士郎が言峰の姓を貰い、新たな学校へと通う準備も出来た頃にその男は教会を訪ねて来た。
 黒い髪に黒い瞳。草臥れたコートの色も黒。義父以上に黒で全身を守る男は士郎を見つけると「こんにちは、言峰綺礼さんはいるかな」と問い掛けて笑みを浮かべる。士郎はその笑顔に敵意も悪意も感じなかったが、ただ中身というものが込められていない気がした。

 男はその日を境に良く教会を訪れた。そして士郎に、僕の家の子にならないかい? と問い掛けるのだ。男の言葉に、士郎は同じように何度も首を横に振る。
 男は一番初めに、士郎に「■■士郎」として接した。男が現れた時、士郎は■■士郎ではなかった、それは既に失われてしまった存在の名だったのだ。だから士郎は男の言葉に頷かない。男が差し出す手を取れば、繰り返される悪夢も終わるのだろう。しかし士郎は新たな名を与えられた以上、そこから逃げ出そう等ということを考えなくなっていた。何より、王の機嫌を損ねることが怖かった。
 剣で在り続ける限り、王はその身を生かしてやろうと言う。■■士郎はあの炎の中で、自分だけが掬い上げられたという事実の中で死んでいった。言峰士郎を生かしているのは黄金の王で、彼が士郎を捨てれば言峰士郎もまた死を迎えるだろう。
 言峰士郎という剣は幼いながらに自身の立場を正確に認識している。士郎は王から見れば今にでも飽きて捨てたとしてもおかしくない存在なのだ。
 男は、ならば衛宮士郎になれば良いと言うが、その言葉が黄金の王の言葉に勝ることは無い。
 それでも男は諦めなかった。ただ、剣となった一人の少年を救い上げようと足掻き続ける。正義のヒーローが居るとすればこんな人なのだろうかと考えながら、士郎は理由と期限が用意された行為として、その日、男と手を繋いだ。



「食事は士郎君が作っているのかい? すごいね」
「父さんが作るとすごくからいんだ、食べられたものじゃないって……、えっと、一緒に住んでる人が言ってる」
「そうか……僕は家事が出来ないから士郎君みたいな息子がいればいいんだけどね」
「えみやさん、むすめがいるって言ってなか、ませんでしたか」
「無理な話し方をしなくていいよ、うん、娘がいるけど、今は離れて暮らしているんだ」

 迎えに行けなかったのだと、切嗣は言えなかった。炎の海の中で生存者は見つからず、絶望しながらもせめて父としてイリヤに会いに行かねばと何度も雪の中を切嗣は進んだ。だが、切嗣は城にすら辿り着く事ができなかった。
 アインツベルンに阻まれているのだと理解し、一度は離れた冬木に切嗣が戻ってきたのには理由がある。まだ自分にも何かできることがあるのではないかという淡い期待が、夢が捨てきれなかった。魔術師の夢であった聖杯は、切嗣が目指すものとは正反対であり、しかしある意味で真実と言えるものであったというのに。

 そんな時、切嗣が突き付けられた絶望に飲み込まれそうになった時だ。切嗣が必死に生存者を探して歩き回った、一番酷い被害が出た地域で生き残った子供が、丘の上の教会の神父の養子になったという話を聞いたのは。
訊ねた教会で、殺したはずの相手を見て視界が赤く染まる。そんな切嗣を見て少し驚いた表情を見せた男はすぐに薄ら寒い笑みを浮かべ、静かに切嗣を歓迎して見せた。

「カボチャがあるね」
「あ、えみやさんカボチャはかたいから駄目だよ、おれじゃ切れないんだ」
「ああ……そうか、そうだね、士郎君じゃまだこれは硬いね」
「うん、白菜とかなら最低でもちぎるだけで良いから楽なんだ」

 あの悪意に満ちた世界を生き残ったという子供と手を繋いで切嗣は町を歩く。夕飯の買出しに同行できる程度に子供との間には関係が出来ていた。気を付けて行ってきなさいと子供を送り出す神父を無意識に切嗣が睨み付けると、神父はただ静かにうっそりと笑う。そこに込められた思いなど、切嗣は知りたくも無かった。聖杯戦争の中で何よりも恐れた男は、さらに理解し難く恐ろしい存在になっていた。
 直接的に、それで駄目ならばさり気なく。神父から引き離そうと切嗣は子供に誘いをかけるがその全てを子供は拒絶した。ある時、僕と家族になるのは嫌かなと切嗣が問い掛けた時など、衛宮さんの気持ちは嬉しいけど駄目です、と丁寧に子供は頭を下げた。子供の根を蝕む存在に、切嗣は気付かずにいる。

「今晩はお鍋?」
「うん、カレーは簡単だろうと思って作ってみたら失敗したから、煮るだけのものから始めようと思って」
「士郎君は本当に偉いね」
「えらくないよ、一週間分買い物のためのお金貰ってるし、他のことはみんな大人になれば何とかするものなんだろう?」

