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 翼を失ったトリと翼を生やしたヒト


それは簡単に言ってしまえば、人類の勝利。兵士たちはたくさんの犠牲を払って、肉体的にも精神的にも疲弊して、だけれど一般市民はそんなこと知らない。人類最強の男と、巨人化できる男の子が主だった功績をあげたことなんて、それがどんなに人類の勝利に貢献したかなんて知らない。だから、壁内の最後の巨人を殺せと民衆が言い出したのもある意味不自然でもなんともなかった。

わあわあと、調査兵団本部の建物の外で民衆が叫ぶ声が聞こえる。夜だというのに、松明やなんやら、灯りを持って集まった民衆が叫ぶことといえば一つしかない。「巨人を渡せ」。建物の中は慌ただしく駆け回る音、それから意味なく交わされる言葉。
そんな中、当事者のエレンは極めて平静を装っていた。が、隠しきれない焦りと恐怖がちらちらと見え隠れしている。いつもは美しい金色は翳りそわそわとせわしなく動き回っているし、手には汗がじっとりと濡れていて、爪がぎゅっと食い込んでいる。

「…レン、エレン」
廊下に立ち尽くしていたエレンに、ハンジが声をかけた。
「っは、はい、失礼しました、」
「あーいいから、それ崩して…。ね、エレン、あなたも状況分かってると思うけど…これは、ただの民衆の暴動じゃない。あなたが出ていくか、それか逃げるかしないと収まらない、どういう形でも決着をつけなきゃいけないんだ。だからね、エレン。私たちはあなたの行動にかけている。君が正しいと、こうしたいと思ったように行動して。そうしたら、私たちはそれに関して出来るだけのサポートをするから」
ハンジに気づかなくて慌てて敬礼をすると、ハンジは微笑んで楽にするように言った。
エレンはハンジの言葉に、脳が一気に冷静になるのを感じた。そして、自分の好きにさせてもらえることに感謝の念を抱いた。
どうする、と無言で尋ねる彼女に、エレンは口を開いた。
「オレ、行きます」
ハンジはやっぱりね、と小さく呟いて、「ほんとにいいのね?」と再確認を求めた。
「はい、オレが巨人であることには変わりないので」
先ほどまでは翳りを見せていた金色も、今ははっきりとした決意を見せて光を灯している。
じゃあ、行ってらっしゃい、とハンジに背中を押されてバルコニーへと向かう。
駆け回っていた兵士たちは、エレンが通りかかると足を止めて不安げに彼を見つめた。けれどエレンの目にはほとんど何も映ってはいなかった。彼は毅然として、顎を少しあげて歩いていた。
バルコニーへの出口にはリヴァイが待っていた。エレンの姿を見留めると、つかつかと寄ってきてエレンの胸ぐらを掴んだ。
「お前、本気か」
エレンは服を引っ張られた衝撃でリヴァイに気づいて、うっすらと微笑んで言った。
「ええ、いいんです。これは、オレの存在がいけなかった。もしあの時オレの力が必要だったとしても、時代は変わります。これからの時代にオレはいりません。それに、彼らもオレが出ていかなければ気が収まらないでしょうし」
そう言って、力を失ったリヴァイの手をするりと解いて歩き出す。
「…エレン」
小さく呟いたリヴァイの言葉はエレンの耳には届いていなかった。


叫ぶ民衆の声が大きくなる。一歩、また一歩とエレンは進む。は、は、と呼吸が荒くなるのをエレンは感じ取っていた。怖い。怖い、だけど、オレが行かなきゃ。
ほんとは引き止めたリヴァイの手にすがりたかった。その腕に抱かれて胸に頭をあずけて、心臓の音を聞いて安心したかった。そのままどこかへ連れて行ってくれと頼みたかった。けれど、けれど。逃げることはできない。自分で決めたことだから。

今まで壁がどんなに音を抑えていたかよく分かった。バルコニーの扉を開くとすぐに、それはもう音とかそんな綺麗なものじゃなくて、耳に害をなすものでしかなかった。
す、とバルコニーの手すりまで行って、民衆に姿を晒す。彼らが待ち望んだ自分の姿を。殺してしまいたいと思っているだろう自分の姿を。

エレンは彼らの数に圧倒された。彼らの意志に圧倒された。灯りに照らされた数々の顔に、釣り上げられた目に、大きく開かれた口に。
ああ、彼らは。
エレンは手すりに手をついたまま、深く首を垂れた。

