※自害の表現があります。










 寝てしまえばいいよ、とラズロはティルの髪を撫でた。痛みにうなされないほど深く眠ってしまえばいい、底まで沈んでしまえばいいと言う。

「悪い夢だって見ない」

 穏やかな声音は麻薬に似ていた。暗示でもかけられているのだろうかとティルが考えるほどにラズロは冷静でいつも通りだ。ティルの怪我を癒すまでは険しい顔をしていたというのに。
 ティルに、解放軍の軍主に恨みのある人間だったのかはもう分からない。ティルに刃を向けた人間は不意打ちの後ラズロに剣を弾かれ、そして自身の舌を噛み切った。何も分からない、ただティルが見知らぬ人間に斬り付けられた事実だけが残った。
 ティルが度々ラズロにだけ、内緒話のように溢す言葉がある。僕は解放軍の軍主だけれど、反乱軍の軍主なんだ、と。雰囲気の変わり果てた故郷にティルが何を思ったのかラズロには分からない。ラズロの戦いは侵略から故郷を守るための争いで、内側の争いではなかった。
 意を違えた、異なるものが争い殺し合うのが戦争だ。どちらが勝とうと影で泣く者が必ずいる。それを理解した等と言えないから、理解したいと言い聞かせるようにどのように理不尽な恨み言だろうとティルは深く受け止めている。お父さんはお前に殺された、と言われても、顔を思い浮かべられるはずがないから重く刻み込むのだ。

「君はすごく生き辛い子だと思うよ」
「ラズロみたいに自己完結したり我慢したりしないから平気だよ」
「私は生き辛そうに見える?」
「辛いっていうよりも、迷子に見える」

 そう? とラズロが微笑みを浮かべたまま首を傾げれば濡れた砂色が揺れる。容姿もだが、ラズロは本当に深く広い海のようで本心が分からない、分からないようにしているところが嫌いだとティルは頭まで毛布を被った。綺麗な容姿と、綺麗に見せかけて何もない表面と、渦巻いている内面が見えてしまったらもうたまらない。真っ直ぐ見詰めても目に見えないラズロにどうしようもなく苛つくのだ。
 根本的に逆の性質なのだろうと考えながら、それで互いに放っておけなくなるなんて駄目な依存の傾向ではないかと思い、それでもあたたかな熱が離れていくのを寂しく感じるのだから仕方がない。
 生まれや育ちで得た性質を簡単には変えられないのだと実感しながらティルは毛布の外に左手を出した。そうして戸惑うように重ねられた手を握り返す。左手と右手、それなりの付き合いがなければできるはずのない暗黙の了解。ティルは確かに隠したがりのラズロに苛つくが、許せないのは甘えたな自分自身だ。それで上手く噛み合ってしまうところがさらに許せない。

「僕たちは長い付き合いになると思う」
「何もなければそうだろうね」
「ラズロのそういうはっきり言わないところ、好きじゃない」
「ごめんね」
「謝り癖があるところも好きじゃない」
「昔、テッドにも似たようなことを言われたよ」

 本当に驚いた、少し嬉しそうな声でラズロが笑えばティルは何も言えなくなった。普段テッドの話はまるで禁句の如くだが、実際はこうして何の前触れもなくころりと形を持って転がる。
 とても重たい尊く大切な存在、見ていた姿はまったく違うのに確かに同じ存在を見ている。知らない親友を語るラズロにティルはいつも少し嫉妬した、なんだか悔しい。

「長い付き合いになるんだし、あまり溜め込まれると困る」
「長い付き合いになるのだからゆっくりでもいいのではないかな」
「ラズロ、実は性格そんなによくないよね」
「私よりは君の方が遥かに真っ直ぐで良い子だと思うよ」

 ラズロの忍び笑いがティルは好きだ。近く感じられて、それが甘えからくる感情だと理解しては顔を歪めながらもくすぐったくなった。

「大丈夫、君は良い子だから悪い夢なんて見ない」

 目をそらすような子ではないから大丈夫だと、ラズロは言う。

「悪い夢なんて見ないよ」
「……ラズロもいるし?」
「え、……そう、だね、私もいるから?」
「そっか、なら安心して寝れる」

 変えたいけれど変えられない事など個人の事だけでも山ほどある。だからティルは、目をそらすような子ではないから大丈夫だと穏やかな声で断言するラズロを信じて甘えることにした。このまま嫌い嫌われ、好いて好かれて、何となくで共に在る変わらない関係だって良いのだと、現実にすがり付く生き方でも良いのだと少し寄り道をした。

「ラズロの言葉は優しくて痛いけど、ラズロの声は好きだよ」
「ありがとう?」
「何か話してよ、テッドの事とか」

 人間は複雑だなと思いながら布団の中でティルは瞼を閉じる。ラズロが静かに語る過ぎ去っていった記憶に、ティルは失われた場所のぬくもりを思い出した。
 漂ってくるシチューの香りに親友と家族の声、父親の大きな手。嗚呼それはどんなに幸福だっただろうかとつい頬がゆるんだ。

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