ベンチに座り猫と戯れる少年と少年の隣に座り缶コーヒーを飲む男性。それだけ。言ってしまえばそれだけだが紀田正臣はそんな二人を見て真っ青になっていた。

(なんて人と肩を並べてるんだ帝人……!)

 一瞬、とは言えないが正臣が帝人から目を離したのはそう長い時間ではない。女性に声をかけてふられるだけの時間、その短い時間で帝人が肩を並べてしまった人は池袋で知らない人はいないと言われるほど有名な人だった。
 平和島静雄。池袋の自動喧嘩人形。鉄製の標識をぐにゃりとねじ曲げ時に自動販売機を宙に舞わせる人間離れした人間だ。対して帝人は普通にも程があるほど普通の男子高校生。強いどころかむしろ弱い。
 どうしよう、と正臣は木の影から二人を見る。あれが正臣が何より苦手とする折原臨也であったならすぐに幼なじみを助けに飛び出しただろう。しかし二人の間に流れる空気はとても穏やかで二人が座るベンチが宙を舞ったりするような気配はない。
 問題である平和島静雄は缶を傾けコーヒーを飲みとてもおとなしい、帝人は帝人で猫と戯れて幸せそうだ。互いを認識してないとも考えられるが帝人の性格からその可能性は低い。平和島静雄は分からないが、少なくとも帝人は相手の存在を認識しているだろう。
 何はさておき帝人が平和島静雄の触れてはいけない線に触れないことを正臣は祈るばかりだ。折原臨也とは別の意味で正臣は平和島静雄から帝人を守ってやれる自信が無い。自動販売機を軽々持ち上げる人間の暴力からなんてどうやって守ってやればいいのやら。

(なんか話してる……?)

 帝人の口が声を発しているのか動く。平和島静雄は変わり無いが帝人は彼に何か話しているのだろうか。
 目線は猫から逸れないが帝人の口は動き続ける。
 変なこと言ってんじゃないだろうな! ともうこれは早く帝人を平和島静雄から引き離すべきかと正臣は木の影から一歩踏み出したがすぐに元の位置に戻ることになった。平和島静雄が帝人の方を見て何か話し出したのだ。
 そんなに長くなかったであろう言葉に帝人は顔を上げ猫から視線を平和島静雄に移して、へらりと気の抜けるような笑顔で何か言った。
 その様子を見て正臣は気が気でなかったが空気は相変わらず穏やかなままだ。むしろ二人が顔を見合わせ帝人が笑っている分さらに穏やかになった気がする。
 平和島静雄は無表情のままだがどうやら会話が成立しているらしい。帝人はもっと構えとばかりに足元に擦り寄る猫に構いながらも笑顔のまま平和島静雄に向かって言葉を発している。
 気になるが聞こえない。正臣は本当にどうしたものかと二人の様子を伺うが進展という進展はなさそうだ。

(こうなったら突撃だ!)

