※坊が150歳くらいの時の坊4。内容は無いに等しい。 「紅茶で良いよね?」 「……ああ、うん、ありがとう」 かちゃり。と、ティーカップから零れた音にティルは顔を上げた。今まで読んでいた本の内容から抜け出せないぼんやりとした思考で、ティーポットを手に持つラズロに答えを返す。 純粋な人の生ではありえない程に長い付き合いになるが、海の青が愛しむかのように細められることにティルは慣れない。心地の良いぬるま湯のような温かさに浸かりきってしまうことに恐怖すら感じる。それでも、その微笑みを愛しいものだとも感じるのだからやはり人は一人では生きられないのだろうと思う。 思考を切り替え、ティーカップに注がれる琥珀色の液体を眺めながら栞を挟んでティルは本を閉じた。 「スコーンはもうすぐできるから、焼けたら一緒に食べよう、今日はオレンジスコーンにしてみたよ」 「オレンジスコーンか、ラズロの料理は何でもおいしいから楽しみだな」 「おいしくなかったらティルは作らせないでしょう?」 どこまでも穏やかな声音で言いながら、ラズロはティルの隣に腰を下ろした。一人がゆったりと座れる程、二人座ればそれでいっぱいのソファに二人で身を寄せ合う。じわりと伝わる熱に惹かれ、ティルは自身と肩を並べたラズロの髪に自然な動作で口付けを落とした。そのまま少し驚いたように視線を移すラズロの瞼にもう一度戯れのような口付けを落とす。くすぐったいと小さく笑い声を上げるラズロを見てティルも笑って見せた。 「ラズロ、今日は素直だね」 「そう? 懐かしいな、なんて考えていたから人恋しいのかも」 肩に掛かる重み、ティルの視界を占める砂色の髪が揺れる。その髪先に指を通しながらティルはラズロに問い掛けた。 懐かしい、という言葉に首を傾げるティルの動きにラズロは笑う。髪を撫でる手を甘受しながらラズロは言葉を続けた。 「君もそろそろ思春期なんだなと思ってね、少し昔を思い出して」 「思春期……? ……テッドか」 「相変わらず君は察しが良い、その歳まで生きても昔のまま歪まずにいるのは私から見れば好ましいけれど生き難いだろう?」 ラズロの少し呆れた様な声に、ティルは微かに髪の隙間から覗いたゆるやかな曲線を描く頬を抓る。一言、痛い。と視線でラズロはティルに抗議した。 真っ直ぐで、それでいて考えの見えない瞳がティルを見詰める。ついでと語るには微妙だが、ラズロの深い青の中に秘められた感情も察してみようかとティルは考える。が、隠し事が苦手なラズロの何を察するのかと考え直した。 唇に軽くキスをして、ティルは青の瞳を見詰め返す。しかしティルの視界からすぐに青は消え、代わりに唇にやわらかな温かさが伝わる。 「ちょっとだけ口開けて」 「……嬉しいけど、積極的な貴方は少し怖いな」 「……ティル、知ってる? もう私たちが出会ってから百三十年は過ぎているのだけど」 「知ってる、正確な年数も僕は把握してる」 そう。と特にその会話に意味を求めてはいないと言うような返事にティルは先程のラズロ以上に呆れた。 「ラズロはその歳まで生きて、少し楽観的……物事を深く考える事が無くなったりはしてない?」 「そう言われるとそんな気がしてくる」 見慣れた真顔で答えるラズロに素直で歪みの無いティルは返す言葉が見つからない。誤魔化す、よりは湧いて出た感情をぶつけるようにティルは再びラズロと唇を重ねた。 これからも続く時間、長い三百年。元の精神は人なのだ、どこかが擦れてしまうこともあるだろう。それでも表情を失う事無く存在していた人を知っているからこそティルは変わらずに生きていける。その人はラズロの中でも消えることの無い存在だ。 「……いつまで、僕たちは一緒にいるんだろう」 「どうだろう……、君が言うように私が楽観的に考えるなら、この世界の終わりまで一緒にいることもありえる話だと思うけれど」 「……紅茶が冷めるね」 「スコーンもそろそろ焼けると思うよ」 唇の触れ合う距離で囁き合い、本心と離れた場所で安心する。 改めてお茶にしようかと互いに言ってはみたが馴染んだ温度から離れ難く動けない。 百五十年。三百年。人間と呼べる領域を越えた二人にとって、それは別れの時期だった。何時まで共に在れるのか、共に居て良いものか。何かに怯えながら過ごす生き方が日常となる。 「テッドより年上になっちゃうなー……」 「性格だけでも前からラズロの方がテッドより大人に見えたよ、テッドが僕に本当の姿を見せていなかっただけなんだろうけど」 どちらの体温か分からぬ程に混ざり合った温度を覚えていようと必死になりながら、忘れてしまった方が優しい世界で生きていけると手のひらに宿る紋章が囁く。 いまこの時が全てだと断言など出来ぬ日常の中、二人はただ縋るわけでも無く手を重ねた。 |