まだ夜だもの ここは、どこだろう。ひどくまっさらな空間。ああ、あそこに見えるのはエレンだ。 リヴァイは、エレン、と声をかけようとしてやめた。エレンが、誰かと話していたから。でも、誰かは分からない。少し近寄る。何も隠れられるような場所はなくて、いや、やましいことをしている訳ではないから別に隠れる必要なんてないのかもしれないけれど。 何を話しているんだろう?気になって、リヴァイはまた少し近づいた。 エレンは、話しているというよりも呟いているようだった。相手は、…母親、だろうか? 「…ぁさん、ほんとに、母さんなのか」 エレンの声はひどく震えていて、その中の感情はリヴァイに向けられたことのないものだと気づく。 相手の女性はただエレンに向かって静かに微笑んだ。エレンの肩は少し離れた場所からでも分かるほど震えている。 「かあさん、かあさん」 エレンが腕を持ち上げて、戸惑ったようにまた下ろした。母に触れようとしているのだろうか。 女性はまた、何も言わずに微笑んで両手を広げた。ここがあなたの帰る場所でしょう、と言うように。エレンは恐る恐る、といった様子で母に近寄る。そして彼女を抱きしめて、しっかりと母の身体に腕をまわす。彼女も広げた腕をエレンの背にまわした。エレンは、とっくに追い越してしまって今は自分より背の低い母の肩に顔を埋めて泣いているようだった。その細い華奢な背を、彼女の手が優しく、ぽんぽんと撫ぜる。彼女が何事か呟いて、エレンはその度頷く。時折、鼻をすする音が聞こえた。そして、体を母から離して、恐らくその顔はぐずぐずなのだろうけれど、右手を左胸にあてて敬礼の姿勢をとって、こう言った。 「第104期卒業生、調査兵団、リヴァイ班所属、エレン・イェーガーです…っ」 声までもぐずぐずで、でもしっかりと芯のある声だった。女性はエレンの頭を撫ぜて泣き笑いのような表情になった。 そして、初めてリヴァイの方を向いた。向いて、微笑んだ。細められた目が、エレンに似ているーーー ぱちばち、と目を瞬く。カーテンからはまだ夜の暗さだけが部屋の中に入ってきていて、まだ起きる時間ではない。 何か、夢を見た気がする。切ないような、悲しいような、少しだけ嬉しいような…?覚えてはいないけれど、確かに体の中に感情が残っている。 首を横に向けると、エレンの寝顔。彼はまだ起きない。んぅ…と鼻にかかったような声を発して、もぞもぞと動いた。 じっとエレンの顔を見つめていると、しばらくして瞼がぴくぴくと動いた。それに合わせて彼の長いまつげもふるふるとふるえる。 ゆっくりとエレンの瞼があいて、金色の瞳が現れた。視線はぼんやりとしていてふらふらと動いていたが、意識がはっきりとしてきたのか、リヴァイの姿をみとめると小さく微笑んで「おはようございます」と言った。リヴァイが「ん」と返すと、エレンはその唇に、ちゅ、と音をたててキスをした。リヴァイは、それだけで先程感じていた憂鬱さに似た感情が霧消する気がした。我ながら単純だなと自嘲するように笑うと、エレンが不思議そうな目でリヴァイを見て、布団の中でもぞもぞと動いてそのままリヴァイを抱きしめた。首に鼻を埋めて、すんすんと匂いを嗅いでいる。 ーー…くすぐってえ。 そう言おうとしたけれど、なんだか体中ほっこりしたので言わないことにした。 リヴァイは微笑む。エレンに会うまで、こんな自分が単純で一喜一憂するような人間だと思っていなかった。くすぐったさも、あったかくなる感情も、反対に、切なくなることも悲しくなることも。 ーーこんな、おっさんなのにな。 ありがたいと思う。ひとまわりも年の違う相手を、好きだ、愛おしいと言ってくれる存在が。色で例えるなら、パステルのオレンジのような、淡い赤のような。そんな感情が胸のあたりにおりてくる。 エレンの体温の心地よさに身を任せて、リヴァイは珍しく二度寝をした。 130626 りーく |