■■士郎は死んだ存在である。それが言峰士郎が持つ真実であり、矛盾だ。

 ■■士郎が死んだ存在だというのなら、同じ者であるはずの言峰士郎も死者である。生を謳歌し、日々を生きられる存在ではない。
 言峰士郎の耳には助けを求める人々の声が聞こえる。言峰士郎の肌は全てを焼き尽くす炎の熱さを覚えている。そして今も視界は黄金の存在に覆い尽くされている。
 ■■士郎が持たぬはずの罪を、言峰士郎は持って生きている。

「きれ、い」
「どうした、士郎」

 穏やかな表情で綺礼は笑みを浮かべてみせる。無意識の内に自身を殺してしまった子供の反応を逃さぬようにと、とても楽しそうな笑みを。
 士郎は恐怖の滲む瞳で綺礼の底の見えない黒い瞳を見詰め、浅く息を吸った。自分という存在を確かなものとして確立できず足が竦む。自身が何者であるのか、士郎には目の前に立つ男が納得するような答えを出せそうにない。

 ■■士郎は殺された、――本当に?

 綺礼の問い掛けの答えは十にもならない子供に求めるには酷なものだ。しかし子供だからこそ、答えを出せる問いでもあった。
 士郎自身は答えを持たない。だが士郎の視界を覆う黄金を纏う男は答えを持っている。士郎の神に等しいその男は、士郎に新たな名を与えた。


 ――何を悩む事がある、炎に焼かれ、生き残ったのは当然の事であろう。
 ――貴様は、人ではなく剣であるのだから。


 黄金の王はそう言って、言峰士郎という一本の剣を生み出した。
 ■■士郎を殺したのは災害でありギルガメッシュだと綺礼は言ったが、ギルガメッシュは殺していない。決して傷付かぬ折れぬ剣、望まれたのはそのような存在だ。しかし黄金の王は、■■士郎を生き残った存在として扱い、生き残ってしまったという罪に怯え喘ぐ士郎を嬲りながらも新たな名を与え逃げ道を示して見せた。
 ■■士郎を死んだ存在として認識したのは何時だったか。■■士郎を奥へと押し込め殺したのは、――言峰士郎以外に、存在していない。

「……おれが、殺しちゃったんだ」
「自身を殺したというのか」
「だけどギルは殺してない」
「その信仰心がどこから生まれるのか不思議なものだ。お前に渡した本の中身はただの物語だが、その元となった存在はお前も知る通りの男だぞ」

 過去のことは分からずとも皮膚を裂かれる感覚は知っているだろうと、泣き出す直前の子供を宥める様な笑みを浮かべて綺礼は言った。言葉の痛みと困った様な笑みの穏やかさの温度の違いに士郎は再び顔を伏せそうになる。心の中に、自分がいま唯一信じられるものを思い描き、その衝動を堪えた。

「おれは殺しちゃった、でも■■士郎をギルは殺さなかったし、生かした。言峰士郎はギルに貰った名前で、だから」

 ギルガメッシュは、決して奪うだけの存在ではなかった。寄り添えば、同等とは言えぬが似たぬくもりを感じるような――、そんな錯覚を抱ける程に、彼は人間を愛している存在でもある。
 絶対の王。全てを愛し、全てが自分の物であると。自身こそが、人類を終わりまで見定める存在であると信じているから――彼は、自由に世界を生きる。


 ――生きたいのならば立ち上がれ、この悪意の中、己の存在を勝ち取り我に示して見せよ。
 ――後は、我が生かしてやろう。


 最古の王は、あとは世界から失われるだけであった子供に、そう言ったのだ。

「おれは死んでない、生きてるよ。ギルがそう言ったなら、おれは生きれると思う」

 たとえそれが、この世全ての悪の中であったとしても。

 士郎は災害で、赤いだけの炎の海の中で自身を見失った。だがギルガメッシュの輝きは見失う方が難しく。士郎はその光に、王の手に縋り、生きたいのだと立ち上がった。

「おれがおれを信じられないのに、キレイがいうような神さまなんて信じられないけど、おれはギルの事だったら信じられる」
「神を信じないとこのような場で宣言することに問題はあるが……それもまた、信仰、か」

 受け入れ難くない、むしろ素直に受け入れることができる義父の笑い声を、士郎はその時初めて聞いた。これほどおかしいことも滅多に無いだろうと楽しそうに喉の奥から笑い声をもらす綺礼の姿に、士郎は目を丸くした。

