第一に、自分は戦い方など知らない。共に走り続けたサーヴァントの動きを、ただ後ろから見ていただけ。自己に目覚 める以前の記憶は無く、赤子に等しい。
 それでも自分は戦い、勝利を掴み取らなければいけない。敗北は逃れようのない死に満ちている。自分は良い、再び電 子の海に沈むか、今度こそ完全に消去されるだけだ。だがマスターは違う。
 ――マスターは、サーヴァントが負ければ死んでしまう。
 不器用な防御で斬り裂かれた腕が痛む。神秘も何も無い、売店売りの礼装がサーヴァントの力で強化されただけの武器 を構える。どれだけ血を流そうと、痛みに気を失いそうだろうと、背後に確かに存在している者のために諦めるわけには いかない。
 この身は所詮バグデータの塊。自身だけのものなど、過去二ヶ月とこの聖杯戦争の記憶だけ。聖杯に掬い上げられ、マ スターに救い上げられた亡霊。
 キャスターのクラスを与えられながら、どのクラスにも合わない戦いとも言えぬ足掻きしかできない。

 聖杯戦争という名の殺し合い。だが今のこれは聖杯戦争という大義名分すら失った、ただの殺し合いだ。それは純粋な 悪意として全てを飲み込もうとする。理由など無く人を死に沈め、血に濡れさせようとする。そんなことは許せない。許 していい事ではないと、
 ――正義の味方が、そう言ったのだ。

「う、ぁ、ぅああああ、あああああああッ!!」

 どろりと身を侵す血液は重く、そして熱い。神経は焼き切れ、血管は破裂しそうだ。
 心臓はもう随分と前から正常な動きをしていない。気合を入れるために叫びを上げれば口の中には血の味が広がり、喉 が酷く痛む。
 マスターは過去のように止めろとも、戦うなとも言わない。それは、二人で積み上げてきた信頼の証だ。それに答えた い。

 出所が分からない、バグかどうかも分からない悪意の塊に勢い良く斬り掛かる。こちらの剣の切っ先は泥に沈み、泥か ら吐き出された呪詛と斬撃に魂と腹が裂かれる。もう何度目になるのだろうか。
 何とか体勢を立て直し、マスターと自分を貫こうと迫る針のようなものを必死に弾く。何本かは身に刺さるが、マスタ ーが無事なら何とかなる。僅かな隙に、マスターだけでも逃がせればと聖杯の綻びを必死に探した。

 ――しかし、見つからない。見つからない。見つからない。こんな狂った聖杯の生み出した世界で、マスター一人を安 全な場所に逃がすだけの綻びも見つけられない!!
 手足が重い、動かない。無理に動かせばぼろりと崩れ落ちてしまいそうだ。
 だが、たとえ崩れ落ちようと動かし続ける。倒れることだけはしない。ここで諦めれば待っているのは虚数の海、生き たまま死に続ける地獄が見える。打開策を練り、一瞬の隙に電子の海を検索する。
 焦りが思考を鈍らせ、次の瞬間には目に見えぬ強大な何かに吹き飛ばされていた。

「っ、キャスター!」

 アリーナの壁に叩き付けられ、息が詰まる。立ち上がろうとしたが自分で驚いてしまうほどに力が入らない。すぐ傍に いるのはずのマスターの声が遠くに聞こえる。

「キャスターもう駄目だ! 動くな!」

 叱り付ける様なマスターの声に起き上がろうとして、やはり失敗した。杖の代わりにしようとした礼装の剣はぼきりと 折れ、無様にも頭から地に伏せる。視界も何かに塞がれてしまった様に暗く、辛いが、悔しいが、認めたくなど無いが、 これはマスターのためにも認めなければいけない。
 その時、自身がもう限界なのだと、悟った。

「ます、たー……」
「キャスター、キャスターしっかりしろ! うわッ!?」

 残りの気力を全て綻びの検索に使う。上手くいかない。マスターの叫びに答えることもできない。
 ――ここで終わるのか、マスターが目の前で傷付いているのに、諦めるのか。
 もう指先すら動かせない。瞼が開いているのか閉じているのかすら分からない。

「何だっていうんだよ……キャスター! おいキャスター! キャスター分かるか? 俺はここにいる、キャスター…… !」

 指先に与えられた、自分以外の熱。切なげに呼ぶ声に視界が開けていく。

「肩、貸す、さすがにお前を抱えては走れない」
「お、れを、抱えて……逃げられる相手だと、おもって」

 喉の奥から血を吐き出す。途切れた言葉の続きも吐こうとして、遮られた。

「お前は、俺の代わりに戦ってくれた、でも、もうそれだけは嫌だ」

 俺もお前も、弱いくせに諦めることなど知らないからと。一緒に戦おうとこちらの体を支えた腕が、とても逞しく感じ た。
 込められた熱。求められた力。それでも、動かぬ手足の代わり。
 死に恐怖し、生を掴み取ろうとした、それだけを願ったかつての自分と似た声。
 俺は、あの日確かに――その声に、答えた。

 正義の味方は諦めない。ならば、その正義の味方の味方が、――衛宮士郎の味方が、一番初めに諦めることなど許され ない。
 この身は電子の海に沈み、そして彷徨った。一人逃がすだけの綻びも見つけられぬなら、――抉じ開けてやればいい。
 せめてバーサーカーとして召喚されたならば、もっと上手く戦えただろうに。信仰も加護も無い、力も宝具も無い。そ れでもこの身は聖杯に溶けた、聖杯から生まれた存在。――聖杯そのもの。
 綻びを広げ(広げるなんて生温い)一本の道を作り出す(抉じ開けた隙間に剣を打ち込む)この意思を妨げる存在など 許しはしない。
 マスターに支えられた体勢で、折れた剣を構える。柄を握り締める手に他者の熱が重なり合う。

「キャスター、それじゃ、勝てない」
「しろ、う」
「――投影、再開」

 マスターは、俺が世界を壊すまでの時間を稼ぐ一撃のためだけの武器を作り出す。色も形も曖昧なそれは、ぱりんと割 れて壊れてしまいそうで。売店に売られていたものと比べるとランクの落ちているガラスの剣に魔力を通し、全力で振り 上げる。
 剣を取り落とさないようにと支えてくる手の力が痛いくらいに強い。体の芯から熱が剣へと落ちていく。サーヴァント が居なければ一撃すら放てない、マスターが居なければ存在すらしなかった、弱く脆い、自分達によく似ている剣。
 剣を放つための踏み込みは、一歩。

「切り、裂けええええええええええええええッ!!!」

 もう使う力の無いサーヴァントの代わりにマスターが雄叫びを上げる。
 狙うのは泥ではなく、データの綻び――!



 ぎちりと、データを裂いたとは思えぬ音を、確かに聞いた。



 抉じ開けた綻びへとマスターを量子化して放り込む。できる限りただの情報の塊だと分かっている自分を圧縮し、一人 の情報量に耐えられるかも怪しい聖杯のケーブルの中を進む。マスターに本体があった場合、脳の回路を焼き切り、殺す ようなことをした。

 懺悔する暇も無く見えたのは煌めく光。聖杯に異物として放り出された先は、見慣れた学校の保健室だった。


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