ひとつ聞くけれど。マスターは何をやっていらっしゃるのでしょうか。という問いに返った答えに、わざわざその行動 を否定する要素は見つからなかった。

「いや……俺もよく覚えていないんだけど、頼まれた仕事はちゃんとしなきゃいけないだろう?」

 そう、ですね。

 よく覚えていない。というマスターの言葉は気になったが、言っていることは正しい。引き受けた仕事はきちんと完遂 すべきだ。そしてマスターが椅子に腰掛け、他のマスターを待つその姿に見覚えがありすぎて、肯定以外の言葉が出なか った。

 間桐桜。自分にとって、少し特別な意味を持つ存在。

 以前体験した聖杯戦争で、一回戦に一度だけ支給品を渡してくれた藤色の髪の少女の姿。その姿とマスターの姿が重な った。
 令呪の宿った手の熱さに震えるマスターを抱えアリーナと思われる場所から校舎に移動し、マイルームと呼ばれる場所 が自分達には与えられていないと気付き、無人の保健室に世話になったのが先日の話だ。泥の海に沈むように眠ったマス ターが元気なのは良いことだが、起きてすぐにこのような行動に出るとは思わなかった。
 聖杯から贈られてきた品を支給する存在。自分のマスターはもしかしてNPCなのかと首を傾げる。霊子虚構世界の架空 の存在はあまりにも精密で、時に自我さえ生まれてしまう程に人に近い。――しかし、自我が生まれてしまったNPCは破 棄されるはず。
 取りあえず、マスターによく覚えていないというのはどういうことだと問う。

「えっ、……そうだな、これを配ってくれと頼まれたことは覚えてるんだ、だけどこれを俺に頼んだ奴と、何の意味があ るのかは覚えてない」

 他に覚えていることは、と続ける。

「俺がここの生徒だって事と、俺がどこの誰かってことは分かる」

 NPCにしては、与えられている情報が曖昧だと感じた。名前しか覚えていなかった自分と比べれば多くのことを覚えて いると思うが、NPCやマスターとしては致命的な情報が抜けている。それは彼を生み出す過程のミスで欠けてしまったの か、それとも彼は元からそれに関する情報を持たないのか。NPCとしても、外部からそれを目的として接続してくる者達 にしても、自分のマスターは中途半端だ。そもそも、地上と月の関係は自分が断ち切っている。
 最後に、もうひとつ聞いてもいいかという言葉に、マスターは小さく頷いた。
 問い掛ける内容は決まっている。マスターは、聖杯戦争を知っているのか? だ。
 返ってきた答えは予想通り、先が不安になる言葉だった。

「……その、マスターっていうのも含めて、知らない、悪いけど、できれば説明してくれると助かる」

 心底自分が悪いと思って吐き出された弱々しい声の主を責めるようなことができるはずもなく、ただマスターと過去の 自分を重ね、頭を抱えた。

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 サーヴァント、キャスターと名乗った存在は、俺とそう変わりの無い男だった。
 身に着けている制服は同じもの。容姿に関しては特徴という特徴も無く、しかしそれなりに整った、人に不快感を抱か せることの無い姿をしている。
 しかし現在は困ったように顔を歪め、俺が最後に言った言葉を境にどう説明すべきかと唸っている。今までは説明され る立場に居たので説明するのは得意ではないのだと、こちらに紙と鉛筆を要求するとそのまま机とお友達になってしまっ た。

「ゆっくりで良い、俺は説明して貰う側なんだし」

 申し訳なさそうに頷くキャスターを見て、少し落ち着いた。
 いつも通り、であろうとしているが、実際は混乱している。何が起こったのか理解できていない、未知の体験への恐怖 。しかし、少なくとも、貴方のために、と頑張ってくれている者の姿を見れば人は多少は安心するものだ。いつも通りと いうその行動さえ、何者かに与えられた偽りのような錯覚。だが気が狂うようなことはない。前提として、すでに気が狂 ってしまっている場合を除いて、だが。

 短い時間の中で数人が保健室を訪れ、俺の手から支給品を受け取っていく。学校という世界の中で見たことの無い顔が いることに内心首を傾げながらも与えられた仕事はきちんとこなす。そうしている内に、考えがまとまったのかキャスタ ーが「マスター」と呼びかけてきた。
 ……いまの今まで聞けずにいたが、そのマスターという呼び方はいかがなものか。

「なあ、説明は聞くよ、でもそのマスターっていうのは止めてもらえないか、何だか恥ずかしい」

 例えば、例えばの話だ。例えば、女の子にマスターやご主人様などと言われることも恥ずかしいが、同じ学校の生徒に 見える男にマスターと呼ばれるのも複雑な気分だ。同級生に自分をマスターと呼ばせるような、俺にそんな趣味は無い。 俺の言葉にキャスターは目を見開き――、そして、何故か机に突っ伏した。少し掠れた声で、マスターなんて呼ばれるの に違和感が無かった俺って、と呟くのが聞こえてくる。キャスターも過去にマスターと呼ばれるようなことがあったのだ ろうか。

「士郎でいい、キャスター……でいいのか? キャスターも本名ではない、……よな?」

 自信が無いために自然と声は弱くなり、さらに疑問が絡む。キャスターは二回程軽く机を叩き、すぐに立ち直った。そ して、これまでとは違う力強い視線でこちらを射抜いてくる。

 ――自分の名前については、教えてもおそらく問題は無い。だが貴方をマスターと呼ぶ理由は、聖杯戦争というものが どういったものであるのかを聞いて理解してほしい。

 キャスターはそう言って、俺に自身の名前を告げる。何も驚くことのない日本名だった。
 マスター。俺をそう呼んで、話を続けようとするキャスターの声を遮る。

「どんな説明をされても、学校でそんな風に呼ばれるなんて慣れる気がしない」

 キャスターは困ったように笑い、どうぞと俺に発言権を譲る。譲られたからには色々言ってやろうと小さく息を吸った 。

「できれば、やっぱり名前で呼んでくれ、あと、そっちのことはその、本名? で呼んでもいいのか?」

 自分の名前については、教えてもおそらく問題は無い。それはおそらく、普通ならば教えてはいけないという事なのだ ろう。キャスターは目を丸くし、何かとても不思議なものを見るかのような視線を向けてくる。
 そんなに変な事を言っただろうかと、まだ疲れの残る脳で考えた。

「よく分からないけど、それは今から説明してくれるからいいとして、それでこれもよく分からないけど、キャスターは 俺と一緒にいるつもりなんだろ」

 静かに頷くキャスターに向けて、さらに言葉を重ねる。

「キャスターがどう考えているのかは分からない。けど、たぶん俺は何も分かってないんだろ。だけど同じような歳の見 た目の、これから一緒にいようって奴にマスターとか呼ばれてたら、俺は息が詰まりそうなんだ。悪い意味じゃないぞ、 友達、はこの状況じゃ変かもしれないけど、そんな奴にマスターなんて呼ばれたくない」

 俺は、今までそんな立場にいなかったから。この気持ちが伝わるだろうかと真っ直ぐに琥珀色の瞳を見詰める。マスタ ー。と唇が形を作り、そして「俺はやはりどこかおかしかったんだろうか」と音が吐き出される。
 その時のことをどう表現しようか。どこか人らしさの欠けていた人間にじわりと少しの心が宿る、そんな光景を見た。

「おかしくなんてないと思う、俺が、妙なこだわりをキャスターに押し付けてるだけだ」

 苦笑いの表情、少し上擦った声で呼ばれた「士郎」という響きが、何故だかこの世界ではとても特別なものに思えた。

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