再び眉を寄せた。スノウは自分がそんなことをしたら、そんなことになったら、悲しんでくれる優しい人なのだと。流刑にまでされておいてまだ諦めきれていない。確かに自分であるのに、自分ではない誰かが言う。頭の中でうるさく、罰の紋章を行使したときの断末魔の悲鳴のように。

「……そうだな、まあ、あれだ、戦争が終わったら、ちょっと旅に出てみるのも良いんじゃないか」
「……旅?」
「離れてみたほうが関係が上手くいくと思ったんだろ? 群島に居たってもう会うことはないかもしれないけどな、旅行するなら良いところがいっぱいあるぞ」

 首は切っていない。しぶとく目の前に現れる。だが、少しの荷物と小舟で大海に流した人間が生き残れる確率など、たかが知れている。スノウの生死を思うと妙に頭の中の叫び声が大きくなる気がして、ラズロはテッドの言う旅のほうへと思考を無理矢理ずらした。

「……無理だと思う」
「なんで」

 テッドが眉を寄せて聞く。後ろ向きな発言ではあったが、表情的に何か勘違いをされたようである。

「……先程も言ったけれど、文字が書けないんだ。読むのが精一杯。もちろん、群島諸国の外の土地の言葉なんてもっと知らない、はなせない、かけない、読めない。そんな状態で、どこに行くって言うんだ」

 ラズロはテッドが眉を寄せた理由確かに、この戦争を生き残れるとは思っていなかった。だからこれも、甘い夢の話だ。しかしそんな空想を、あり得ないと切り捨ててしまうほどもう子供でもなかった。

「あー……じゃあ挨拶くらいは教えてやるよ、クールークは……微妙か、俺も知ってる言葉には限りがあるから、その先の赤月帝国あたりで使われてるやつが良いか。ファレナはそこそこ群島の言葉が通じるし……挨拶と、ありがとうとごめんくらい話せて読めて書けたら、意外と困らない」

 そのあたりなら同じ言語を使用する土地が近いから安心だろ? とテッドは言った。そうして、不要になった……と言えばまだ聞こえは良いが、ラズロが書き損じた紙に赤月帝国の字を書いていく。癖はあったが、群島などの文字よりもずっと書き慣れているようにラズロは思えた。

「赤月のあたりはハルモニアの支配下だった時期もあるからな。もっと上のハイランドとかもそうだけど、結構同じ言語が通じる」
「へえ……群島なんてこんな近い島と島ですら文化が違っていていま苦労しているのに」
「文字くらいで植民地だった時代が肯定されるわけじゃないけどな。……良いと思ったところは、良いと思っとけば良いさ」
「テッドは博識だね。時々驚いて、はっとするほど賢くて知識がある」
「……間違ってても怒るなよ」
「怒らないよ」

 おはようございます。こんにちは。こんばんは。ありがとうございます。ごめんなさい。それにいくつか便利そうな言葉の組み合わせを、かつてスノウがそうしてくれたようにテッドが紙に書き記していく。戦争を終結させ、出来ればクールークとも和平を結べたら良い。罪のない民たちの平穏を、無駄に脅かしたいわけではないのだ。
 そうしたら、交渉のためにクールークへと足を踏み入れることもあるかもしれない。そして話がまとまったら、お飾りの自分は赤月帝国のほうへと火種にならぬように旅をする。それはとても魅力的な事のように思えた。海から離れるのは海が恋しくなるだろうが、ラズロは内陸と呼べるところを歩いたことがないので、それは想像すら出来ない道程だ。ラズリルに居た頃には、考えもしなかった未来の話。

「でもやっぱり不安だから、案内人がほしいな」

 口をついて出た言葉に、ついテッドを見る。夕暮れとも朝焼けとも違う、砂浜の色とも違う。ラズロがいままで見たものの中では言い表せない、ただ大地に根付いているように思う色合いの瞳が、幼げに瞬く。

「だめかな?」

 いつものラズロだったなら、相手の事を考えて即座に引いただろう。そうして自分の思いを隠し、そのまま消してしまったはずだ。
 聞けたのは、それが絶対に叶うことはないだろうとラズロ自身、分かっていたからだ。そしてテッドは、うんともだめとも答えられないだろうと分かっていたから。
 うんともだめとも言われていないから案内をしてくれるよね? と、そんな甘い夢を、叶うはずのない未来を、きっと命が終わるそのときまで胸に抱いて見ていられるだろうから、ラズロはそれを言葉にした。
 案の定、テッドは口ごもって困った顔をした。テッドの実際の年齢がいくつかは知らない。聞かれたくなさそうなので聞いたこともないが、そういう顔をされると子供をいじめているような気分になる。
 ラズロは、冗談だよ。と言葉を重ねようとした。未来への希望や欲しい生き方を抱えて逝くのはラズロだけで十分で、テッドにとっては重荷になるだろうからと。
 テッドもきっと、ラズロを喪えば、何だかんだと悲しむのだろうスノウのように、確定したに等しい未来を迎えたとき、傷ついてしまうだろうから。
 だが、ラズロが口を開くよりも、テッドが口を開くほうが早かった。想定外の事態に、元々自己主張が苦手なラズロが押し負けて口を閉ざすことになる。

「それを言うなら、この戦争を生き延びてもらわなきゃ困る」

 死ぬと分かったような顔でそんなことを言われたって、ちっともそうしてやりたい気になりやしない。テッドは言った。
 図星だ。ラズロには分かっている。自分の命の残りは少ない。これまで生きていたのが、テッドに出会ったことすら奇跡であると。テッドもおそらくだが、ラズロの命の残量に関して何らかの形で正確な正体も知らぬ、ただラズロが名前だけを知るその右手に宿る紋章で悟っている。

「……生き延びたら、連れていってくれるの?」
「生き延びたらな」

 じわりと、ラズロの心の内に火が灯る。己の中に存在はしていたが、ずっと無視し続けてきた感情がよぎり、なんとか押さえ込む。
 この会話は間違いなく、後にテッドを傷つける。ラズロの胸をよぎった感情生きたい、死にたくない。という生き物である以上は原初にあるだろう感情も、ラズロを後に打ちのめすのだろう。現に、ラズロは既に一瞬だけだが、現実に潰れそうになっていた。叶わぬ未来に胸を焦がして、それが不可能なのだと理解し、己で己を傷つける。
 生きていたい、死にたくない。スノウに裏切られてから生きる理由も曖昧で、ただ死にたくないから、仲間がいるから生きてきた。どこでこの身が朽ちたとしても、肉体も、魂も、海へと還る。だから平気だと思い込んできたというのに。

「……じゃあ、約束だよ。赤月帝国まで案内してもらうから」
「戦争が終わったとき大怪我やらしてないならな」

 だがこの未来の約束は離せなかった、忘れられなかった、なかったことには出来なかった。互いに。
 テッドもまた、己を掬い上げた目の前の星が、落ちない未来を願わずにはいられなかったから。
 それが叶わないとしても。後に酷く、百五十年以上の年月を生きていてなお己が傷つくのだろうと分かってはいても。その傷が生きたい、死にたくないとラズロが生きていた証だというのであれば、傷つかぬよりも傷つけられたほうがずっとましなのだと、テッドは悟っていた。
 忘れてと言われて、己が死ぬことすら恐ろしくなさそうに、まるで聖人の如くなんの未練もなさそうに死なれるよりは。
 君と旅がしたかったな、と。未練がましく死なれたほうが、ずっとよかった。


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