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すきだということ。


来週はエレンの入試。いやオレじゃなくて、同い年だけどもう一人の方のエレン。金色の目で、単純そうに見えてすごい計算高い方の、そう、あいつ。指定校で行くらしくて、ここ最近はずっとそわそわしてる。当たり前だよな、自分の将来が決まるようなもんだし…オレもあと少しで入試だけど。
そう、来週あいつは面接があるんだ。だから母さんが、折角だから湯島天神に行ってきなさいって言ってくれた。懐かしい、3年前も二人でお参りに行ったなあ。電車の中で、湯島天神って誰が祀ってあるんだっけって会話をしたのをよく覚えてる。それも知らずに行こうとしてたんだからびっくりだ。すごく寒くて、まわりが灰色に見えた気がする。湯島天神の周辺のイメージカラー、灰色。それから帰りにドトールに寄ったんだ。なにせ高校受験だったから、余裕があったんだね。そこで二時間くらい話して、ぼうっとして、帰った。家に居ても二人で話せるのに、何故だかドトールで二人でいたのはすごく特別な気がしてた。

「エレン、はやく」
「ん、ちょっとまって」
「はーやーくー」
オレのことを急かすのは双子の弟のエレンで(こう言うといつもエレンは「オレのが早く産まれたし!」って反論するけど、母さんはオレの方が早く産まれたって言ってた)、学校から帰る準備をまだ終わらせていなかったオレは机の中を整理しながらリュックに教科書類を詰め込む。エレンは違うクラスで、いつもはオレのクラスの方が帰りのHRが終わるのが早い。だから準備する時間もあるだろうと思ってたんだけど、今日は違ったようだ。
「うっしおわり!お待たせ」
「ん、行こっか」
エレンはマフラーで口を隠すようにしながら返事をした。お互い示し合わせたわけでもないのに、黒いマフラーはお揃いだ。リュックは違うけど。
今日は二人で湯島天神にお参りに行く。二者面談期間でオレたち三年は四限で帰れるから、放課後に二人で行くことにした。平日の方が人が少ないだろうし。
階段を降りていると、知らない女の子が「こんにちわ」と挨拶した。オレは知らないからエレンの方を見ると、「こんにちわ」と笑顔で挨拶を返していた。なんだか面白くなくて視線を逸らすと、踊り場に飾られた鏡の中のオレと目が合う。隣のエレンは笑顔のまま、先程の少女と言葉を交わしている。オレは鏡の中の自分を睨みつけて頬を膨らました。勿論他の人に気づかれないように、"おそろいの"マフラーで口元を隠して。
女の子はきっと、いい子だ。それに、悔しいけど、かわいい。客観的に見れば。染めていないのだろう、黒いつやつやとした髪の毛や控えめに唇にのせられた色付きのグロスだとか、ふんわり笑うその笑顔だとか。いかにも女の子だと思う。こうして見ていると、明らかにオレはいらない、部外者だ。数歩、静かに下がってみる。もう一歩。…もう一歩。
「…」
虚しくなってやめた。また振り返ると、今度はすぐそこに鏡があった。暇なので、じっくりと眺めてみる。別にナルシストってわけではない。
今オレの隣にはいないエレンとは、一見よく似ているが(多分今エレンと話している女の子も、挨拶するときにオレかエレンか見分けがつかなかっただろう)、よく見ると違う。決定的に違うのは、瞳の色。オレのは緑だけどエレンのは綺麗な金色だ。お日さまの色を閉じ込めたみたいな眩しい色。それから眉毛の形だって違う。他にも爪の形や指の細さ、筋肉のつき方だってぜんぜん違う。それに、あいつの方が、全体的に華奢だ。これは言ったら怒られるんだけど。でもほんとのことだ。着替えるときとか、たまにちらっと見えるんだけどーー決して見てるんじゃない、視界に入ってくるんだーーほそっこくて真っ白で、それこそ女の子みたいだ。
そこまで考えて、オレは二人の方を向いた。まだ終わらないのか。さっきまではやくはやくって急かしてたのはどこのどいつだ、コラ。
と、話が終わったらしく二人は分かれて、エレンがこちらに向かってきた。女の子はオレのほうを向いて、微笑んで会釈をした。くそ、いい子じゃねえか。オレも負けじとにっこり笑って会釈を返す。胸の内では中指を天に向けて突き立てんばかりの勢いだけど。
「誰あれ」
意図した訳ではないが、声が低くなってしまう。
エレンはたたん、たたん、とリズムをつけながら階段を降りる。一階から吹き上げてくる風は冷たかった。
「同じ団だった後輩。好きなバンドのグループがオレと同じでさ」
「…へえ」
それは、CDとか貸し合ったりしてんのか。それあれだろ、女の子はエレンと連絡をとるための手段として使ってんだろ。クソ、腹立つ。
「なに怒ってんの?」
いつの間にかオレの目の前で立ち止まってたエレンが、その金色でオレの瞳を覗き込んだ。大きな金色の中に、オレが情けない表情をしているのが映って見えた。
「いや、別に怒ってないけど」
ほんとのことだ。いや、ウソかな。エレンには怒ってない。あの女の子にも、ちょーっとだけ怒ってる、かも。じゃあ誰に腹立ててんだ、オレ?
よく分からなくなってしまって、考えるのをやめた。
「ふうん」
そう、と言ってエレンは、踵で器用にくるんっと半回転した。ブレザーの裾がひらりと揺れて、ついでに周りに風を起こした。廊下はほとんど人がいなくて、たぶん外よりも寒かった。


