押し付けたもの | ナノ


あなたはほほえむ、私もほほえむ


緑間真太郎は高尾和成のことが好きであった。しかし彼は、自分の感情を言葉にするのが苦手な上に、男であったので、高尾に想いを告げることはしなかったし、その素振りも見せなかった。いつも学校で会い、何気ない世間話をし、一緒にバスケをして、隣で高尾が笑っていればそれでいいと思っていた。
けれど、けれど。好きなものは好きで、譲りたくないのも事実。彼がクラスの女子や他の人と笑って喋っているだけで緑間の心臓はぎゅうと締め付けられたし、その笑顔を自分にだけに見せて欲しいと思う。だからそんな時、緑間は前髪をくしゃりと掴んで、静かにため息をつく。誰にも気づかれないように。
もし、自分が男でなく女だったなら。この気持ちは報われることがあったのだろうか?そんな思いが、日に日に強くなっていく。でも男で、バスケをしていたからこうして高尾と出会えたのだろう。生まれる前に人事を尽くしていなかったから、こうして男に生まれてきてしまったのか。
緑間は毎日嘆く。自らの性別について。
緑間は毎日事あるごとに想う。高尾のことを、いつもいつも。

***

その日も、特別何をしたというわけではなかった。いつも通りの生活送って、高尾のことを考えて、一日が終わりに近づいて、寝る。それで、終わるはずだった。
けれど、朝、起きてみると、体に違和感がある。風邪でもひいたかとため息をつくと、顔の横の髪がふわりと浮いた。
顔の、横の。
緑間はぎょっとして、慌てて眼鏡をかけて鏡を見に行って、自分の姿に呆然とした。
緑の髪は長くなっていて、目もいくらかぱっちりとして、縁取るまつ毛もばさばさと長くなっている。胸はふっくらと少し大きくなっていて、目線もいくらか低くなったように感じた。
「…うそ、だろう」
そう呟く声も、妹のそれと同じように女の声だ。
まさか、まさか、いつも自分が願っていたことが現実になろうとは。夢ではないのかと腕の肉をつねってみるが、その柔らかさにびくりと肩を跳ねさせた。
とりあえず、着替えなければ。しかしこの胸はどうしたものか。さらしのようなもので抑えようにもそんな布はないし、妹に下着を借りるか。幸い今日は朝練がない。だからきっと、妹も起きているだろう。
どんな反応をするんだろうかと今からこめかみを揉みながら妹の部屋に向かう。
ドアをノックして「入るぞ」と声をかけると、はあいと返事が聞こえて、緑間はドアノブを捻った。

「おは…お兄ちゃん、なにそれ」
何かの冗談?と言われて、緑間は渋い顔をする。
「オレもよく分からないのだよ。朝起きていたら、こうなっていた。仕方ないからこのまま学校に行くしかないだろう」
妹は呆然とした様子で兄の言葉を聞いていたが、兄同様に適応するのが早いのか、それで、どうして私のところに、と聞いた。
「いや、この、む、胸をどうしたものかと思ってな」
幾分か頬を染めて言う兄の胸を妹はじっと見つめて、まあ少しの間だし、と箪笥から上下の新しい下着を引っ張り出して差し出した。本当はサイズを確認した方がいいだろうが、今はあるもので間に合わせるしかない。
「制服はどうするの。まさか学ランを着て行くんじゃないでしょうね」
「いや、しかしそれしかないだろう」
兄の返答に、妹はハアとため息をつく。兄はいつも人事を尽くしているから、こういう運はいいのかもしれない。
「ちょうど、秀徳に行ってた先輩に制服借りてたの…今度制服ディ○ニーしようって思って、秀徳の制服かわいいから。でも、お兄ちゃんに貸す。汚さないでね」
はい、と妹に差し出されたそれを受け取って、お礼を言う。
「すまないのだよ、何から何まで…ありがとう」
そう言って出て行く兄を見つめながら、妹は一人呟いた。
「まさか、自分の兄がこんなことになるなんてね」
世の中どう回ってるんだろうと、頭を振ってから朝の準備を続けた。

一方の緑間はといえば、妹に借りた下着を苦心しながら身につけて、制服を着て、髪を梳かしてリビングに向かう。
母親は今日はいないらしく、テーブルの上にはラップを張った料理が置いてあった。緑間はテレビをつけ、おは朝を見ながら朝餉を食べる。
「ーーいて、蟹座ですが、今日は予期もできなかったことが起こるでしょう。ラッキーアイテムは真っ赤なリボンです。特に、みつあみができる方はみつあみにつけるとなお良いでしょう」
アナウンサーの言葉に、緑間は一瞬箸を止めて、また妹に手間をかけさせることになりそうだと思った。

その後、妹に長くなった髪をみつあみにしてもらって、真っ赤なリボンを結んでもらった。いってきます、と妹より先に家を出ると、彼女は不安げな目でいってらっしゃいと兄をと送り出した。
学校に行く間中、ずっと、緑間は、高尾がどんな反応をするだろうかと、不安に思いながらも楽しみだった。これで高尾も自分にふりむいてくれるかもしれないと。



