「テッド、起きてる?」
語り合うのも、これで最後だろうと思う。不思議な、次元が歪み混ざりあったような空間――≪外≫の匂いがするあの霧の船で出会ってから、ラズロとテッドは多くも少なくもない言葉を交わしてきた。それはラズロの宿した罰の紋章に関する話であったり、意味をなさない言葉のやり取りであったり。軍主でありながら、ラズロとしての言葉を紡ぐことができるテッドの存在をラズロは心地好く思い、独り言のようにぽつりぽつりと思いを溢してきた。
「……起きてる」
見れば分かるだろうと言いたげに、ベッドに腰かけ弓の手入れをしていたらしいテッドはラズロを部屋に招き入れた。体の半分以上を既にテッドに与えられた部屋へと潜り込ませていたラズロは、聞き慣れてきた少し不機嫌そうな声音で早く入れと急かされ、少し笑った。
「最後に、話そうと思って。きっと明日はそんな時間ないだろうし」
「……お前、怖くないのか?」
「何が?」
遠慮もなにもなく椅子に腰掛け、ラズロはテッドに話の続きをねだる。
「例の紋章砲、作戦が上手くいかなきゃお前がソレを使うことになるかもしれない。……お前は、それが最善だと思えば、必ず使うと思うから」
「……それは、死ぬのが怖くないのか、ってこと? この話も何回目かな」
ラズロの言葉に、テッドは眉を寄せた。俺に構うな、俺に頼るのか、と言いながら、テッドはラズロを支えてくれた。ラズロの終わりに、期待と希望を抱きながら。
ラズロは、悩んだ。これを言っても良いものかと。他でもない、テッドに。この弱音と甘えは、吐き出しても良いものかと。
短く息を吸い、吐き出す。そうして、最後だから、包み隠さず伝えておこう。と、ラズロは唇を開いた。
「……正直に言えば、よく分からなかったんだ」
ずっと、自分は海に還るものなのだとラズロは考えていた。還りたかった、どうしようもなく、母なる海へと。罰の紋章にはくれてはやらない、自分は海へ還るのだ。それは、揺るがない思いであったはずなのに。
死にたいのか、と言われると違うとは思うのだが首を傾げてしまう。生きたいのか、と言われても、ラズロは首を傾げてしまった。
「何故、進むのか。そう問われても俺は答えられない。生き急いで、死に急いでいるように見えるのかもしれないけれど、……俺はきっと、何か、答えが欲しいだけなんだ」
剣と、命すら捧げた友人に裏切られ――裏切られたのだと、ラズロは認めた。それを裏切りでないとするならば、きっと二度とスノウとは向き合えないと思ったからだ。
ラズロは、自分はどこへいきたいのだろうかと疑問に思った。スノウの傍らに? 小間使いという、決定を人に任せるしかない立場であったにしても、ラズロには主体性というものが欠けていた。流刑を受け、あのまま海の藻屑となっても構わなかったのではと考えてしまうほどに。
「……俺は、死ぬのが怖い。このまま、何も成せず、死んでしまうのが怖い。きっと俺は全てが憎かったけれど、全てが愛しかった。誰かに必要とされたかった、誰かのために生きたかった、生きたいよ」
最後は海に還るのだと。ずっとそれだけを願ってきた。
だが、もうあの平和だった日々で漂っていた己には戻れないと、ラズロは解っていたのだ。
「……あんたはさ、すごく強かった。だけど、同じくらい不器用だ」
「そうかもしれない。もっと早く、誰かにすがってしまえばよかった。そうすれば、怖かっただろうけど、すぐに答えを見つけられたと思うのに」
「……明日は決戦だ。俺の協力は、そこまでの約束だったよな」
「そうだね、俺はそろそろ、テッドに甘えるのを止めなくちゃいけない」
ここまで、本当は弱かった自分を倒れないように支えてくれてありがとう、と、ラズロは手を離す。そして、感謝の代わりに。ひとつ、まじないを唇から溢した。
「テッドに、奇跡を見せてあげる」
それはどこまでも真っ直ぐで、淀みの無い心の底から自信に満ちた宣言だった。
「……ラズロは、すごいよ。そんな紋章を持っているってのに、自分の道を、まっすぐ歩いていける」
テッドは手入れ途中の弓を置いて、あのラズロでさえ本音を語ったのだから、自分も言ってしまおうかと考えた。
強く優しく、しかし脆い己の天魁の星に。ずっと聞いてみたいことがあったのだ。
だがそれを聞くには、ラズロの終わりを見届けなければと思っていた。その問いをラズロにすることに、どうしようもない不安があった。
しかし、今のラズロならば、答えられるだろうと思えてしまったのだ。
「……なあ、俺もいつかは、そんな生き方ができるかな……?」
ラズロはぱちぱちと群島諸国の海そのもののような深い青の瞳を瞬かせ、そしてふわりと、テッドが見たこともないような穏やかな笑みを浮かべた。返答は一言。
「君しだいさ」
なんとも単純で、無責任で、しかしラズロらしく、人間として当たり前のような答えだった。
「……うん、そうだな。いつかは…………」
なので、テッドも素直に答える。少しの憧れと、尊敬を込めた声音で。
かつて出会った過去の人、名前も知らないおにいちゃん。彼とラズロを、テッドは重ねて見ていた。しかしそれを抜きにしても、己を掬い上げた星は眩しく尊いものであると、テッドは今なら胸を張って言える。
「ラズロ、がんばろうな」
「……うん」
テッドの言葉に、強くラズロは頷く。互いに、多くは知らない相手だ。重ねた時間も、人の一生を思えば一瞬であろう。それでも、尊く思える存在だった。
「あ、さっきの話みんなには内緒にしてくれよ、恥ずかしいからさ……」
な、一生のお願いだよ。と両手を合わせて、見目に相応しく子供らしい仕草でテッドはラズロに問いかけた。
ラズロは少し考えた後、どうせ誰かに話すつもりなどないのだが、どうしようかな。とテッドをからかって、確かに純粋に、少年らしく笑って見せた。
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