二人して口元をマフラーで覆って、ブレザーのポケットに両手を突っ込んで歩く。無言。いつもはそんなに気にならないのに、妙に沈黙が嫌だった。だからといって何か話題を探すこともしなかったけど。エレンも同じように感じてるんだろうか。ちらりと隣のエレンを見て、すぐに視線を逸らした。
駅に着く頃には、下に着ているヒートテックが少し暑く感じるほどになっていた。頭をがしがしとかいて、定期で改札を抜ける。今から行くのは、完全に定期圏外なんだけどね。
電車を待つ、駅の構内はすごく寒かった。だから、二人で寄り添って立っていた。吐き出す息は、二人して真っ白だった。少し、笑った。
電車の中は、外とは大違いで暖かかった。足元からふきだすヒーターの熱は程よく足首を暖めてくれて、エレンと肩を並べて座りながらほっこりした。たたんたたん、と電車が一定のリズムを刻みだすと、エレンの頭がことんとオレの方に倒れてきた。オレもその頭の上に、自分の頭を乗せる。冷たくなった耳が皮膚に触ってびくりと肩を震わせて、だけどエレンの柔らかな髪も耳に触れて、どうしたらいいかわからなくなった。窓の外をぼうっと眺めていると、コンクリートの壁だったり、すっかり葉を落として裸になった寒そうな木だったりがまとめて灰色になって通り過ぎていく。ふと窓に映った自分たちの姿を見るといかにも仲のいい兄弟ですという感じがして、嬉しいようないやなような、もわもわした煙が肺の中をぐるぐる回った。

いつのまにか寝てしまっていたらしい。あと一駅で降りる駅に着く。オレの肩に頭を乗せたエレンはまだ寝ているらしい。寝息が聞こえる。彼のふわふわとした髪に指を通すと、冷たい風で絡まったらしい髪が指に引っかかった。起こさないように手櫛ですいていると、車内のアナウンスが下車駅の名前を告げた。そろそろ起こした方がいいかな。
「エレン、エレン。そろそろ着くよ」
エレンの肩を揺らすと、「起きてるってば」と不機嫌そうな声が聞こえてきた。これは絶対、がっつり寝てた。エレンは目をこすって、オレは何も言ってないのに、オレのことを睨みながら「なんだよ」と唇を尖らせた。無視。
たたん、たたん、たたたん、たたたん、た、た、た…
電車は段々と速度を落として、止まる。ドアが空いて、一気に冷たい空気が車内に流れ込んでくる。これからもっと寒いところへ行くのかと思うと、ぶるりと体が震えた。武者震いだ、武者震い。
「ほら、降りるぞ」
「んー」
まだ眠そうなエレンの手を引いて電車から降りる。出口、別れてたりしたっけ。だめだ、覚えてない。エレンも到底覚えてるとは思えない。
適当に階段を登って、改札のところにいる駅員さんに聞く。エレンの手はつないだままだ。
「あのう、湯島天神ってこっちの出口であってますか」
駅員さんはオレの言葉を聞くと、くしゃりと顔にしわをつくって笑った。
「あってるよ。お兄ちゃんたち、受験生か。がんばってな」
「ありがとうございます」
オレもつられて笑顔になって、会釈をして定期を取り出す。
「エレン、定期出して。改札抜けるよ」
「はあい」
そろそろ目が覚めてきたのだろうエレンは、返事をして定期をポケットから引っ張り出す。ピ、と聞き慣れた電子音を右から左へ流して改札を出る。
階段を登って地上に近づくと、冷たい風が強く吹き下ろしてくる。顔をしかめて、マフラーを鼻の上までずり上げた。上を見ると、曇った灰色の空が切り取られていた。オレは灰色ばかり見ている気がして、嫌になった。

