少年とペテン師は笑うの数ヵ月前。これだけでも読めます。帝人君がまだ弱かった頃の話。
今までとはちょっと感じが違います。










 帝人君が自分で自分の首を絞めた。

 一言で説明できる状況に臨也は人並みに混乱していた。取り敢えず帝人が首を絞めないように手を握ることで拘束する。
 けほけほと咳き込んでへたり込んだ帝人の目から流れる涙は生理的なものだけではないようで、ぽたぽたと止まることなくフローリングの床に水滴が落ちていく。
 どうしてこうなったのか、何が原因なのか臨也は知らない。今日臨也が帝人にやった事といえばインターホンの音にドアを開けてやった事だけだ。
 無言で頭を下げ上がり込んだまでは普通で、いつも通り珈琲でもココアでも勝手に入れるだろうと仕事に戻ろうとした直前で臨也は帝人の異変に気付いた。
 何故か玄関から三歩ほど進んだ場所で立ち尽くしていた帝人が、突然自分で自分の首を絞めたのだ。
 最初は何をしているのか分からなかった。また、いつもの意味の分からない遊びかと考えた。しかし数十秒と時間が流れてもそのままでいる帝人を不思議に思い近づけば、予想外に強い力で絞めているのか苦痛に歪んだ顔が見えた。
 柄にもなく慌てて駆け寄り無理矢理首に絡み付いた指を、手を剥がす。その時見た首の色は思い出したくないと臨也は思う。赤と白、それだけしか憶えていない。

 へたり込んだ帝人の手を握っているため臨也も必然的に座り込む。仕事あるんだけど、と考えながらも帝人の手を離すという考えはなかった。
 泣きじゃくる帝人に、二年程前、非日常に憧れを抱いていた子供を思い出す。純粋な憧れと、汚れなど知らない綺麗な手をした子供が帰ってきたような錯覚に臨也は首を振る。そんなはずはない、今握っている手は、自分よりは綺麗だけれど汚れているのは確かなのだからと。
 泣いたところを見たのは初めてだ。だから帝人が何故泣いているのか臨也には分からない。今まで泣きそうなことを山ほどしてきたが、帝人が臨也の前で泣いたことはなかった。

「帝人君」

 優しいだけの声で名前を呼ぶ。ふるふると震え涙を流すだけの帝人は何も返さなかった。期待もしていなかったので臨也は帝人の肩をやや乱暴に抱く。男相手だし友人だし、泣いていようと壊れ物のように扱う必要はないように思えた。
 一度ぎゅっと抱き締めた後、背をゆっくり撫でてやる。解放された帝人の手はだらりと力の抜けたままで、再び首を絞めるつもりも抵抗する気もないようだ。
 みかどくん、と先程よりも甘さを含んだ声で呼ぶと、ぐっと体が押し付けられた。
 手を背に回す、縋るという気はないようで、臨也はそれに笑う。泣いてはいるが意外と元気そうだ。
 なにがおかしいんですか、と左肩の辺りから涙声が上がった。じわじわと服に涙が染み込んでいるためまだ泣き止むに至っていないが、首を絞めた後に比べ喋る程度の気力は回復したらしい。
 小さな子供をあやすように背を撫で続けていた臨也はなんでもないよ、といつもの彼らしくない毒のない返事を返した。

 どうしたの? とは聞かず帝人も何も話さず身を寄せ合う。臨也はこれでは普通の友人のようだと思った。だらだらと始まった歪んだ付き合いはいつのまにか友人という名を持ち続いている。この関係は根の部分に親愛や情が、要するに感情が存在しないことが前提で成り立っているのに。これではまるで、本当の友人のようではないか。
 それではいけない。臨也は不特定多数を愛する者であり、特別があってはいけないのだ。
 しかしぐすぐすとなんとか泣き止もうと必死になっている帝人を見ると、帝人なら特別にしてやってもいいかなと思う。そう思う時点で帝人が特別なのだと臨也は理解していた。
 肩に感じる熱に体重に懐柔されたわけではない。ただ気付いたのだ。

(もう俺しかいなくなっちゃったんだ)

 今の帝人には、自分しかいないことに気付いたのだ。
 何があったのかは後で調べることにして、臨也は俯いたまま肩に額をくっつけている帝人の髪を遠慮なく引っ張った。
「いっ!」
「あははごめんね」
 まったく悪く思っていなそうな声で臨也は帝人に謝罪する。そうして帝人と目が合ったことを確認して臨也は口を開いた。
「俺が愛してあげるよ帝人君、君は愛すべき人間だからね」
 嫌そうな顔をする帝人の額を突きながら臨也は口の端を釣り上げる。からかわれていると思ったのか眉間の皺を深くした帝人を臨也は再び抱き締めた。

(ああなんて可哀相な子!)

 帝人が完全に泣き止んだ頃、太陽は沈みかけていた。

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