「私の父は、まさに理想と言える聖職者であったが、逆に歪んでいたとも表す事が出来る人だった」

 突然呟かれた言葉、話の移り変わりについていけずに士郎は慌てるが、綺礼は素知らぬ顔で話を続ける。胸に手を当て、綺礼が語るのは自身の父の話だ。道を定められずに迷う息子の感情の一片も知る事が出来ぬ程に、世界に生まれ落ちてから一途にひとつの道を追い続けた男。その生き方は綺礼とは異なる底から神聖なものであったが、その一途さは人間という枠組みの中ではやはりどこか歪んでいたのかもしれない。

「その名を得た以上、お前もやはり≪言峰≫になるか。それ程までの信仰心を持ち、お前が生者であると言うのなら、奴に逆らえぬ理由も分かる」

 歪んではいるが、真実である信仰。綺礼の神への信仰とは異なるが、士郎の信仰はそれに等しい。

「だがギルガメッシュは神を嫌う、それを知ったお前はどうするつもりだ? いや……どうするつもりだった、と再び問うべきか」
「謝るよ、それに神さまみたいだとも思っているけど、おれはギルのことは王さまだと思ってるし」
「謝罪が受け入れられぬ場合はどうする?」
「大丈夫だよ、ギルはおれを殺さなかったから」

 楽しげに問い掛けてくる綺礼に士郎は真っ直ぐな視線を返す。士郎の蜜の色の瞳はもう不安で揺れてはいなかった。
 士郎の出した答えに、綺礼は口元を分かりやすく笑みの形に歪めた。許されぬなら、既に殺されているはずだと疑いも無く答える子供がどうしようもなくおかしく見えて仕方が無かったのだ。

「言峰になるのではなく、既に言峰だったか」

 綺礼が告げた言葉に、士郎はどこか嬉しそうな笑みを浮かべた。


――。


 何事も無かったかのように、むしろ嬉しいという感情を隠せぬ表情で教会の扉を内から開いた士郎に赤い傘を持った子供は驚いた。壊されてしまうものだとばかり考えていたが、士郎は壊れずそこに在る。
 それは少年にとっては喜ばしいことであるが、大人の方の自分はどうなのだろうかと少年は考えた。自分が成長した存在ではあるが、何をどうすればあれほどの暴君になれるのか少年には分からない。ある程度記憶の共有もしているはずだが理解は出来ない。
 士郎は扉を開けた瞬間視界に飛び込んできた赤色に身を引いた。そしてその隣の黒色を見て首を傾げる。
 雨の中、教会の扉の前に立つ知らぬ少年と、知った男性。戸惑うのは当たり前だなと考えながら、本来ならば居るはずのない己の存在に関して深く入り込まれる前に少年は唇を開いた。

「こんにちはシロウ、見れば分かると思いますがエミヤキリツグさんがお待ちですよ」


ひとりぼっちの王と剣-5


 言峰士郎と衛宮切嗣はひとつの傘の下で身を寄せ合いながら雨で濡れたコンクリートの道を歩いていた。士郎は自分を送り出した見知らぬ少年の事を、切嗣は普段よりも機嫌の良さそうな士郎の様子を気にしながら。

「えっ、養子、じゃなくて、本当にえみやさんの子供?」
「ああ……言っていなかったかな?」
「……どうして? 一緒に住んでないんでしょう? 何でおれなんかにかまってるの」

 しかし切嗣がふと零した事実に、士郎の思考から自身の王と良く似た色合いの少年の姿は消えてしまった。士郎はその時まで切嗣の語る娘を養子だと思い込んでいたのだ。
 仕事の関係で世界中を飛び回っていたと聞いた切嗣の事。ある日突然現れて、僕と家族にならないかい? と士郎にも手を差し伸べたように、彼は世界各地に家族という存在を持っているのではないのかと士郎は考えていた。士郎には、本当に血の繋がった家族とは相当の理由が無い限りは共に在り続けるものだという平凡で幸せな家庭に育ったが故の想いがあったのだ。
 炎に焼き尽くされてしまったその想いは形を変えて痛みと焦燥を孕み、執着として言峰の名を与えられた時から士郎を蝕み続けている。

