2149年、7月29日。時刻は昼過ぎ、太陽は真上か。
 木々は青々とした葉を海風に揺らし、舗装されたコンクリートの地面を素足で歩けなくなる季節がやってくる。申し訳ないが、店員の諸事情により喫茶楽園は本日午後休。慌ただしく店の外へと駆け出していく後輩と幼馴染を見送り、閉店を伝える看板をドアに下げて鍵も閉めてしまえば完璧だ。ガスも水道も確認済み。半休とはいえ久しぶりの休日に、暑い太陽も心地が良い。
 ――しかし真壁一騎は、その帰り道で、行き倒れを発見してしまった。



 睡眠時間は一週間で約五時間。一日一時間としても二日は徹夜をしている計算になる。その行き倒れ――皆城総士と比べれば、得意分野が違うだけとはいえど頭の出来が良くない一騎にも、いくらなんでも簡単にできる計算だ。総士がそんな単純なことを理解していないはずがない。
 行き倒れに「食事は?」と一騎が優しく問い掛ければ、おそらく今朝水は飲んだ。というどうしようもない答えが帰ってきた。

「お前って、たまに俺よりばかだよなあ」

 故に、一騎の言葉も普段より容赦がなかった。甘やかす響きはなく、純粋に呆れが滲んでいる。
 話を聞いて、自業自得だと理解して、それでも(たとえその抱え方がまるで米俵を担ぐのとよく似た動作であったとしても)総士を抱えて日陰まで運ぶ一騎は総士に甘い。
 人命救助と思えば当たり前の正しい行為ではあるが、相手が自ら命を危険にさらすような生活を送ってきた人間となれば話は別だ。外に出てきて倒れるくらいなら、アルヴィス内で食事を摂取するなり、医務室の世話になるなり、極めて便利で機能的な自室で寝るなりどうにかしたらよかったのだ。
 並列処理能力も、睡眠不足、栄養不足で鈍っていたのであろう。何か理由があって外に出てきたはいいが、貧血で倒れたらしい。これでは目的も果たせまい、山がちな竜宮島は坂が多いのだ。体調が良くない時に歩き回れるような島ではない。

「ここからだと……西尾商店が近いか。俺、氷とか貰ってくる」
「まて、一騎。今日、西尾先生は、」
「さっき暉が帰ったよ」

 血の気のない、しかし土気色とまでは言えない青白い肌で、弱々しく一騎を止めようとした総士に、一騎は端的に答えた。
 いいから大人しくしてろって、と。なるべく弱ったその顔色を見ないように目を逸らす。総士の指先は、季節と気温を思えばとても冷たかった。妙に不安な気持ちになって、一騎は上着代わりに着ていたYシャツを、木陰の縁石に腰掛けた総士に押し付けた。

 すぐ戻るから。叫んで駆け出した一騎の足は止まらない。背中に一騎を呼ぶ弱い声が当たっても、コンクリートの地面を蹴る速さは一定だ。坂道であろうと一騎の速さは変わらない、ぐんぐんと景色は過ぎ去っていく。

「っ、一騎ッ……!」
 ――かずきっ。

 ふと、総士を置いて走り去る行為に、昔を思い出した。一瞬、赤に濡れた幼い顔立ちが視界を埋め尽くすが、すぐにそれは不安げな少年の表情へと移り変わる。

「すぐもどる!!」

 一騎は自身の身体能力が優れているという自覚がなかったため、昔から全力で走ってしまえば友人達をはるか後方へと置き去ってしまった。なるべくゆっくり走ろうと思うのだが、夢中になれば、すぐに一騎の体にとって最適な速度に達してしまう。幸いにも「子供達が喧嘩で怪我をしないように」という方針により幼少の頃から道場通いをしていたので、そういった手加減はできた。
 記憶の中にある、今よりも子供らしく明るくて、しかも頭が良くて綺麗な総士。その総士がめずらしく難題だぞと言いたげに、困った顔をして、現在の一騎に言葉を伝えてくる。

 ――かずき、手をつなごう。

 僕は一騎より足が遅いから。
 ――でもそれだと、お前転ぶかもしれないじゃん。と、その考えは上手く真壁一騎の制御へと繋がった。
 そんなに昔から総士は俺の扱いが上手かったのか、いまなら担いで遠見医院まで連れていくけど。そんなことを考えている隙に、一騎は思い切り西尾商店を通り過ぎていた。具体的に言えば、マークエルフの全長ほど。総士のような並列思考は、やはり一騎には難しかった。
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