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「暉、もう開けてるか?」
うっかり行き過ぎてしまった道を戻り、一騎はまだ全ての準備が整っていないらしい西尾商店を覗き込みながら後輩の名前を呼んだ。薄暗くひんやりとした空気が流れ出てくる店の奥から、一騎先輩ですか? と聞き慣れた少年の声が返ってくる。店の奥、住居スペースから顔を出した少年は、どうやらバイト中の服装から着替えたようであった。本日の喫茶楽園で出されたカレーは暉カレーだったので、匂い移りが気になったのかもしれない。
入ってください。と店番である後輩から許可が出たので、一騎は西尾商店内へと足を踏み入れた。昔はよく食べた駄菓子が机や棚に並ぶ。こんなに低かったけ、と机を見て思うが、主な購入者は子供達なのだと思い当たり、納得した。同時に、どこかくすぐったい気持ちになる。子供達のための大人の工夫に、大人になりかけのいま気付いてしまったせいだろうか。
「で、どうしたんですか一騎先輩。まだゴウバインの続きは入荷していないので読めませんし、先輩あんまりうち来ないでしょ」
「昔はよく来たぞ。……って、そうじゃない。暉、氷あるか。あとなんか冷たい飲み物」
「まだ出してませんでしたけどありますよ、あれです」
暉が冷凍品――主にアイスクリームなどを入れるボックスを指差す。その隣には、冷蔵用のボックスも並んで置かれていた。
「最近暑くなってきたから、外に出そうかどうか悩むんですよね、それ」
「ああ、電気代食うもんな」
「外装もボロボロになりますし」
戦時下でもない限り、竜宮島は滅多に電力供給には困らない。その方面の技術者達が、困らせないようにと日々努力している。それでも電気代だのガス代だのと気にするのは、平和の継承の一環だ。
事実、お金なんてものをたくさん持っていてもあまり意味のない島ではあるが、それでもなければ明日の食事に困る。常に規則に縛られ、食事が配給され、同時に監視され続けるような生活は、少なくとも子供達の望むものではないだろう。緊急時、居場所の把握のためのシステムはあるが、それだってプライバシーを覗き見るためのものではない。
閑話休題。店番のために席についた暉の視線を背中に感じながら、一騎はいくつかの商品を選び取った。
「じゃあ……氷一袋と、ペットボトルの水一本。……あと、ラムネ一本買ってく」
「はい、お買い上げありがとうございます、先輩。……変な組み合わせですね、冷蔵庫か水道でも壊れました?」
商品を暉に確認してもらい、会計を済ませる。袋に商品を詰めながら、暉が世間話のように言った。実際、それは世間話だった。
「いや、行き倒れを拾ったんだ」
少々、暉が想定していた日常から離れてしまう話題ではあったが。
「……はぁ!? 行き倒れ!? その人どうしたんですか!?」
「日陰で休ませてる。西尾商店が一番近かったから、氷とか買いに来た」
「え、それ大丈夫なんですか……?」
「意識はあったし、ちょっと休ませたら遠見医院に連れてくよ」
暉は、商品の詰められた袋をいつも通りの表情で受け取る一騎に、怪訝なものを見る視線を向けてしまった。暉にとって一騎は先輩であるし、言わないだけで日頃から尊敬もしているのだが、たまに本気で何を考えているのか分からなくなるときがある。
「……あっ、行き倒れてたのは総士な」
「そういう話じゃなくて! っていうか総士先輩も何してるんだよ!!」
まるで、里奈とかじゃないから安心して良いぞ。と言われたような。実際そのような意図を持って発せられたであろう声音に、暉はつい叫び声をあげてしまった。
一騎は後輩に叫ばれたことも気にせず、西尾商店をあとにしようとしている。暉は思わず立ち上がってしまった体を抑え、そうだこの人はこういう人だった。と認識を改めながら再び椅子へと腰を下ろした。
「……一騎先輩、ほんと総士先輩に甘いですけど、意外と厳しいっていうか、雑なところありますよね」
今にも走り去っていきそうな一騎に、暉は呆れたように声をかける。あの雑さは、自分が双子の片割れに向ける遠慮の無さに似たものなのだろうと思いながら。
後輩に頬杖をついてじとりとした目線を向けられても、一騎は何も分かっていないような顔をしていた。――が、どこへ思い至ったのか、何故か突然むっと眉を寄せる。
「意外と、ってなんだよ。俺、そんなに総士を甘やかしてるつもりはないぞ」
――まさか無自覚。
暉が唖然として口を開いた時、既に一騎は「ありがとな」と言い残し走り去っていた。
一騎が去ったあとの西尾商店に残ったのは、日の光から逃れた涼しさと、多大な疑問と疑惑に埋もれる暉だけだ。
すっ、と。一人きりになった空間で息を吸って、暉は双子の片割れに対するのと同じ遠慮の無さで言葉を吐き出した。
「質、悪っ!!」
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