進撃の巨人 | ナノ



秘め事




現実逃避という言葉がある。
困難な現状に耐えられず、意図的にそこから意識を逸らして不安から逃れようとする行為や心理状態の事を言うらしい。
ならば今の俺は、現在進行形でその現実逃避の真っ最中なのだろうか。

「脱がすよ」

彼女の言葉は前もった警告ではなく、強い意志をもった宣言だった。
次の瞬間、白くて細い指が遠慮の欠片もない勢いでシャツの中に侵入してくる。

――今日の夕飯、何かな。腹減った。
――明日は朝から立体機動の演習訓練だったっけ。今日は夜更かし出来ないな。
――そういえば座学の試験も来週だよな。アルミンに教えてもらわないと。

ぼんやりと靄がかかった様にはっきりとしない思考に浮かんでくるのは、取るに足らない考えばかりだ。
勿論、今はそんな呑気に構えている場合じゃない。
現状は明らかに普通ではなく異常で、夕飯や訓練の事など二の次だ。
今自分がすべきは、目の前の少女のおかしな行動を止める事である筈なのだ。
それが分かっているのに体が動かない。麻痺したように言う事を聞かない今のこの体を動かす方法など分からない。困惑。だから、思考はこの打開しようのない現状を拒否して全く別のところを向く。

不意に、言う事を聞かない上半身を刺すような冷気が襲った。
訳も分からず視線を下すとボタンが取れて肌蹴たシャツの間から、鍛え上げた腹筋が見えた。
最近より一層筋肉が着いたのだと、ミカサに自慢した事を思い出す。
と、突然視界に彼女の手が現れたと思えば、添えるように胸元に触れて来るではないか。
冷ややかな肌の感触に全身が震えた。

「……っ」
「アンタさ」

薄い暗闇の中で、彼女の淡々とした言葉が静かに響く。

「抵抗、しない訳?」

恐る恐る視線を上げれば、闇の中でうっすらと光る青色の双眸と目が合った。
何だか猫に似てるな、と突拍子もない感想を抱いた。

「今自分がどんな状況か、理解できてる?」
「え……っと、どんな状況?」
「襲われてんだよ。アンタは、私に」

淡々と現実を示す彼女の言葉に、麻痺していた全身に強い衝撃が走る。
あぁ、とかうぅ、とか意味も成さない音を発するだけだった口をどうにか操ろうとする。
必死に力を振り絞って、やっと短い言葉を吐き出した。

「分かってるよ」
「じゃあ何で抵抗しない訳?」
「何で、って」

それが分からないから、困っているんだ。
嫌ならば拒絶すれば良い。跳ね除ければいい。まだ格闘術の実力は決して彼女に及ばないけれど、何らかの抵抗はいくらでも出来るだろう。勝てなくとも逃げるぐらいなら、不可能じゃないだろう。

(もしかしたら、)

ふと思い当たった。
自分は動けないのではなく、動きたくないのではないかと。ならば何故動きたくないのだろうか。
掴みかけた答えを先に言葉にしたのはアニの方だった。

「嫌じゃないんだろ?」
「えっ……」
「違う?嫌じゃないから抵抗しないんだろ?嫌じゃないなら、この状況を望んでいるんだろ?」

アニの言葉は、空いたパズルのピースにハマるように胸に心地よく響いた。納得からの、安心感。
そうか。俺はこの状況を望んでいたんだ。暗い部屋の中でアニと二人っきり、彼女がこれからしようとしている事を、俺も望んでいる。
でもちょっと待てよ。それじゃまるで、俺がアニの事を――。

「好きなんだ。エレン、アンタは私の事が」

またしてもアニが答えを口にした。
たった一つの窓から差し込んだ月明かりに照らされた彼女の顔は、薄い微笑みを携えている。
美しいその様を見て、エレンは無意識に頷いた。
心は驚く程、穏やかだ。夕飯も訓練も今は頭にない。アニへの想いで、全て埋め尽くされていた。

「アニ、俺は」
「エレン」

吐き出そうとした言葉はあっけなく塞がれた。
今ならとても魅惑的だと分かる、他でもない彼女の唇に。

「好き。私はエレンが好き」

重ね合わせたままの唇が言葉を紡ぐ。
くすぐったくて、嬉しくて、エレンはたまらず身を捩った。

「俺も……アニの事、好き、なのかな」
「訊くなよ、。でもそうなんじゃないの?」

気付けば体を支配していたあの不可思議な感覚は消えていた。
両腕を上げればすっぽりとその中にアニの体が収まった。小さくて、愛しい。

「私はアンタが好き。アンタは私が好き。だからさ、エレン?」

恐ろしい程に女らしい声でアニは小さく囁く。

「いいこと、しようか」

抵抗しようなどと、そんな考えは微塵も浮かばなかった。









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