 一人で生きていく術を学ぼうと必死な子供の言葉を、切嗣は否定することができなかった。
 それでも、これだけは事実として伝えておこうと口を開く。

「……さっきも言ったけど、僕は大人だけど家事が出来ないんだ」
「えみやさんは、早くお嫁さん貰えばいいと思う」

 お嫁さんは、いるんだよ。とは、切嗣は言えなかった。

――。

 子供の買い物が終わり。切嗣は子供の荷物を持って歩く。重たい荷物を持つのは大人の役目なのだと子供に言い聞かせて優しく掬い上げたそれは、確かに子供の糧となる物としての重みを持っていた。
 左手で子供の右手を握って上り坂を歩く。夕日が町を暖かな色で染めるが、それは子供にとって暖かい色なのだろうかと考える。あの肌を焼く炎の色として認識してはいないかと、切嗣の方が夕日に怯えてしまった。強く握られた手に、蜜の色をした子供の瞳が切嗣を見上げる。

「……士郎君、やっぱり、おじさんの家の子には、ならない?」
「……うん」
「そっか、うん、ごめんね、何度も同じ事を聞いて」
「そんなことない、嬉しいよ、おれのこと気にしてくれて」

 何も無い自分の事を気にしてくれて。切嗣にはそんな幻聴が聞こえた。
 子供が一緒に帰ると言ってくれたならば、カボチャを買いに戻ろうとまで考えていたのに。自分が切るから大丈夫とも、義父さんに切ってもらえば良い、あの神父を頼れば良いとも言えず、炎の中に取り残されているのは自分なのかもしれないと切嗣は奥歯を噛み締めた。

 丘の上の教会の前では神父が我が子の帰りを待っていた。切嗣に感謝の言葉を告げ子供が持っていったオレンジ色の買い物袋を神父が持ち上げるのを見て、二人とは少し離れた場所で切嗣は立ち止まる。神父が帰りを待っていたのは、本当にその長身に少し嬉しそうに駆け寄っていく子供なのかと切嗣は疑ってしまった。

「えみやさん! えみやさんはご飯一緒に食べていかないの?」
「ごめん、また今度ね」

 子供が手を振りながら切嗣を食事に誘うが、いつも通り切嗣は子供の誘いを断った。衛宮さんはいつもそれだと子供が少しむくれる姿に切嗣は笑みを浮かべ、子供の後ろに立つ神父に視線を移した。

「たまには食べていけば良いだろう、もう帰るのか?」

 神父が切嗣に向けた言葉の裏には別の言葉が隠されている。切嗣はそれを感じ取り、子供に悟られぬ程度に顔を歪めた。

「士郎君ごめんね、本当にまた今度、時間があれば」

 切嗣がむくれる子供に手を振れば、子供も手を振り返す。そのまま踵を返し、子供と共に夕日に染まる坂を上って来た時よりも強く切嗣は奥歯を噛み締めた。

 ――神父は、笑みを浮かべたまま、確かに切嗣に問い掛けていた。この子供を私から引き離すと言いながら、お前は逃げるのか、と。


ひとりぼっちの王と剣-2


「不味い、煮るだけにしてもやり方というものがあるだろうに」
「文句があるならどこか食べに行けば良いって何度も言ってる」
「文句も無ければ貴様は楽ばかりするだろう、まったく貴様が子供でなければ王にこのようなものを食事として捧げるなど許されぬ事だ」
「むっ……」
「よい、精進するがいい、食事が済んだら湯を浴びる、共をせよ」
「……はい」

 ギルガメッシュの言葉に大人しく頷きながら、士郎は赤く染まる義父の小皿の中身を心配していた。いくら水炊き鍋といってもそれは無いのではないかと言葉にする勇気は、まだ士郎には無い。
 教会の扉の前に立っていた義父の待ち人は自分ではなく、自分と共に出掛けた衛宮切嗣という男性だという事を士郎は知っている。それを知りながら士郎は知らない振りをして、事が上手くいくようにと子供として考えて行動している。ギルガメッシュはそれを良く思ってはいないようだが、士郎は自らの王の機嫌を損ねる事と同じくらいに義父に不要なものとして扱われることも怖いのだ。

「ところで士郎、三日後の用意は出来ているか?」
「え、うん、全部揃ってる、と思う」
「今晩、無理ならば明日の朝に確認して足りないものがあれば明日の内に言いなさい」
「分かり、ました」

 義父の口調につられ、ギルガメッシュに指摘され、衛宮切嗣に優しく諭され、士郎の言葉使いは安定していない。その揺れにギルガメッシュが眉間に皺を寄せたのを見て、士郎は俯いた。
 三日後、士郎は今まで通っていた学校とは違うが、小学校へと通える事になった。知る人に、友人に会えるかもしれないという期待と、もし誰も知る者のいない、今までの世界が否定されるような場所であったらという不安。しかしそんな感情など知らぬと言う様に、士郎は少し浮かれていた。
 皮膚を裂かれ、肉を抉られ、骨を砕かれ。義父がどんなに魔法のように傷を癒すことに長けていても、疲れは幼い体を蝕む。休みの日にどうなるかは分からないが、学校に通っている間はあの嵐に襲われる回数も減るだろうと士郎は考えているのだ。
 義父は士郎が知る限り、意外と思う程に秩序も重んじる。その切り替えが良く分からないが、自分を事の中心に据えるような問題は起こさない。

「三日後、か。剣に教養など要らぬとは、貴様が言葉を持つ物である以上は言えぬからな。早く食え雑種、湯が冷める」
「うん」

 文句を言いながらも必要分を腹に収めたらしいギルガメッシュに急かされ、士郎も小さな口の中に食材を詰め込んでいく。夜が完全に降りてしまえば消えてしまう家族のような会話と触れ合いを、士郎は大切に自分の中に仕舞い込んだ。
 最後まで変わらず、義父の小皿の中身は赤かった。


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