「あー、つめてえ」
道路を歩いていると、たまに振り返られる。同じ顔が二人並んで歩いているからびっくりするのだろう。
顔面に容赦無く吹きつける風に、隣のエレンは顔をしかめて鼻をすすった。二人、両手はポケットの中に突っ込んだままだ。ポケットにクッキーが入っているわけでもないのに。
「あ、見えてきた。なつかしー…人いねーな」
坂の上には、もう神社が見えている。あともう少し。そういえば、三年前もほとんど人がいなかった。オレたちは人混みが苦手…というか好きではないからよかった。

「あれ、50円玉だっけ?」
二人して財布の中を指でかき混ぜながらお賽銭の準備をする。
「そうそう、五重に縁がありますようにって」
「縁担ぎか…じゃあオレ千円入れとこうかな。なんかご利益でかそう」
「オレは今そんな大金失うわけにはいかない。バイトしてないから金ねえ」
「そっかーオレ決まったらバイトできるしな。勝ち組だぜフハハハ」
「うっぜ…あ、やっとあった」
「オレも見つけんの大変だった」
無事財布の中から50円玉をつまみ出して、リュックに財布をしまう。
一礼して、お賽銭箱にお金を投げ入れる。乾いた、いい音がした。自分の手元からお金がなくなるというのに、この音は嫌いではない。小銭を落とした時の音は嫌い。ガランガランと鈴を鳴らして(オレが鳴らそうとするとすかさずエレンも綱を掴んだから、二人で一緒に鳴らした)、二回深く礼をする。いつもはこんな丁寧にやらないけど、受験には将来かかってるし。それから柏手を二回打って、目をぎゅうっと瞑って神様にお願いをする。この時間はすごく不思議で、無防備だ。外で、他の人といるのに目を瞑って、頭の中でお願いを言う。神様と、オレだけ。どうか、どうかオレの第一志望校に受かりますように。それと、隣の弟も来週の面接で失敗せずに、合格しますように。エレンのことを考えると、今日の帰り際に会った女の子もセットで頭に浮かんでくる。お呼びじゃないのでお帰りくださいと言ってもなかなか帰ってくれない、ますます笑みをふかくするだけだ。
もやもやしたまま目を開けて、もう一度礼をする。軽くお辞儀をして退くと、エレンもすぐに終えてオレの方に来た。
「さ、帰ろっか」
「おう。なんかここまで来てなんもしないのも色気ねーけど、受験生だもんな」
エレンがハハッと笑って、また両手をポケットに突っ込んだ。オレはその姿を見飽きて、だからエレンのポケットにずぼっと手を突っ込んで彼の手を握る。
「うわ、つめて」
思わずそう声をあげると、「うっせ、ばーか」と篭ったような声が隣から聞こえた。見ると、頬を赤くしてマフラーに口をおしつけている。目はきょろきょろと泳ぎ回っていて、一瞬目が合った。すぐにそらされたけど。
「…今日さあ」
二人で前を見たまま喋る。エレンのブレザーのポケットの中は、熱が篭って暖かい。
「うん」
「女の子と、喋ってたじゃん」
「うん」
「妬いた」
「知ってる」
「ああ、知ってたの…えっ?知ってたの?」
驚いて思わず声が大きくなる。
「うん。妬くだろうなって思って話してたら、ほんとに妬いて不機嫌になってたからおもしろかった」
「あっ、そう」
なるほどオレはエレンの掌の上でうまい具合に転がされてただけだったのか。小さく舌打ちをすると、隣でエレンがくすりと笑う気配がした。さっきは顔真っ赤にして必死に視線泳がしてくせに、生意気なんだよ。腹いせにぎゅうと彼の手を強く握ると、今度は声を出して笑われた。オレも笑った。

駅前に着くと、真っ赤な柱がやけに目についた。やっぱり周りは灰色だけど、灰色も悪くないなと思った。まだ短針は1を指していて、帰ったら遅めのお昼ご飯が楽しみだった。


131130 こまち