「……士郎君は居るかな?」
「いますけど、少し取り込み中のようです。代わりに言峰神父をお呼びしましょうか?」
「いや、いいんだ、……ところで君は?」
「ああ、どうも初めまして、ボクはいまここで少しお世話になっている身です」
「あ、ご丁寧にどうも……」

 切嗣は目の前で丁寧に頭を下げる金色髪の少年を見て困惑した。金色の髪に赤い瞳という見た目が別の人物を連想させたという意味もあるが、一番不可解なのは切嗣が少年の姿を今までに一度も見たことがないという点だ。
 雨の中、赤い傘に身を隠し教会の前に立っていた少年は、切嗣の姿を見て警戒する事無く笑みを浮かべて見せた。面識は無く、信者と思われるような格好をしているわけでもない男に向かって少年は迎え入れるような表情を見せたのだ。
 だが、現実としては切嗣は少年に道を阻まれている。

「君は最近ここにきた子かな?」
「うーん、ボクに関しては最近、と言われたら最近ですけど、付き合い事態は数ヶ月前からありますね」
「そうか……」
「はい!」

 雨粒を落とす曇り空下で、少年は輝くような笑みを浮かべた。丁寧な挨拶をしながら自身の正体を語らず、切嗣の目的である士郎への道を閉ざし、さらに切嗣の天敵とも言える神父を呼びましょうかと首を傾げる。これが全て子供の純粋さ故の行動であったならどんなに恐ろしい大人に育つのだろうかと切嗣は内心呻いた。

「取り込み中と言ったけれど、士郎君には今日会えるかな?」
「それは彼次第だと思いますけど」
「……今日は帰ったほうが良い、ということかな」
「できれば。きっとこのままだと今日のシロウは貴方に会いたがらなくなるだろうから」

 猫のような目を細め、少年はそう言った。
 切嗣は今日は大人しく帰るべきだろうかと考えるが、少年の言葉に小さな不安が生まれた。このままだと士郎は貴方に会いたがらなくなるだろう。その言葉に込められた意味は何であろうか。

「君は士郎君と仲がいいのかい?」
「ボクは仲良くしてあげたいと思っていますけど、少し難しいですね」

 赤い傘をくるりと回しながら、少年は空を見上げ言う。少年の強い視線を受け、切嗣は咄嗟に今までの生き方と同じように少し距離を置いた返答をした。切嗣の態度に何を言うでもなく、ただ興味が無くなったと言う様に少年は曇り空へと視線を戻す。
 結局最後まで、少年の言葉に隠された真意に、切嗣は気付くことができなかった。

 ――少年はまず最初に言ったのだ。代わりに、言峰神父をお呼びしましょうか? と。
 それに気付けなかった貴方が悪いとは言いませんけど。心の中でそう考え、少年は言峰士郎の事を想った。


ひとりぼっちの王と剣-4


 窓を叩く雨粒、朝から途切れることの無い雨の音に耳を傾けながら、士郎は一冊の本の表紙を開いた。子供向けに構成されているその本を士郎へと手渡したのは言峰綺礼、士郎の義父だ。

 風呂での一件以来、士郎から距離を置くように、まるで監視するかのように遠くから士郎を見るようになったギルガメッシュの事を士郎は義父へと相談した。義父は士郎の話す内容を真面目に聞いたかと思えば、答えを知りたいのならばこれを読むといいだろうと底の見えない瞳でいつも通り微笑みを浮かべる。士郎が受け取った本の表紙には、ギルガメシュ叙事詩と文字が綴られていた。

 ギルガメシュ叙事詩。実在していた可能性のある(実際に士郎は話の中心である王に出会ってしまっている為、実在していたと知っていることになるが)古代メソポタミアの王、ギルガメシュを巡る物語。
 ウルク第一王朝の伝説的な王、他の神話や叙事詩にも数多く登場するギルガメシュは実在の人物であったと世間でも考えられている。
 ギルガメシュは三分の二が神で三分の一が人間という存在であった。半分は神である彼が何故神を嫌うのか、答えが本に記されていると綺礼は言う。
 子供用の絵本へと解釈を多少変えられてはいるが、それでも本の中の暴君の姿は士郎の知る王と重なる。暴君であったギルガメシュは、その性格を対等な立場に立てる存在が居ないからだと考えられ、神々はギルガメシュと同等の力を持つ存在として粘土からエンキドゥと呼ばれる存在を創り出した。エンキドゥは地上に降り立った頃は獣と同じように生活をし、知性というものは生きていく為に必要な程しか有していなかった。しかし、教育によりエンキドゥは力を弱めた代わりに知性を得る。
 後にギルガメシュはエンキドゥと力比べをするが決着は付かず、ギルガメシュはエンキドゥを自身と同等の存在として認め、二人は友となった。

 読んで初めに、士郎はギルガメッシュに友人が居たことに驚いた。神を嫌悪し人を雑種と見下す彼を受け入れた友人というものが士郎には想像できない。嵐と並ぶ存在は、やはり嵐なのだろうかと考えるが、遠い過去の話の真実を得ることはできない。

