二周年企画 | ナノ






ぼーん、ぼーん、ぼーん。

幾つかのランプに灯った火に照らされた店内に、低く重厚のある音が鳴り響く。
ちらりと音の出所である時計に目をやると成程、そろそろ店じまいの頃合いのようだった。
タイミング良く先程帰ったのが最後の客だったようで店内に人はいない。
磨きかけのグラスを置くと、ヒルダは外の看板を仕舞う為に入口の扉へと向かう。しかし引き戸に手をかけようと手を伸ばすよりも一瞬早く、扉が勢いよく開かれた。取り付けられた鈴の音がやかましい音を立てる。

「あ、こんばんわ」
「……………」

ドアの先に立っていたのはヒルダには良く見覚えのある、この店の常連客だった。
艶っ気のある銀髪が特徴のその男はすぐ目の前に立っていたヒルダに一瞬驚いたようだが、すぐに爽やかな笑顔に切り替え片手を上げた。
無言のヒルダは扉の取っ手を掴むと、全力でそれを引く。

「ちょ!?何で閉めるんですか!」
「残念だが閉店の時間だ。帰れ」
「痛い痛い!足挟まってるっ!」

しばらくその場で激しい攻防を繰り広げていた二人だったが、程なくして銀髪の客が遂に店内への侵入を果たした。

「チッ……一杯だけ飲ませてやるから、飲み終わったらとっとと帰れ」
「あの、俺仮にもお客様ですよ?今に始まった事じゃないけど」
「貴様だけだ」
「それは俺にだけ特別な感情を抱いていると?」
「毒盛っておくな」
「すいませんすいません」

この男、名を古市貴之という。
世間ではそこそこ名の知れた文筆家であり、ヒルダがこの店を始めて間もない頃から今日に至るまで五年近く通い続けている、古顔の常連客でもあった。
ニコニコ、と何が面白いのやら笑顔の古市。カウンターの右奥から三番目は彼の指定席である。

「いつもので良いのか」
「二杯もらえます?」
「……何?」
「良いから良いから」

不可解な注文。ヒルダは怪訝に感じつつも古市の言う通りにした。
彼の好む低アルコールのカクテルを二杯のグラスに均等に注ぐ。それを両方差し出そうとすると、古市がすぐにそれを制した。

「一杯はヒルダさんの分ですよ。俺の奢りです」
「私は仕事中だ、この気障男め」
「固い事言わないで。ほら、今日誕生日でしょ?」
「……そうだったか?」

壁に掛けられたカレンダーを見れば確かに今日はヒルダの誕生日であった。
最近どうにも客足が多く、この店を一人で切り盛りするヒルダはその多忙さ故に日付の概念など半ば忘れかけていたのだ。
古市は呆れたように苦笑を浮かべると、コートの内側から小さな包み紙を取り出す。

「ハッピーバースデー。ヒルダさん」
「何だそれは」
「プレゼントですよ。やだなぁ、毎年あげてるじゃないですか」
「……本か?」

カウンター越しに渡されたそれを手に取って感触を確かめてみる。相変わらず笑顔を浮かべたままの古市はコクリと頷いた。

「お前の新作ならこの前買ったが」

古市は主に、ラブロマンス物の小説に秀でた小説家であった。
まだこの店が開店して間もない頃、初めて出版された彼の初作。当時は数少ない常連客のよしみで彼にせがまれるままに購入したのだが、それが予想以上に面白く、以来ヒルダは彼の作品は全巻初版でコンプリートしていた。
彼の手前、「仕方なく買っている」とヒルダは言い張っている。本当の事を言うのは彼女の性格上、どうにも気恥ずかしかったのだ。

「あ、や、それは違うんです」
「違う?」
「売り物じゃないんですよ。それ、ヒルダさんの為に俺が勝手に書いてたヤツで」
「え、」

"ヒルダさんの為に"。
サラリと彼の口から出たそのフレーズに不覚にも心臓が高鳴る。
つまりこれは非売品――自分の為に彼の書いてくれた、この世にたった一冊の本。

「よくもこんな物を書く時間があったな。ここに来る度にあれだけ忙しいとやかましかった癖に」
「や、まぁそれ書いてたからなんですけどね」
「……とりあえず、礼は言っておく」
「感想聞かせてくださいね。けっこー力作なんで」

いつの間にか残り僅かだったカクテルの最後の一口を飲み干して古市は言った。
カクテル二杯分の代金を置くと「また週末に来ますね」と宣言し、その日古市は帰って行った。




******




――とある寂れた町の片隅に、小説家を志す一人の若者が住んでいました。

――思うように結果を残せない彼はある日、未だ始められたばかりの小さな酒場を見つけました。

――店の主は、若者とそう年の変わらない、黄金色の髪が美しい異国の女でした。

――たった一人で懸命に店の経営に努める女のその健気な姿勢と端麗な容姿に惹かれ、若者はその後も店に通い続けます。

――やがて若者は小説家として成功を果たしました。それは他ならぬ、たまに顔を出せば自分の愚痴を情け容赦なく叱咤してくれるあの女のおかげだと信じていました。

――彼女と出会って五年。出会ってから五回目の彼女の誕生日。

――若者はある決意を以て、女に一冊の本を送る事に決めました。

――自分と女が出会ってからこれまでの出来事を綴ったお話です。

――その物語の結末は……。




******




宣言通り、古市はその週の末に再び店に現れた。
相変わらずの笑顔で、しかし一方で緊張しているかのように背筋はピンと伸びている。
普段と同じく右奥から三番目のカウンター席に腰かけた彼を、ヒルダは真正面から見据えた。

「……注文は?」
「えっと、いつもので」

注文に従い、ヒルダはいつも通り彼の好物であるカクテルをグラスに並々と注ぐ。
洗練されたその一連の動作を眺めながら、古市はぽつりと呟いた。

「あの、ヒルダさん」
「何だ」
「読んでくれましたか?」
「………」

古市の問いにヒルダは沈黙を以て応えた。
無言のまま、彼女がカウンターの下から引っ張り出したのは例の本である。
それを古市に突きつけて、ヒルダはようやく口を開いた。

「正直、貴様には失望したぞ。古市」
「はぁ」
「何だ、あのオチは。貴様それでも小説家の端くれか。あれが力作とは全く以て笑わせてくれる」

実際は笑いの欠片もない固い表情のまま、酷評の数々を叩きつける。
古市はヒルダとは視線を合わせず、突き返された本を両手に持って俯いていた。

「……あまりにも出来が悪いから、私が少し手を加えておいてやった」
「っ!」
「全く、貴様の気障っぷりには心底呆れさせられる」

すぐさま本を開いて最後のページを捲る古市の前で、ヒルダは何食わぬ顔をしてグラスを磨き続けるのだった。




愛する君へ綴る




――若者は精一杯の勇気を振り絞り、長年心の隅に溜めこんでいた想いを告白しました。

――しばしの間を置いて、女は囁くように答えました。


"私も貴方と同じ想いです"










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