 帝人! と突然大きな声で呼ばれた自分の名前に帝人はびくっと体を揺らし反応した。
「あっ……びっくりした! 紀田君ちょっとは音量加減してよ」
正臣の声に驚いたのか帝人の足に擦り寄っていた猫は勢い良く走り去る。帝人はその姿を見て少し寂しそうな表情を浮かべた後正臣の顔を見て文句を言った。
「悪い悪い、でも俺を置いていなくなっちゃう帝人も悪いぞー」
「いなくなったのは紀田君でしょ? 今回もどうせ忘れられてると思ってたよ」
「今回もとかどうせとか何だよ」
「言葉のままだと思うよ」
 帝人といつも通りの会話をしながら正臣は平和島静雄にちらりと視線を向けた。青いサングラスに遮られ口よりものを言う目は見えず何を考えているのかまったく分からない。
 お前本当にさり気なく酷いよな、と正臣が帝人の頬をぺちぺちと軽く叩いたのとほぼ同時に平和島静雄はベンチから立ち上がった。
「あ……」
「じゃあな」
 帝人の口から声と呼べるのか微妙な音が出ていく。吐息といっても間違いではないその音に平和島静雄は別れの言葉を返しあっさりと二人の傍を離れる。
 平和島静雄は、正臣の悩みに予想外に潔い綺麗で平和な終わりを告げた。
 帝人は何故か残念そうな寂しそうな、猫が去っていった時と同じような表情を浮かべ平和島静雄の背に向かって頭を下げる。拳の一発くらいは覚悟していた正臣は正直平和島静雄の行動に拍子抜けしてしまう、働かない頭で今は理解できない幼なじみの表情について直球に聞くことを決めた。
「なぁ帝人、お前何でそんなに残念そうなわけ?」
「え、そんな顔してる?」
 無自覚かと正臣は心の中で溜息を吐き、話の切り口を変えてみる。
「何話してたんだよ?」
「平和島さんと? 別に大したことじゃないよ、猫可愛いですねー、とか、そんなん」
「大したことだろ相手を考えろ! 怖いもの聞きたさで気になっちゃうから聞くけどお前は猫可愛いですね、で? 相手は何話してたんだよ」
「え」
 ふっと帝人の頬が赤く染まる。え、何で? と正臣は首を傾げるしかない。何か変なことを言われたのかと正臣が心配そうに問い掛ければ帝人は違うとぶんぶんと首を横に振った。
 じゃあ何だ? と正臣が言っても帝人は煮え切らない返事しか返さない。しかし帝人の顔は赤くなる一方で帝人自身それを自覚しているのだろう、観念したようにひとつ息を吐いた後ぽつりと話し始めた。
「あの……今思うとすごく恥ずかしいんだけど、僕猫と遊んでて」
 見てたから知ってる、とは言わない。覗き見してたなんて知れたら帝人はどうするのか何を言うのかを考えると黙っていた方が良いと正臣は自己完結した。
「あ、別に猫と遊んでたことは恥ずかしいことじゃないんだけど、その猫人懐っこくて、にゃーって鳴くんだ」
 なんとなく、正臣は帝人の行動が読めた。
「それで、つい僕もにゃーにゃー言ってたら、平和島さんが、その、楽しいか? って」
 帝人の行動は読めたが平和島静雄の発言は読めなかった。
 それは相手が平和島静雄でなくても恥ずかしいな、どんまいと耳まで真っ赤になってしまった帝人の肩に手を置いて慰めた後、でも相手が女性だったらそのシチュエーションはラブラブハンターチャンスだと力説して正臣は肩に置いた手を払われた。
「今思い出すと死にたくなるほど恥ずかしいから止めて! あーもう何で僕普通に会話とかしてたんだ!」
「まぁまぁ落ち着けよ帝人、あともう一つ聞いていいか? なーんで静雄なんかと一緒にベンチに座ってたんだよ」
「え? あぁ、それは、本当にただの偶然で」
 全てが偶然。平和島静雄と共にベンチに座ることになったのも、猫が帝人に寄ってきて帝人が猫を構ったのもにゃーにゃーと猫に話し掛けたのも。それに平和島静雄が反応して帝人に話し掛けたのも。
 ここまで非日常に溢れているといっそ運命や必然といったほうが正しいのではないか。
「なんか悩んでた俺の時間返せよって気分? なぁこれは本当に興味でしかないんだけどお前その言葉になんて返したの?」
 帝人は笑顔だった。空気は穏やかだった。池袋最強と平凡高校生である帝人がどんな会話をすればあの表情と空気が生まれるのか、本当に純粋な興味だ。
「はい楽しいです、って、そうか、って言われて猫可愛いですよねって、平和島さん動物好きなのかな」
 会話を思い出して平常に戻りつつあった帝人の頬が再び赤く染まる。そして恥ずかしいからこの話終わり! と帝人は言った。しかし日常に戻る言葉を叫びながらもその瞳に確かな好奇心と非日常への憧れを見て、しかもその思いがとても純粋で、純粋過ぎたがためにどうしようかなと正臣は新たな問題に悩むことになった。










シズちゃんは特に何も考えずに話しかけたんだと思います。

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