ログ | ナノ


宇宙船に乗り込んで1番後悔したことは、あなたの好きな花を摘まなかったこと。


さようなら、と、それさえも告げずに出てきた。七夕の、満天の星空の下を走って走って走って。背中にあるリュックには、自分の口座の通牒とか数日分の着替えとか、まあ生活最低限の物、と、お金。は、は、とずっと走り続けていたから切れ切れな息を整えるために、少しゆっくりと歩く。
これは、一時の気の迷いなんかじゃない。だって、だって、だって。リヴァイさんが、女の人と腕を組んで、顔を寄せて、あの目はオレを映していたはずなのに。

過去に何度かある、こんなことは。今回が初めてじゃない。けど。いつもより、生々しかった、し。なにより、もう、エレンも我慢の限界だった。一緒に住んでいて、ほとんど毎晩のように肌を重ねているけれど、そこにはリヴァイのエレンに対する好きとかそういった感情なんて感じられなくて。ただなんとなく、エレンを繋ぎとめるためだけの行為だった。…気がする。少なくとも、エレンには。
リヴァイと最後に喋ったのはいつだっただろう、彼のあの薄墨色の目と目があって喋ったのはいつだったか。ずっと仕事で遅いとかで家に帰って来なかったし、最近はもう帰るかどうかの連絡さえなくて。多分エレンが家からいなくなったこともしばらくは気づかないかもしれない。気付いても、…。
エレンはどうしたってリヴァイの事を考えてしまう頭を切り替えるようにふるふると頭を振って、とりあえず今日はどこに泊まろうかと考えた。友達がいないわけではないが、いきなり押しかけて泊まらせてくれと頼むのも失礼だ。

どうしようかと思案していると、後ろから声をかけられた。
「エレン…?こんな時間にこんなとこでなにしてるの?」
びくっとして後ろを振り向くと、そこにはエレンの幼馴染のアルミンがいた。金髪が夜風に吹かれてさらさらとなびいている。
「あ、アルミン…」
アルミンにはリヴァイと同棲していることを伝えてあったが、最近の話はしていない。したら、心配してくれるから。別にいいのにとエレンはいつもアルミン、それからもう一人の幼馴染のミカサが自分を心配してくれる度に申し訳なくなる。
「ええと」
その、と言葉をつまらせる。でも話はしていなくてもエレンの格好で分かってしまうだろう、家を出て来たことなんて。困ったような顔をするエレンに、アルミンは微笑んで、ただ「家に来る?今から帰るところなんだ」とだけ言った。そういえばアルミンはこんな奴だった、とエレンは心の中で感謝した。エレンがあまり話したくないことはアルミンは聞かない。エレンが話すのをじっと待ってくれる。「ありがとう」とぼそっと言う。
アルミンの家はそこから歩いて十分程したところにある。アルミンは片手に買い物袋を下げて、その中にある冷えたビールの缶がビニールを濡らしている。その数歩後ろをついて行くエレンはぼー…っとしていて、自分が何処にいるのか分かっているのかどうかもあやしそうだった。

エレンは突然、ふ、と足を止めた。視線はただ一点に向かっている。少し開いた唇は震えるけれど声は出ない。アルミンはその視線の先を辿った。そこには、鉢植えされたチューリップ。なんの変哲もないただのチューリップだ。どうしたの、とエレンに声をかけようとして振り返って、その表情を見てやめた。
涙は流してなんかいなかった。苦しそうに歪めた顔の下、胸からは真っ赤な鮮血がどくどくと流れるようだった。それ程に、声をかけ難く、辛く、哀しく、寂しい表情だった。

「リヴァイさん、好きだったんだよ」あの花を、と。
しばらくして歩き出したエレンは呟くようにアルミンに言った。
チューリップなんて、子供みたいだなって思ったんだ、その時。実際そう言ったらリヴァイさん機嫌悪くしちゃってさ。大変だったよ。でもかわいいよな、あんな冷たい印象の人がチューリップ好きだなんて。そう、ほんとは優しいんだぜあの人。皆が冷たいって思い込んでるだけで、オレは、だから。
あの人に惚れたんだよ、と言う。微笑もうとして失敗した、歪めた表情で。
だったらエレンはなんで今ここにいるの、なんてことは聞かない。分かってる、検討がつくなんてもんじゃない。エレンの目の下にはひどい隈があるし、夜中にリュックを背負って道端を辛そうな表情で歩いていたら、そんなの誰だって分かるだろう。

ごめんな、とエレンは謝った。なんで、謝らなくていいのに、とアルミンは返す。
「だって、今日七夕だろ。お前も大切な人と過ごしたりとか、あっただろ」
それはエレンに言うべき言葉なんじゃないか。七夕なのに、付き合っているはずの男と一緒にいないなんて、家を出てくるなんて。
アルミンはしかし何も言わないで笑った。気にしないで、そんな人いないから、と。
「そう、か」
エレンはリヴァイのことを考えているんだろう。まだ街灯に照らされたその目は、その瞳は寂しさと苦しさを訴えているから。
あと少しで家につくよ、とアルミンが言う。エレンはうん、ありがとうと返した。ごめんなと。でもきっと上の空だったに違いない。彼の手はぎゅっと固く握られていて、唇も噛みしめられたままだったから。



130709 りーく
タイトルはへそ様