しんしんと降る雪の中、空を見上げて士郎は白い息を吐いた。
 降り積もったばかりの雪にわざと派手な足跡を付けながら歩く。そうして歩いてきた道に残る己の足跡を見て、士郎は楽しげに笑った。
 夜の内に教会の敷地内の雪を踏み荒らすものはいない。少し前までならば共にはしゃぎ回る友も居たが、士郎と同じ境遇に立っていた少年少女等は新しい家族に手を引かれ教会を去っていった。それは喜ばしい事なのだと士郎にも理解している。肉を抉られ、血を啜られ、餌として人としての尊厳も奪われ生かされるよりは、新たな家族を得る方が幸せなのだと、士郎は思い込むことにした。
 白いだけの視界、冬の風に体は冷える。しかし、ふとその白さに、静寂に包まれた世界に、あの日との違いに恐怖を抱く。

 度の過ぎた熱に人は冷たさを感じるというが、炎は容赦無く肌を焼き、痛みでさらに傷は熱を孕んだ。生と死の境を迷った証は幼い士郎の体に濃く残っている。大人のものへと体が成長したとしても消えることのない火傷の痕を撫でながら、炎よりも暗く透き通った赤を歪めて黄金の王は笑うのだ。

 そこまで考え震えた背に向かって呼びかけられた名に、士郎は足を止めた。低く落ち着いたそれは、士郎の新たな父となった男の声だ。微かに身を硬くしながらも士郎は振り返る。いま、自身が帰るべき場所の前で神父が微笑みを浮かべていた。
 炎の海を見たあの日以降、以前のように上手く体を動かせなくなった士郎の行動に義父である言峰綺礼は特に何かを言うということがない。
 九時になったら寝なさい、無理な運動は控えなさい。と普通の親のような言葉は士郎が孤児院にいる全の中の一の子供であった頃から聞いてきたが、士郎が約束事に反したところで義父は何も言わないのだ。それこそ、どうなろうと関係の無い存在なのだと教えるように。しかし、ある意味で無関心とも言える態度でありながら、義父は士郎に対して微笑みを見せる。光の無い瞳に士郎の知らぬ感情を乗せて、優しく手を差し出してくる義父が士郎は怖ろしかった。

 差し出された手を取れば、あの炎の中でさえも感じなかった苦痛が待っている。
 それでも士郎は手を取る以外に道が無い。他に、士郎に差し出される手は無い。帰るべき場所でなければならないはずの教会の扉が、士郎の耳にはやけに重たい音を立て開かれたような気がした。





 士郎の手が一番初めに引かれたのは、確定していない未来の中では幸福と呼べる道だったのだろう。命を奪われるはずだった子供達の命はあるべき場所に収まったままで、さらに再び歩き出すだけの環境が彼等には与えられたのだ。傷の上に傷を重ねられたのも、何か目に見えないものを奪われたのも、■■士郎という少年一人で終わった。

 ■■士郎を抉る手を休めず、黄金の王は痛みに喘ぐのならば恨めと囁く。お前が居たから逃げられた者達を、お前を蝕む原因を作った男を、そして肉を抉り魂を喰らう我を恨めと■■士郎に王は言った。
 皮膚が引き裂かれ、肉が抉られ、何かが引き摺り出される感覚。視界は歪み、自身の悲鳴と微かな笑い声しか聞こえず。感覚など痛みしか無い世界で、その行為は■■士郎にとっては全て錯覚のようなものだった。
 実際に行われている行為ではあるが、殆どの身体機能が上手く働いていない状態では、生まれてから七年八年といった時間の中で得た情報だけで■■士郎は己の身に起こっていることを想像するしかない。――想像してしまう。  いっそ、何も考えず、何も感じることも無く、壊れてしまえば、死んでしまえば楽になれる状況で、■■士郎は喘いだ。

 恨めと絶対の力を持った声で王が囁く。だから、■■士郎は狂えずにいた。
 恨まないと■■士郎は叫んだ。子供が弱りきった体で本当に叫べたのか、それは黄金の王だけが知っている。自身の限界を超えるように■■士郎は叫んだ、何も考えず叫び声を上げた。
 恨まない。お前が恨めと言うから恨まない。誰も絶対に恨まない。お前の事も恨んでなどやらない。■■士郎は年相応の幼い言葉で、そう叫び訴えた。
 一瞬の静寂の後、爆発したかのような笑い声が響き渡る。子供の体を抉る手は、いつの間にか止まっていた。

「この我に牙を向けるなど万死に値するが、まあその目は悪くない」

 これでも貴様が世を恨まず生きられると言うのならば、我がその存在を生かしてやろう。
 首に触れた物に熱は無く、士郎は触れた物の正体を空想した。人のあたたかさの無いそれは、もしかしたら一度は終わりを迎えた死者である王の手ではないかと錯覚できるだけの情報を、士郎は持っていなかった。
 むせ返る様な鉄の匂い。痛みも越えて、感じるのはひやりとした一筋の冷たさ。
 壊れかけの精神では、もうどこが痛むのかすら分からない。冷たさを感じているのが本当に首なのかさえ曖昧で、遮る物などないはずなのに視界は白く黒く覆われていく。

 恨む、恨まないという次元では無かった。思考さえ許されない、という話だけではない。これだけのことをされても、■■士郎は何も恨めなかったのだ。
 他の人達は、家族や友人は死んでしまったのに、自分は生き残ってしまったという意識が■■士郎という子供の根を蝕んでいる。
 生き物として当たり前の本能と、それとは別の悪意が炎と共に渦巻いていた空間。切り取られた呪いで満たされた世界。助けを求める声を無視して足を進めて。そうして、自分だけが助けられてしまった。

「■■シロウ、貴様に新しい名をやろう」

 生かされ、新たな存在として名を与えられた日から■■士郎は考え続ける。己は何者なのだろうかと。

「何を悩む事がある、炎に焼かれ、生き残ったのは当然の事であろう」

 王が囁く言葉が、どこまで現実のものであったのか■■士郎は覚えていない。
 それでも確かに、夢か誠か分からぬ言葉が――、

「貴様は、人ではなく剣であるのだから」

 ――言峰士郎という、一本の剣を生み出した。


ひとりぼっちの王と剣-1


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