 意気投合した二人は共に様々な冒険に出掛け、その時も同じようにメソポタミアには無い杉を求めて旅に出た。神々の所有した杉の森はフンババと呼ばれる怪物を番人とし守られていたが、二人は神に背きフンババを殺し、杉をウルクへと持ち帰る。
 そして、フンババと戦うギルガメシュの姿を見たとある女神が彼に求婚をした。しかし美の女神とまで呼ばれた彼女の求婚をギルガメシュは断ってしまう。ギルガメシュの返答に屈辱を覚えた女神は天の雄牛をウルクへと送り、天の雄牛は地を荒らし人を殺した。
 ここでギルガメシュが謝ってしまえばそれまでだった事件だが、ギルガメシュという存在が大人しく頭を下げるわけがない。
 ギルガメシュは相棒であるエンキドゥと協力し天の雄牛と戦い打ち倒してしまうのだ。
 杉を得る為、力試しも兼ねてとフンババを殺したこと。神の飼う天の雄牛を殺したこと。その事実によりギルガメシュは神々から死の呪いを受ける。エンキドゥは死の呪いからギルガメシュ庇うが、神に創られた存在である彼は神の意思に逆らうことが出来ずに命を落とした。
 そうして、自身と同等の力を持っていたはずの友の死を境に、ギルガメシュは死に怯える事となる。人の身、生きる者に当たり前のように訪れる死に、ギルガメシュは友の亡骸を抱え一人怯えた。

 エンキドゥの死を悲しみ、死に怯え、ギルガメシュは永遠の命を探す旅に出る。
 そして多くの冒険の終わりにギルガメシュは不死の薬草のありかを得て、手に入れるが、水浴びをしている時にそれを蛇に食べられてしまうのだ。
 結局、ギルガメシュは永遠の命を得られぬままウルクに戻り、普通の人間と同じように死を迎えた。



 それが本に書かれていた全て。暴君の限りを尽くし神に呪われた王の話。失いたくないと思ったものは零れ落ち、欲したものは手に入れられぬ一人の王の話。
 しかしそれは全て物語の中の話で、真実を士郎が得る為には黄金の王自身が語る話を聞くしか道は無い。
 だが、自身を救った王に感謝し、同時に救われてしまった自身と救った王に怯える自分が、王を相手にそんな事を聞けるだろうかと、士郎は溜息を吐いた。

「士郎、もう読み終わったのか」

 いつかのように背後から聞こえた声に、士郎は振り返る。もう見慣れた黒が扉の前に佇んでいた。
 士郎は頷く事を返答とし、言葉無く義父の次の動作を待つ。義父はその場から動く事無く、低く静かな声で士郎に問い掛ける。

「ギルガメッシュがお前に怒りを向けた理由の一欠けらでも理解できたか?」
「うん……たぶん、だけど」

 子供向けに書かれた本から得られる情報は少ないが、友人を神々に呪い殺されたことにも関係しているのだろうという事は士郎にも分かる。だが、それは暴虐の限りを尽くしたギルガメッシュにも問題はあると思うのだ。士郎は幼さ故に自身の明確な答えが見つからずに迷うが、どちらか一方が悪いのだと叫べるだけの要素が無い事は理解できる。
 ――それに、きっとあの王は、もっと別の理由があって、士郎に対し怒りを向けた気がするのだ。

「ふむ、それで、お前はどうするつもりだ」
「どうする。って」
「私はお前にギルガメッシュの怒りの答えに辿り着くためのひとつを与えた。そもそもお前はどうしたかったのだ? ギルガメッシュに謝罪でもしたかったのか、それともただの興味であったのか」
「……分からない」

 傍にいた存在が離れていく恐怖、見つからぬ恐怖。極度のストレスにより過去の家族や友人の記憶を失っている士郎さえをも蝕む呪い。命を掬い上げてくれた存在に捨てられることを怖れたのかと問われるなら、士郎はそれも間違いではないと思う。

「ギルガメッシュがお前にしていることは、世間一般としては許されぬことだろう、お前自身が痛みに呻き声を上げている」
「それは」
「何故ギルガメッシュに逆らわない? 逆らえぬわけではないだろう」

 見て見ぬ振りをしている存在が何を言うのか。義父と視線を合わせることができず、士郎は俯いた。

「……逆らえるはずが」
「■■士郎は死んだ存在だ」
「あっ……」

 見て見ぬ振りをしていただけの義父が容赦無く突き立てる言葉に、士郎は身を硬くした。

「殺したのはあの災害であり、ギルガメッシュだ、そうして死んだ時点で■■士郎は自由になった。しかもここは教会で私は神父だ。何故逆らえない、死んだはずの人間が何を怖れるというのだ」
「っ……き、あの」

 何か答えなければと顔を上げれば視線が絡む。底の見えぬ、一度捕らえられたら逃げられない瞳に見詰められ、士郎は肩で喘いだ。炎の燃え盛る音が聞こえる。助けを求める声が聞こえる。逃げられぬ、死の招きが見える。
 士郎は思わず身を引き、足に蹴られた椅子が音を立てる。

「答えろ■■士郎、お前は――何故生きている?」

 再び■■士郎として炎の中に投げ出され、問い掛けに返す言葉が見つからなかった。


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