ログ | ナノ


結婚式にはサルビアを持って行くね


覚悟はしていた。いつかはこうなることだったし、だからといって何も手の施しようがなかった。俺たちは兄弟で、男同士で。世間から疎まれる事は勿論のこと、この想いを弟に伝えたら、彼に嫌われてしまうかもしれない。だったらこのままで、少しでも長く彼のそばにいられるように、と。先延ばしにばかりしていた。後悔はしているけれど、前述した通りに、手の施し用はなかった。もし何か手のうちようがあったならば、今からでもいいから誰か教えてくれ。いや、時間を遡って、まだ幼い俺に教えてやってくれ。ため息をこぼして、反動で吸った息はため息にこめた後悔やら悲しさやらよりも、重たい。

***

社会に出て一人暮らしを始めて数年経った。たまに弟のエレンが遊びに来ていたが、就活で忙しいとか新社会人になって忙しいとかなんやらかんやらで、今はもう誰もリヴァイの部屋には訪ねてこない。当たり前のことなのだろうけど、やはり寂しい。誰も訪ねてこないことよりも、エレンが来ないことが。
リヴァイは幼い頃から五つ年のはなれた弟のエレンのことが好きだった。それは家族愛ではなくて、恋慕。別段おかしいことではないと思っていたのだが、成長するにつれて、自分が世間の常識から外れた恋をしているのだと知った。それを誰かに言ったこともないし、エレンに伝えようと思ったこともない。否、エレンに言おうと思ったことはあったとしても、拒否されるのが怖くて言い出せず、まあ言ってしまえば勇気がなかったのだ。
このままぐだぐだと会えなくて、いつの間にか弟は結婚してしまうのではないか。そんな心配はエレンが大学に入ってからリヴァイの頭の中を徐々に占めていって、今ではもうほとんど99%くらいの確率であるだろうな、と覚悟はしている。…つもりだ。

そんな、ある年の夏。暑さは最高潮を迎えていた。お盆も近づいて、仕事の関係上今年は両親のところに帰省できるか危ういなと考えていた。帰省したら必然的にエレンに会うことにもなるから、殆ど会えない彼にも会いたい、のだけど。どうにか都合をつけて休みがとれれば。
会社からの帰宅途中、そんなことばかり悶々と考えていた。家に着いて夕飯の準備をしているときも、いただきますとそれに手をつけるときも。どうしたものか、と(いつにもまして)むつかしい顔をして思い悩む。
夕飯を食べ終わり、食器を洗って歯磨きをし、風呂に入ろうというとき。ふいに携帯が震えた。画面を見ると、エレンからで。一瞬にして跳ね上がった心拍数を落ち着けるためにリヴァイは深呼吸をする。すー、はー、すー、はー。何の用だか分からないけれど、とりあえず悪い知らせでない事を祈る。
トン、と液晶をタッチして端末を耳に当てる。
「もしもし」
声が強張る。
「もしもし、にいさん?オレ…エレンだけど」
懐かしい声が、耳から通って脳内を溶かす。ああ、エレン、久しぶり。自然と頬の筋肉が弛緩するのを抑えられない。
「エレン、久しぶりだな。どうした?」
別に焦らなくてもいいのだけど、挨拶もそこそこに本題をと促す。
「ハハッ、にいさん、せっかちなの変わんないなあ。
いや、お盆こっちに帰って来るのかなって」
ああ、この話なら何ともない。悪い知らせでなくてよかった。安堵の息をこっそりついて、声音を変えないように答える。
「何とか都合はつけるつもりだ」
なんともないことのように。
「お前は家にいられるのか?」
「うーん、お盆の前半は仕事はいっちゃってるかも。でも後半は休みとれたし」
「そうか…。なら俺も後半に休みをとれるようにしよう」
頭の中で仕事をひと段落させる算段をつける。後半だったら俺もなんとかなりそうだ。
「ほんと?じゃあ、会えるの楽しみにしてるね」
その言葉に、リヴァイは一瞬固まる。恋人みたいじゃないか。会えるの楽しみにしてる、なんて。携帯を片手に持ったまま、もう片方の手で口元を抑えてしゃがみこむ。恋する女子高生か、俺は。でも、火照る頬はどうしようもない。
黙り込んだ兄に、エレンは「どうしたの?」と問う。リヴァイは慌てて「なんでもない」と答えて、「じゃあな」と電話を切ろうとする。
が、それをエレンが引き止めた。
「に、にいさん!」
切ろうとした電話からエレンの声がして、リヴァイは不審に思いながらももう一度耳にそれを近づける。

「あの、さ。にいさんは、その…結婚とか、しないの?」
会話の雲行きが、怪しい。
「予定はねえな。相手もいねぇ」
「そっか。あの、付き合ってる人、とかも?」
エレンの声は先程より小さくなっている。しかしリヴァイは、このあとエレンの発する言葉がどんなものなのか、最悪のものしか思い浮かべられない。
「いねぇって」
声は震えなかっただろうか。もう、携帯を握る手がじっとりと汗をかいていて気持ち悪い。しゃがみこんだ足もふるふると情けなく震えている。
「あのさ、にいさん。オレさ」
ごくり、と唾を飲み込む。
「オレ、」


「オレ、結婚することにした」

目の前が真っ白になった。やはり、その話だったのだ。分かっていた、知っていた、元から俺のものですらないし、いつか遠くへ行ってしまうことを。ずっと目をそらしていたかった。できるならそんなことはあり得ないといって欲しかった。ジョークだと笑って欲しかった。そしたら俺も、悪い冗談だと笑い飛ばすのに。
「…そうなのか。おめでとう」
嫌に弱々しい声に聞こえた。
「ありがとう」
エレンはリヴァイとは対極的で、スッキリとした声だった。もしかしたら結構前に決まっていたことなのかもしれない。それをいつ言うか、いつ言うかと先延ばしにしていたのかもしれない。やっと言えた、そんなさっぱりした声で、にいさんも早く身を固めなね、と言う。ああ、と低い声で返事をして、リヴァイはぷつりと電話を切った。
携帯を床に置く。そのまま手を床について、口元にやった手はそのままで。
誰だ、誰だ、相手はどんなやつなんだ。いつ挙式するんだ。同居するのか、違うところに。もう、軽々しく会えないのか。
「クソッ…」
俺はずっと、エレン自身も覚えてないことも知ってるんだ。見てきたんだ。なのに、何故エレンのことを数年しか知らない奴に彼を手渡さなければいけない?
中盤までの幸福感は今では全くなくなって、寂しさや悲しさや嫉妬、いろんなものがごちゃごちゃと混ざった感情が胸を埋める。
泣いてしまいたかった。涙にくれて、今日も明日も明後日も無い、それくらいに泣いてしまいたかった。しかし現実は無情で、明日も明後日も明々後日も仕事がある。お盆に帰ると言ったから、エレンに顔を合わせなければならない。そのとき、はたして耐えられるのだろうか。
そう考えて、リヴァイは自嘲して笑う。
好きだ、好きだと思ってはいたが、ここまで末期だとは。
「ハ…相当、やられてるらしいな」
珍しく感情を露わにした顔をぐしゃりと歪め、頬と、それから口元に当てた手を透明な涙がつたった。


130814 りーく
サルビアの花言葉は、
燃える思い
恋の情熱
知恵、貞操、家族愛