「僕たち親子には上手く説明できない理由があってね……」
「むすめなんだろう? きらい? 会いたくないの?」

 僕は諦めてしまったんだよ、と。体にも心にも深く傷を残している士郎を前にして、切嗣はその言葉を音にすることは無かった。しかし何かに怯えるように、必死な士郎の問い掛けに息が詰まる。
 柔らかな白の髪を揺らし、赤い宝石のような瞳を向けて。母親に良く似た顔で笑うこの世に残された唯一の家族。切嗣と母親の帰りを待っているであろう、一人の少女。
 子供は残酷だと、切嗣は苦笑いを浮かべた。

「嫌いなわけがない、大好きだ、会いたい」
「……会えないの?」

 真っ直ぐな瞳が切嗣を見詰める。不安げに切嗣のスーツの袖を握る手は小さく柔らかいが、痛々しい傷痕が刻まれている。嘘を付けば、士郎にさらに傷を増やすことになると切嗣は察していた。
 少数を切り捨て多くを救う。今までの生き方にも届かぬ場所で、いま切嗣は立ち止まっている。

「……僕では、もうあの子に手が届かないんだ」

 何もかもが切嗣に足りなかった。あの雪の妖精を再び瞳に映すだけの事も、生き続ける事さえ切嗣は世界から否定されている。
 士郎と同じように、切嗣にも聞こえるのだ。救えなかった者達の悲鳴が。懇願が。切望が。呪詛が。それは酷く重たく、日々切嗣を血と硝煙の臭いがする道へと誘う。
 炎の中で切嗣は誰も救えなかった。そしてその嫌悪から自らを鎖で繋いだ重さで、あの日から動けずにいる。衛宮切嗣という人間を作り上げているものは、あの日を境に殆どが壊れてしまっていた。

「そんなことない」

 ふいに握り締められた手に伝わる温もりに、切嗣の肩は跳ねた。士郎は両手で切嗣が傘の柄を持つ手を包み込み、そんなことはないのだと呟く。切嗣の答えを聞いても揺らがぬ瞳は強い意思を秘めていた。

「おれは弱いから本当はこんなこと言っていい人じゃないけど、一人でムリなら助けてもらえばいいよ」

 おれはあの日、助けられたのだと士郎は言う。
 切嗣から視線を逸らし、何かを決意するかのように浅く息を吸って。士郎は再び切嗣を見据えて口を開き、失われたはずの名を言葉にした。

「■■士郎は、助けてもらったんだ。死んでなんかいなかった、おれはあそこで死ぬはずだったのに、手を差し伸べてもらっただけで、いま生きてる」

 見上げてくる瞳の強さ。純粋な、子供だからこその残酷さ。

「おれに、できることはある?」

 その言葉に返す声を持たぬ事に気付いた切嗣は、衛宮切嗣という魔術師殺しの存在を完全に見失ってしまった。
 同時に、遠い昔に問われた言葉を思い出す。――自分は、何になりたいのだったか。

「……もしも」
「うん」
「もしも僕の娘に出会うようなことがあったなら、その子と家族になってくれないか」
「家族に? でもおれキレイ、父さんがいるし、えみやさんの養子にはなれないし」
「……言峰綺礼のことが好きかい?」

 切嗣の言葉に士郎は迷う事無く頷いた。大好きだよと笑みと共に返事が返る。

「おれ、キレイのこと大好きだし、えみやさんのことも好きだし。……助けてくれてありがとうって、今は少し、思えるんだ」
「そうか……」

 首を傾げる士郎と向き合い、切嗣は士郎の頭を撫でた。切嗣から見た士郎のそれは、早く新たな環境に馴染まねばいけないという強迫観念のような、もしくは拾ってもらった引き取ってもらったという状況に対する妄信のような気もしていた。だが士郎は幸せそうに笑っている。いつか正されねばならぬ歪みもあるだろう。しかし今は、どこか人形のようだった子供に確かな自身の意思がある。それもまた良いのではないかと、そう思えるような強さが、今の士郎には感じられた。

「……僕の娘はイリヤというんだ、家族は無理かもしれないけど……彼女を士郎に頼んでもいいかな?」
「……うん、分かった」

 頼んで、自分はどうするつもりなのか。短期間で人が内に秘めたものを察することに長けてしまった士郎は問わない。
 湿った空気の中で、二人は静かに密やかに約束を交わした。


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