与えられたのは一番安い切符。手を引かれて乗った電車はどこに行くのか分からない。帝人は窓の外を流れていく景色から隣に座る静雄に視線を移す。
 電車に乗ってからは一度も声を聞いていない。切符を渡された時に聞いた謝罪の言葉が最後。
 どこに行きたいのか、帝人には分からない。静雄にも分からない。だから二人並んで電車に揺られている。

「……静雄さん」
「……」
 何度目になるか、小さく呼んだ名前に返事は返らない。名前を呼ぶ度、少し傷つきながらも帝人は静雄の名を呼ぶことを止めずにいた。
「静雄さん、貴方を……つれていきたいです」
 やはり返事は返らない。それでも帝人は問い掛けるかのように呟き続ける。
「どこ、って言えないんですけど、貴方が、少しでも楽になる世界につれていきたいです」
 返事は返らなかったが、重ねられていた手がぴくりと動いた。
「でも、静雄さんの力を愛してる僕にはそんな世界想像できなくて、ごめんなさい」
「……そんなこと、ないだろ」
 ゆっくりと、合わさった視線が恥ずかしくて帝人は顔を逸らすが静雄がそれを許さない。帝人の手に重ねている左手はそのままに、右手で壊さないように慎重に顔をこちらに向けさせる。さすがに帝人もそんな静雄の様子におとなしくなり、再び視線が絡んだ。

「遠くに、行きたかったんだ」

 一時間ほど電車に揺られ降りた駅は小さな駅だった。改札を出るにはどれくらい乗り越し料金を払わなきゃいけないのかなと切符を眺める帝人を静雄が呼ぶ。
 電車に乗っていた時と同じように二人並んでベンチに座ると静雄は帝人に缶を差し出した。
「ココア……」
「嫌いじゃないよな?」
「はい、好きです」
 ちらりと横目で見れば静雄の持つ缶もココアだった。意外と甘いもの好きの静雄らしい選択だ。自販機から出てきたばかりの缶は、冷えた手には少し熱い。
 帝人が礼を言ったのを最後にお互い無言でココアを飲む。口から喉へ、喉から腹へと熱が移動しじわりと広がるあたたかさに帝人は頬をゆるませた。
 ココアのあたたかさの他に、電車に揺られていた時より雰囲気も表情も優しげなものになった静雄に安心したというのもあって。それだけで不安がなくなるのだから安い奴だと帝人はくすくすと笑う。
 缶に口をつけたままで首を傾げる静雄が何だかとても幼く見えて、さらに帝人の頬がゆるむ。
 何でもないですよ、と満面の笑みを浮かべながら言う帝人に静雄も小さく笑みを浮かべた。
「僕でよかったんですか」
「何が」
「遠くに行くお供が僕で」
 静雄は自分の持つ化け物のような力を嫌っている、今回の行動はそれが深く関わっているのだろう。
 互いに好き合っているのは知っている。しかし二人は恋人同士ではないし、それほど親しくもない。何より帝人は、静雄が嫌うその力を愛していた。
 だから帝人は気になったのだ。力から逃げたいと思ったなら、何故その力を愛している自分を選んだのかと。帝人よりも静雄を理解している人だっていただろうに。
 帝人の問いを静雄は理解できなかったらしく、二人の間に妙な空気が流れる。帝人は慌てて、要するに他の人ではなく僕でよかったんでしょうか! と叫んだ。
 静雄は帝人の反応にびくりと驚いたように体を揺らし、駅のホームにいた女性が叫びにつられて二人へと顔を向ける。その反応に耳まで赤くなった帝人は一気にココアを喉の奥へと流し込んだ。
「大丈夫か」
「……大丈夫です」
 他にもいい人いたでしょう? 私でよかったの?
 あの台詞は普通ならこんな感じ。とイメージが頭の中に浮かんだ帝人は恥ずかしいことを言ってしまったと一人静かに悶える。何も分かっていないような静雄が憎らしい。でも愛しい、と帝人はさらに頬を染めた。
「驚いた」
「すみません……全部僕が一人で盛り上がっちゃっただけなんで、その……気にしないでください」
「竜ヶ峰」
「はい?」
「あ、いや、違うんだ」
 名前を呼ばれたから返事をしたのに。予想外の言葉に不思議そうな顔をする帝人に静雄は微笑む。そして帝人の手から空になった缶を奪って立ち上がり、同じく空の自分の持つ缶と一緒に近くのごみ箱へと捨てた。
「静雄さん?」
「竜ヶ峰がいいと思ったんだ」
「え」

 ぶわりと風が吹いて、電車の到着を告げるアナウンスが響く。ここまで乗ってきたのと同じ、どこに行くのか分からない電車が。
「……乗るんですか? 静雄さんと一緒なら野宿も安心ですね」
「野宿なんてさせねーよ、帰るぞ」
「そうですか、分かりました」
 再び二人でベンチに座る。
 池袋に帰ったら何か食べようか、どこの牛丼がおいしいか。そんな話をしている内に、帰りの電車は予定通りホームに滑り込んできた。
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