「その真の紋章、何故自分だけという気になりませんか」
「そう思うこともある、でも、元から次は俺だと決まっていたようだし」
「……その紋章のせいで、失ったものも多いでしょう」
「そうだね、俺はこの紋章のせいで大切だと思っていたものを、守りたかったものを、命を捨てることになっても構わないと思っていたものを失ったよ」
「なら」
「でも、得たものだって、確かにあった」
 百五十年と生きたテッドからしてみれば小さな子供だった。真の紋章に振り回された、新たな犠牲者。
 そう、考えていたのに。
 松明の炎を映す瞳は暗く、黒く見える。しかし船の外、霧の中で見た瞳は深い青。まだ見たことが無い海の色。
 暗闇の中であっても自分の意思を失わない瞳。それは、テッドにはとても眩しく見えた。その瞳が、羨ましくて。しかし、眩しすぎて。
 直視することができず視線を下げれば、簡単に強い光を持った瞳は見えなくなってしまう。それは勿体無いことの様な気がした。
「死んでもいいと思えるほど、大切なものがたくさんできた」
 たった一人の為に剣を取り、たった一人のために生きてきたラズロにとって、それは大きな変化だった。自分を親友と呼んでくれた彼以外の人間をこんなに大切だと思うなんて。
 しかしそれは、彼に手を離されたからこその変化だ。裏切られた、とはどうしても思えない。そもそも自分達の関係は対等ではなかったのだとラズロは理解している。
 そして彼はきっと、ラズロのことを親友だなんて思っていなかった。
 それでも、ラズロは自分を親友と呼んでくれる彼のことが大切だった。
 ラズロは、彼に親友としての関係を求められたから彼の親友になった。ただそれだけと言ってしまえばとても脆く弱い関係だが、ラズロは彼のことが好きだった。
 利用されているのだとしても、それでもいいと思えるくらいにラズロは彼のことが好きだったのだ。
「本当に守りたかった人はもう傍にいないけれど、この紋章が罰という名を持ち許しと償いを司るならば、きっとこれは俺に対する罰で償いなんだろう」
「貴方は、その紋章を受け入れていると?」
「受け入れている」
 ゆらゆらと揺れる松明の炎を宿し、どこまでも真っ直ぐな瞳で。

「誰かに、渡すくらいなら」

 決意に満ちた声は、冷たい空気を震わせた。





 久しぶりに太陽の下に出たテッドが感じたのは急激な気温の変化だ。最初は寒いと感じていた霧の船に慣れてしまったことを理解して、あまりの暑さに小さく溜息を吐く。その溜息は先程のうっかりとしか言えない出来事で罰に触れたせいで、必要以上に熱を持つ右手にも向けられていた。
 真の紋章は百五十年と生きたテッドでも不可解な部分が大半で、いきなり暴走などはしないだろうが、やはりいつもと違う状態だと必要以上に気を使ってしまう。
 この紋章を宿してからは一度も深い眠りに落ちた覚えがない。少し意識を手放せばどうなるのか、それがとても怖いのだ。
 海に落ちかけた人間を支え腕に負担をかけたためか、それともテッドのように紋章が妙な反応をしているのか。目の前で腕を擦る人物の顔をテッドはその時はっきりと認識した。今まではずっと自分が俯いているか暗くて顔が良く見えないかだったので、顔に関しては目が青いことくらいしかテッドは知らない。
 その瞳は、思った通り海と同じ色をしていた。
 方角を確認しろ。目的地はナ・ナルだ。甲板に響く凜とした声を聞きながら、テッドは太陽の眩しさに目を細める。
 何故、その船を降りたのかと問われたのなら、あの言葉と瞳が決め手だったとテッドは答えるだろう。
 遠い昔、また必ず会えるからと言ってくれた人にそっくりだった。何が、というわけではない。もう当てにならない記憶なので断言はできないが、顔も服装に似ていないと思う。
 似ていたのは、瞳の強さだった。

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