血の臭いをばら撒くラズロの背を追い、テッドは砂浜を歩く。
 さらりと海風に揺れていたラズロの髪は今は重力に逆らうことなく垂れ下がり、その先から赤を零す。
「帰ったらすぐに航路を決定、必要物資の補給が終わり次第出発する」
 そう言い放つと、ラズロは迷い無く波打ち際から海へと足を踏み入れた。腰に下げた二振りの剣は濡れぬようにと砂浜に放り出される。
 テッドは追うか追うまいか悩み、結局その背を追う。ばしゃりと海水が跳ね、足を進めるにつれじわりじわりと冷たさが身に沁みる。
 ラズロは腰まで海水に浸かり、その身に付いた血を洗い流す。ラズロほど海水に浸かる気にはなれず、膝が浸かるあたりでテッドは立ち止まり、ラズロを眺めた。
「テッドは入らなくてもよかったのに」
 テッドに背を向けたまま、ラズロはいつも通りの声音でぽつりと呟いた。軍主を放っておくわけにもいかないだろうと言えば、返ってきたのはそうだねという小さな声。
「お前を放っていく王達の方が変だろ」
「俺が命令したから」
「お前が、リーダーなんだろう?」
「そう、俺がリーダーだから彼等はそれに従った」
 そういうことが言いたいのではないと言っても、ラズロはその態度を崩しそうにない。
 腰まで浸かった状態で体全体を清めるのには時間が掛かると判断したのか、頭から全身を海に投げ出したラズロを見てテッドは喉から変な声が出た。が、すぐに仰向けに浮上してきた体にほっと息を吐く。
 ゆらゆらと水面に浮かぶラズロが沖に流されないようにテッドはさり気なく体を固定してやった。もちろん、そうするにはラズロの浮かんでいる場所まで足を進めなければいけないので、結局テッドはつい先程のラズロよりも海に身を沈める結果となった。
 心の中ではこの野郎と罵りながらも現実では眉間に皺を寄せるだけで済ます。青い炎を燃やしていた瞳は、今は身を任せた海と同じ穏やかな深い青色。テッドは、それに少し安心した。
 この戦争で国を守るために剣を振るい、常に最前線に立つのは何故か軍主だ。テッドは安全な場所で怯えるだけの、もしくは傲慢に兵を動かすだけの人間に従う気になどならないが、死地に身を置かれるのもいい気がしない。それが、元は一人の少年でしかなかった者ならば、さらに。
 テッドから見れば、ラズロは紋章に翻弄されるただの子供なのだ。しかしあの日、霧を裂いた強い力を孕んだ瞳を思うと、やはりラズロはテッドにとっての特別だった。たとえその瞳に見た人が、別の人だとしても。

「……テッド」
 海色の瞳は、テッドが初めてラズロという人間に魅せられたものだ。ラズロは真っ直ぐに人の目を見る。底の見えない、澄み切った深い青が呼んだ自分の名に、テッドは小さく首を傾げることで答えた。
「あの船には、所謂軍主として相応しい人がたくさんいるのだけど」
「オベル王と……あの女海賊か」
 カタリナさんでもいい、彼女は少し感情的なところもあるけれど。そう呟かれた名に覚えはなかったが、ラズロが言うのだからその判断に間違いはないのだろうと思う。
 何が言いたいのか。何を思っているのか。
 それが何となく理解できてしまって、テッドは眉間の皺を深くした。それでも、彼は逃げないと知っているから静かに次の言葉を待つ。
 どんな言葉だろうと、きっと否定などできはしない。ラズロはテッドから見れば紋章に歪められた世界でもがく子供でしかないが、しかし、

「テッドは、俺だけに跪いてくれる?」

 ラズロは、確かにテッドよりも高い位置に存在していた。
 孤高の青。自らを守るものは、今は砂浜に放り出されている二振りの剣のみ。
 意地が悪い。その言葉を何とか飲み込み、早く帰るぞと海に浮いているラズロの足をテッドは思い切り海中へと引っ張った。

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