「……貴方があまりにも優しそうな声で言うから、縋りたくなってしまった自分が許せなかったんだ」

 ティルの中で、ラズロは寄り掛かる分には構わないが、縋ってはならない存在であった。きっとラズロのような存在に縋ってしまえば、せっかく多少は強くなった精神がぐずぐずに崩れ落ちてしまう確信があった。

「縋ってもいいのに」
「だめだよ、ラズロに完全に身を任せたらすぐにだめな人間になりそう」
「そんなことは……無いとも言い切れないのだけど……」

 歯切れの悪い返事に、ティルは変わらずマントに包まれたままくすくすと笑う。ラズロの頭の中では牛乳と卵を使用した高級品の氷菓のような髪色をした青年がふわふわと微笑んでいた。

「……やっぱり駄目だよ。僕のこの強さは、少なくともあと三百年は消えてもらったら困る」

 扉の向こうから雨音が聞こえる。今もそれは恐ろしいが、ラズロとグレミオを切り離して考えられる程度には気分が上昇してきた為かティルの心は少し軽い。

「……怖いんだ。雨は、またあの日が繰り返される気がして。でも、そんなことあるはずないと思って、そうして失ったものを実感して、繰り返されるはずがないと気付いて、泣きたくて、不安になる」
「思えば、君が素直に弱音という弱音を言うことはあまり無いね」
「ラズロほどじゃないよ」

 軽口が叩ける元気も出てきた。そろそろ十分困らせただろうし、立ち直ろうか。
 ティルがそう考え、もそりと体を動かそうとした瞬間。――ぽすり、と、マント越しに何かが、ティルの肩を、宥めるように叩いた。
 足音も気配も無い。だから普段ティルは今のように無防備にラズロに背を向けたりしない。それは信用していないというわけではなく、精一杯の敬意のようなものだった。正面から向き合わなければ、よそ見などしていては絶対に理解できない人。努力が実を結んできたか、ラズロも少しずつではあるが正面からティルと向き合うようになった。

「……グレミオには、わがままばっかりだった。料理中に後ろからとか、いたずらもしたんだ。でも、貴方にはできない」
「まあ、私はグレミオさんではないし」

 マント越しに軽く、押されるような感覚。まだティルが受け止めるには重たい体。あと百五十年くらいは待ってほしいと思う。

「……したくなる、自分が許せない」
「しても良いよ? でも料理中は危ないから気を付けていたずらしてね」
「ラズロ」

 既に二十を越えた――まだ、二十を越えたばかりの若者に相応しくない声音で名を呼ばれ、ラズロはマントのミノムシになってしまっているティルに寄り掛かり、儘ならないなあと思いながら返事をした。

「ラズロを、誰かと重ねたいわけじゃないんだ。誰かの代わりにしたいわけでもない」

 だって、ラズロはラズロだから。と。

「……ティルは大人だなぁ」

 百五十年。あれからそれ以上の時がたっているというのに、私は未だに君と彼を重ねてしまうことがあるんだ。でも私だって君を代わりにしたいわけではないよ。とは、まだ言えない。しかし、きっといつかこのどうしようもない年上の弱音を聞かせる日が来るだろうと、ラズロはもう解っていた。
 いまは、ほんの少しだけ勇気を出すから。長く生きれば生きるほど臆病になっていくものだから許してほしいなと心の中で呟いて、ラズロは緊張を悟られぬように唇を開いた。

「……私の弱音、聞いてくれる? すごく、その、言ってしまえばくだらない話なんだけど」
「いつだって聞くよ」
「ありがとう。まあ、一言で言ってしまうとね、そこでしか上手く呼吸もできなかったのに、死に場所を捨てた男の話なんだけど」

 雨音に、耳に心地良いラズロの声が重なる。語られる話は淡々としていて熱がなく、しかし今この瞬間に繋がるのだと、ティルもラズロも知っていた。


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