民衆は、しん、と静かになった。あれ程うるさく叫んで、がちゃんがちゃんと音をわざとたてていた彼らが、全く音をたてなくなっていた。
けれども、すう、と広がった沈黙は長くは続かなかった。
前の方で誰かが「連行しろ!!」と叫んだのをきっかけに、連行しろ、連行しろ、と口々に叫び出した。人々のかたまりはまた先ほどまでの不協和音に戻った。

エレンは、地下牢に繋がれて、審議にかけられることになった。


審議なんて形だけで、やはり判決は死刑だった。エルヴィンが何か根回しをしてくれたようだったがそれも役に立たず、同期たちの必死の弁護も聞き入れられなかった。
エレンはもとからこうなるだろうと思っていたし、別段不思議だともなんとも思わなかった。ただ、やはり自分は必要とされていないのだと感じた。あれ程人類の希望だのなんだのと言っておいて、人類とはまあ七面倒くさい生き物だ。

思えばエレンはいつも地下牢で過ごしてきた気がする。兵士時代も、訓練や調査が無い時はずっと。あのときも監視がついていて、だから本当の自由を勝ち取った今でも、エレンは自由にはなれない。金色が光を灯すことはなかった。


最期の日がきた。その日の朝はもう、何の食べ物も出なかった。すぐに移動することになって、両手を後ろ手で縛られ小汚い馬車に乗せられて処刑場まで連れて行かれた。その際、たくさんの人々が必死に中を覗き込んでエレンを見ようとしたり、窓に石や枯れ枝を投げつけたりした。中には肥やしを投げつけた者もいた。
ゆらゆら揺られて処刑場に着くと、もうそこはたくさんの人で溢れかえっていた。エレンはそこにかつての仲間や幼馴染、上司たちを見つけて少し微笑んだ。心は落ち着いていた。
監理されていた間髪を切ることなんてなかったから、エレンの髪は少し伸びていた。処刑の際邪魔になるので、それは乱暴に切り取られて捨てられた。たくさんの嘲笑と、幼馴染の怒り狂った顔。今にもエレンの所へ向かいそうな彼女をもう一人の幼馴染が必死で止めている。
ふと、リヴァイがいないことに気づく。エルヴィンの隣にでもいるのではないかと期待していたのにいない。たくさんの人の中でも見つけられる自信があったのに、見つからない。しばらく会わないうちに全く変わってしまったのだろうか。そういえばハンジもいない気がする。どこに行ったんだろう、最期ぐらい彼らの顔を見ておきたかった。けれどもきょろきょろするんじゃない、と役人に言われて彼らを探すことをやめた。その声には見せつけるように侮蔑の色が混じっていた。
処刑台へと登らされる。一段一段階段を登って、死へと向かう。
「あ、」
エレンが掠れた声をあげる。処刑実行人の靴を踏んでしまったのだ。
「ごめんなさい、わざとじゃないんです」
申し訳なさそうに謝って、エレンは断頭台にゆっくりと頭を乗せた。
これが、最期。
処刑台には空を行く鳥が影になって飛んで行くのが見える。オレ、生まれ変わったとしたら鳥になりたい。それで、兵長を探そう。エレンはそう考えて、目をつむって自らの胴と頭が離れるのを待った。隣で斧を持ち上げる音がする。振り上げて、ーーーー


来るべき衝撃がなかなか来なくて、エレンは目を開けた。
…何か、上から降って来る。黒い大きな影が。それは人のような大きさで、どんっと音をたててエレンの目の前に着地した。
人々は驚愕のあまり、声がでない。

エレンも見慣れたその黒いブーツに驚愕していた。
「エレン」
ハスキーなその声を聞いて、夢ではない、別人でもないと確信する。
「…へい、ちょう」
掠れた声で呼ぶと、エレンを後ろ手に縛っていた布を冷たいものが切り裂いた。
そのまま人々が呆気に取られている間に彼はエレンを抱えて空へ。バシュッ、ヒュウウウ、という懐かしい立体起動装置の音。
その時、後ろで騒ぎ出した民衆が銃を放ったらしく、パァン!と乾いた音がした。直後に、ふくらはぎをかすった鋭い痛み。
「ッ……」
それに気づいたリヴァイは、一旦屋根の上にエレンを置いて反撃しようとする。
「俺の大切な部下に…」
怒りのあまりリヴァイの周りの空気がぐらぐらと煮立っているかのようだ。
「何勝手に手ェ出してんだ!!!」
そう叫ぶと、彼は処刑台の方へ戻る。一瞬で遠くなったリヴァイに、エレンは手を伸ばして彼に叫んだ。
「兵長ッッ!!!」
待って、待って、彼らを傷つけてはだめだ。
そう思って叫ぼうとするけど、如何せんずっと閉じ込められて話もしていなかったエレンの声帯はうまく機能しなかった。伸ばした手をぐっと握る。

