ラズロ! お前達の帰りを待っていたぞ!
高らかに響いた声と、撃ち出される紋章の光。下された命令は、勇敢なる同志の援護とラズリルの解放。
軍主の上げた雄叫びに、誰もが心を躍らせた。
ラズロの軍主としての顔を見たのは、実は初めてだったのかもしれない。ぼんやりと夕日を眺めながら、テッドはそんなことを考える。
霧の船で見せたあの顔は軍主の顔に似てはいるが、まったくの別物だったのだと知った。
霧の船で見せたのは、人として生きたいと、足掻き藻掻く瞳だった。船の上、勇ましく叫びを上げた時の顔は。
――あれは、死など知らない、痛みなど恐れぬ者の顔だ。
ナ・ナルでは迷いや焦燥にその身を侵されていたようだが、いまのラズロはどこかが切れてしまったように見えた。
結局、自分だけに跪くか? というラズロの問いに、テッドは言葉を返さなかった。それでも、確かに押してはいけない背を押してしまった。
責任を感じているわけではない。そう生きるとラズロが決めたのなら、それはラズロが心から信じたことだ。責任を感じるということは、ラズロの生き方を否定するということになる。
それでも、ラズロを死に急がせることに少なくとも自身が関わってしまったという事実は、テッドにとって喜ばしいことではなかった。
「綺麗だろう? ラズリルの夕日は」
「……もう、終わったのか」
「俺の言葉は、たったひとつだけでいいんだ」
今はもう騎士団の拠点としての役目を果たしていない館から一人で出てきたラズロにテッドは呆れた。軍主が無防備もいいところだ。
無防備な状態の時に襲い掛かられたとしても、恐るべき反射神経で双剣が唸りを上げるのは理解している。しかし、割り切れないものは確かに存在する。
ラズロが左手に、自らも右手に宿す紋章のことも。自分が人の上に立つ存在だという自覚が、自信が無い軍主のことも。ラズロの生き方を否定してでも、引き戻してやる勇気のない自分のことも。
テッドは嫌味のように、抗議の意味を込めて隠さず溜息を吐いてやる。ラズロはどうやらその溜息を、まともに演説もできないのか、と言われたように受け取ったらしい。仕方ないだろう、まず人と話すのが得意じゃない。と、しなくてもいい言い訳をし始める。
それがまた、テッドにはどこか痛々しく見えた。普通の少年として生きているラズロの姿に触れる度、嫌なわけではないが、救われない気分になるのだ。
この少年が、敵を前にした瞬間どんな表情をするのか知っている。誰かを守るために、命を投げ捨てられる人間だと知っている。
死に急ぎながら、死に怯えていることを知ってしまった。自分を過小評価しながら、お飾りだと言いながら、必要とされたがっている。
そうしてラズロに対して抱いた感情が、同情だと分かっているから、救われない。
今からでも遅くはない。その紋章ならば、普通の人間として、生きることもできるのではないか。そんなことを考えてしまう。真の紋章から逃げられるはずがないのに。
ラズロが死のうと生きようと、関係ないと思っていたはずなのに、何故か酷く揺れている。
借りが返せなくなるからと、自分を誤魔化すのも限界が近かった。
「……そうじゃない。護衛も無しに何やってるんだ、お前」
「俺が唯一まともに話せた相手なんて……え? ……な、なに?」
「護衛も無しに、お前がここから出てきたことに対して俺は溜息を吐いたんだよ」
「……そうなの?」
館を指差したテッドを見て言葉を組み立て話を理解し、夕日で分からなくなる程度の変化だったがラズロは頬を赤く染めた。
「……は、早く止めてよ。無駄なことまで話してしまった気がする」
「お前が勝手に話したんだろ」
「そうなんだけど、そうなん、だけ、ど……」
相当恥ずかしかったらしく額に手を当て俯いたラズロに、最近少し気を抜き過ぎなんだと責めるような声音でテッドは言った。気を抜くのは君の前だけだよと返ってきた言葉に返す言葉を、テッドは持たない。
「……それで? お前が唯一まともに話せた相手って?」
「え、それを、聞くの?」
代わりに、聞き流してほしかったであろうことを話に出す。ラズロは鬼でも見るかのような目でテッドを見た。
しかしそんな反応も瞬き一つでふっと消えてしまい、いつも通りの何を考えているのか分からない青が揺らぐ。
夕日に照らされ深みを増した青は、どこか現実味がなく、――浮世離れしていて。
テッドは自身の心臓が嫌な間隔で鳴った事実を否定した。大丈夫、まだ、ラズロは、確かに目の前にいる。生きているではないか。
――まだ。そう考えたことに気付き、テッドはゆるく首を横に振った。
「テッド?」
「なんでもない……、で?」
「流してはくれないの?」
他に話題がない。思いつかない。ラズロが笑えるような話をしてやれるといいのだが、そんな話ができるほど、今のテッドは器用ではなかった。
困った顔をしたテッドを見て、ラズロも困ったように微笑む。テッドから積極的に話そうとするのはめずらしい。
また瞬き一つでその表情は消え、軍主の顔を見せたラズロにテッドは首を傾げた。何故、いまそんな顔をするのだろうかと。
「俺に、夕日が綺麗なものだと教えてくれた人だよ」
「夕日が?」
「そう、夕日も、海も空も。世界が綺麗なことを教えてくれた人。でもおかしいんだ、昔は彼と一緒なら何でも綺麗に見えた世界が」
彼がいなくなってから、綺麗だと気付いた。
「忘れたことなんて、なかったはずなんだ。でも、彼に手を離されてから綺麗だと気付いた。昔は違ったはずなのに、彼がいた世界では夕日を見ても、そのひとつひとつを綺麗だなんて思わなくなっていた」
それは、どこか彼への裏切りのようで。
「彼がいないのがつらくて、それなのに、彼がいない世界では綺麗だと思うなんて、おかしくて」
荒れ狂う海のような青は、ラズロが敵を前にした時にしか見せない色だ。そこに情や迷いがあってはならない。あるはずがない。
だがその時のラズロは、何故か今にも泣きだしてしまいそうに見えた。
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