教室に入ると、高尾がすぐに緑間のことを見つけた。彼は驚きに目を見開いて、口をぽかんと開けたまま、数秒固まったままだった。
「おはようなのだよ、高尾」
「お、おお…」
自分の席に向かう緑間に、クラスメイトも驚いた目で彼を見つめる。
「真ちゃん、おま、どうしちゃったの」
椅子に座っていると、ずっと緑間を見つめながら固まっていた高尾が話しかけてきた。
「さあ。朝起きたらこうなっていたのだよ」
朝起きてから今までのことを話すと、高尾はやはり口を開けたまま話を聞いていて、へえ…と感動詞を吐き出した。それを聞いて、緑間は少しの不安を抱える。高尾は、この姿を気に入らなかったのではないか。学校に来るまでの間、ほんの少しでも楽しみだと思ったことを悔いる。まさか、そんな。


放課後、緑間はいつも通り部活に出ようとして、しかし男子バスケ部として活動して良いものかと思案する。
「とりあえず、キャプテンに相談して、今日はマネージャーの仕事しとけば」
高尾にそう言われて、その言葉通りにする。何故か、高尾の物言いが冷たく、突き放したもののように聞こえた。

部活を終えて、いつも通り高尾と帰ろうと彼を校門で待つ。
「ああ、いた、真ちゃん」
校門によりかかって星の数を数えていると、待っていた男の声がした。いつも聞いていて、今日も一日中聞いていた筈なのに、何故か今、夜に聞くとちがうものに聞こえた。それを味わうように、目を閉じゆっくり振り返る。瞼を上げると、そこには、走ってきたのか息を少し荒くした高尾が、いつもの笑顔でいた。ああよかった、いつもの高尾だ。緑間は安心して、「帰ろう」と言った。
二人は並んで歩く。街灯の明かりが二人の影を長くしては短くして、それを何度か繰り返した時、緑間が切り出した。
「高尾」
「ん?なあに、真ちゃん」
緑間は女の体になって身長が縮んだことには縮んだのだが、なにせ元の身長が高いので、高尾は変わらず緑間のことを見上げて話す。高尾は下から緑間を見上げて、真っ黒な瞳を細めて笑った。瞳の中には、街灯のオレンジが映っていて、緑間は、やはり彼のことが好きだと思い直す。

緑間は長いまつ毛に縁取られた目を高尾の方に向けて、一言、「好きなのだよ」と言った。さらりと、今日の夕餉の話でもするかのように。
高尾は、緑間のそのぽってりした薄桃色の唇から発せられた言葉に、呆然として目を瞬く。口から、え、という音しか漏れず、頭の中は混乱している。
「オレは、好きなのだよ。高尾のことが」
もう一度緑間がゆっくりと繰り返すと、高尾が何回も言わなくていいからっ、と焦ったように緑間の肩をばしりと叩いた。
「そんな、だって、真ちゃん、今日女の子になって、それで」
「ずっと好きだったのだよ。昨日も一昨日も、その前も」
男だったから言えなかったけど、と付け足す。
平然とした顔のままの緑間とは対照的に、高尾は焦ったような、照れているような、何故だかわからないけど頬が火照っている。
「オレ、だって、そんな。真ちゃんのことは好きだよ、好きだけど、その、ああもう」
緑間は立ち止まって、高尾が思考をまとめるのを待っている。

しばらくして、落ち着いたらしい高尾が再度口を開く。
「オレ、さ。ゲイなんだ。今、この状況で、真ちゃんにだから言えるけど。そんでーーそんで、オレ、真ちゃんのことが好きだった。
今日、オレ、真ちゃんに冷たかったと思う。それは、なんつーか、男の真ちゃんが好きだったのに、なんで?って…嫌だったんだ。オレの中で、真ちゃんはすごく、キレイなものだったのに。女だからってきたないって訳じゃあないんだけど。
でも、真ちゃん、変わんねえな、女でも男でも。だからさ、こんな、ぐだぐだ長く話したけど」
高尾は息を吸い込んで、囁くように言った。

「オレも、真ちゃんのことが好きです」
直後、照れたように笑う。
緑間はその言葉を聞いて、一気に心拍数が上がるのを感じる。頬がカッと火照って、カバンを持つ手が震える。

「たかお、たかお」
ぽつぽつと嬉しそうに彼の名を呟く緑間の唇に、高尾は自らのそれを押し付けた。
「ッ!?」
突然のことにびっくりして、手で口元を抑える緑間を見て、高尾はいたずらっぽく笑った。
「あほは、真ちゃんたらかわいい」
それがあまりにも幸せそうなものだから、緑間もつられて微笑んでしまう。


朝から怒涛のような日だったけれど、終わり良ければすべて良し。これも日々人事を尽くしたおかげだろうか。
二人は止めていた足を動かして、帰路につく。その足どりは弾むようで、踏みしめたアスファルトから桃色が漂うようだった。


131104(131209 加筆修正) こまち
ししかばへ。お誕生日おめでとう!絵柄も人柄も全部好きです。ししかばの描く高緑はいつも優しくて、緑間にょたもししかばの影響でおさげイメージです。
ししかばのこの一年、素敵なものでありますように。