「エレン!!」
そこに、またもや上から声が降って来る。とさっ、と軽やかにエレンの隣に着地したのはハンジだった。
「ハンジさん!?なんで、ここに」
事態にエレンの頭は追いつかない。どうなっているんだ?
「いいから、早く!リヴァイは後からちゃんと来るから、あなたは先に馬に乗って脱出するんだ!!」
ハンジはエレンを軽々と抱きかかえてそのまま跳躍する。
「ねっ!?だから私たちはあなたをサポートするって言ったでしょ…」
嬉しそうに言うハンジに、しかしエレンは険しい顔で言った。
「だめです、兵長を止めなきゃ!!あの刃は巨人を斬るためにあったんだ、人を斬るためじゃ…!!」
掠れたエレンの言葉にハンジは器用にも片手でばしんとエレンの頭を引っ叩いた。
「いってえ!」
「綺麗事ばっか言わないで、今の状況をちゃんと把握して!リヴァイはなんのためにあなたを助けたと思ってるの!?どんなおもいで
リヴァイが、」
「おい、ハンジ。そいつを貸せ」
いつのまにか追いついていたリヴァイがハンジからエレンをかっ攫う。
「それから、これ以上余計なことを喋るな。舌を噛むぞ」
リヴァイの表情はいつになく逼迫していて、それがこの緊迫した状況を物語っている。彼は血の鉄の匂いがした。
しばらくして、きっと本当は2分にも満たなかったのだろうけれど、壁に着いた。追っ手はいない。
とんっと着地して、すぐにエレンの手を引いてリヴァイはぐいぐい進む。エレンはよろよろしながらもなんとか着いていって、そこに馬が2頭繋いであるのを見留めた。
ハンジとリヴァイは無言でエレンを馬に乗せて、リヴァイも馬に跨る。
「…ハンジさんは?」
不思議に思ったエレンが2人に問いかけるが2人は返事をしない。ハンジがぱんっと2頭の尻を叩いて走らせる。馬はすぐに壁に小さく空いた門を出てしまう。
「ちょ、ちょっと、待ってください、」
混乱して馬を止めようとするエレンにリヴァイは鋭く言う。
「いいからこのまま走らせろ。ここはもうウォール・マリアを越えた所だ。追っ手が来ないうちに逃げきるぞ」
「追っ手…」
そうだ、追っ手だ。なぜあの時追っ手が来なかったのか。確かに立体起動をつけていれば早いが、馬で駆けて来る人もいていいはずだったのに。
「なんであの時、追っ手はいなかったのですか」
リヴァイは顔を前に向けたまま答える。
「お前の幼馴染と同期、それからエルヴィン達が止めていたからだ。俺とハンジが動いたからあいつらも動いた」
ひゅうひゅうと風を切る音が耳にやけに響く。
「あそこに残ったハンジも止める」
エレンは、背中に汗をかくのを感じた。
「それじゃあ、そんなの…」
オレのためだけに。
そう言いかけたエレンにリヴァイは痺れを切らせて怒鳴った。
「てめえ、自惚れてんじゃねえぞ。誰がお前のためだけにと言った!?確かにお前のため、お前を助けるため、お前を生かすために俺たちはあそこへ行った。だがな、それだけじゃない。俺が、俺たちがお前を助けたいと思ったからそうしたんだ。お前の仲間もそう思ったから動いたんだろ。誰も仕方なくやってるわけじゃねえ、そうしたいからやってんだろ。それをぐちぐち言ってんじゃねえ、黙れ」
そう言うと、リヴァイはまた口を真一文字に結んで前を見つめた。
エレンは胸がほっと軽くなって、それから頬が緩むのを感じた。
ありがとう、ありがとう、オレをそこまで思ってくれて。ミカサ、アルミン、サシャ、コニー、ハンジさん、エルヴィン団長、他のみんなも。貴方達のおかげでオレは、今日という日を生き延びられた。これからも生きられる。ずっとずっと行ったら見渡す限りの水溜りや氷の大地が見つかるのだろう。夢が叶うのだろう。助けてくれて、夢を叶えてくれて。本当に本当にありがとう。いつかまた、会えたら、その時はオレとリヴァイさんで温かく迎えたい。そして、もう二度と手放したくない。

まだまだ、道のりは長い。


130719 りーく
月深様リクエストありがとうございました!!遅くなってごめんなさい…というか長くてごめんなさい。書きたいの詰め込んだら長くなっちゃったんですすみません
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