日曜日の午後2:16、速やかに行われる犯罪 背中に感じる体温が暑い。それでも背中合わせのこの体勢をやめないのは、ただ単に面倒くさいから。シャツ越しの体温が愛おしいとか、全然そんなことじゃあない。 遅めのお昼ご飯を食べ終えて食器も洗って後片付けを済ませた、日曜日の午後2時。エレンは双子の弟と背中合わせでリビングのソファに座っていた。特にすることもなく、のんびりと時間が過ぎて行く。窓の外では風が強く吹いていて、庭のイチョウの木が大きしなって長髪を風になびかせているように見える。その向こうでは、暗い雲が太陽の機嫌を伺いながらエレンの家の頭上を侵食しようとしていた。 「…暑い」 エレンの後ろで、双子の弟のエレンが声をあげた。それでもお互い、動く気配はない。 「窓、あいてるけど」 「うん。暑い」 あーアイス食いてえなァ、と背後で漏れた声に、買ってきてよと返した。それでもお互い、動く気配はない。 暑いのもだらけてるのも、それもこれも全部太陽が悪いのだと思う。窓から射し込む薄い西日は二人の足を優しく射ていた。そこから全身に広がった麻酔のような毒薬は、二人を行動させなくしている。全く太陽の野郎め、困った奴だぜ。エレンはへらりと笑った。 「ねえ、雲食べたい」 「そう?」 随分ファンシーな事を言うもんだなと思いながらエレンは相槌を打つ。雲を食べたらどんな味がするのだろう。甘いのか、苦いのか。 「うん。きっと綿あめみたいにふわふわで甘くて、雷雲はパチパチして美味しいよ」 感電死しそうだけど。でもきっと、彼はそんなこと考えてない。単純で、意外と乙女思考なのだ。瞳の色がそうさせたのかも、なんて思ってみる。 「だったらオレは、太陽を食べてみたいね」 エレンは頭を後ろにやりながら言った。ごちん、と音がなって後ろのエレンと頭がぶつかる。 「辛そう」 うへえ、と嫌そうに言った彼はエレンの意見には賛同しかねるらしかった。こっちだって雷雲を食べて感電死なんてお断りしたいけどな、とエレンは少し唇を尖がらかせる。 「わっかんねーよ?もしかしたら、あったかくて、蕩けるように優しくって、クリームシチューみたいな感じかもしんねえじゃん」 「いーや、そんなことないね。だってあいつ、燃えてるんだぜ。辛いに決まってる…」 エレンはどうしても太陽を食べたくないみたいだった。でもきっと、太陽は甘い。甘くって、食べたやつの脳をドロドロに溶かしてしまう。黄金のリンゴかもしれない。 「そしたら雲も臭いかも知れない、なんたって下水から何から全てを通ってきったねえ空に行ってるんだ。太陽の方がよっぽどうまいさ」 「ふん、好きにしたら」 エレンの後ろで、彼が背中を丸めたのがわかった。飛び出た背骨がエレンの背中を虐める。双子の弟はいじけたのだ。 「ああ、そうするよ」 エレンはすっかり、太陽を食べる気になっていた。 けれどエレンは、大事なことをすっかり忘れていた。太陽には雲がかかっていたのだ。太陽は暗い雲が食べてしまう。 窓から射し込んでいた暖かい光はいつの間にか薄暗い光に変わっていた。 一瞬、明るい白が全てを照らした。数秒置いて、大きな音が鼓膜を震わせる。 そうこうしているうちに、開けた窓から濡れた埃のにおいが入り込んできた。全く身を潜めようともしない。外では透明な水が世界を濡らしているらしい。 「雨だ」 エレンの背後でエレンが呟いた。 上の階で母が慌ただしく洗濯物を取り込む音が聞こえた。しかし二人は動かない。太陽の毒を肺腑の奥まで吸い込んでいたから、まるで臓腑から石のように固まっていくようだった。 「雨って、甘いんだよ」 エレンがまた、背中を丸めたまま呟いた。きっと蜂蜜色の瞳だけこちらに向けているだろう彼を、ぴらぴらと動かす自分の足の指の爪に見る。 「試したことあるの」 「ウン。エレンの雨」 この間、お前寝ながら泣いてたんだ、と彼は言った。そんなことあったのだろうか、とエレンは過去に思いを馳せるが全く心当たりがない。なんにしろきっと夢の中だったろうから覚えている筈もなかった。 ひとの涙は甘いのか、とエレンはぼんやり考えた。自分はひとの涙を味わったことはないが自分の涙を舐めってみたことはある。塩辛かった気しかしないのに、彼は甘く感じたのだろうか。 「甘いの?涙って?」 雨足が強まって、強く吹いた風が雨粒と冷たい風を部屋の中にそっと差し入れた。 「甘かった。なんなら、もう一度泣いてみてよ」 「だが、断る」 有名な漫画の台詞を吐いて、寒さにぶるりと身震いした。昼間は暑かったものだから、まだ梅雨前にも関わらず半袖だったのだ。窓から吹き入れる風がエレンの鳥肌を温めたいとでも言うように包んだ。 「なんでさ。ね、いいから、ほんのちょっとだけさ…」 そうは言っても、彼にはそんな気は全く無いことなどエレンは百も承知だった。 「エレン」 「うんー?」 後ろで未だに背を丸めているエレンに声をかける。間延びした返事は太陽を渇望していた。彼はじっと動かない。太陽が固まった体を溶かしてくれるのを待っている。 「寒い」 ぽつん、と、その言葉だけ変に空気に浮いたままになってしまった。今までなんということなしにしてきたどうでもよい会話に、しっかりした明確な目的を指す言葉が放たれて、二人は戸惑ってしまった。口にした本人でさえも戸惑って、冷えた二の腕を掴んだ。 「なあ、寒い」 それでも、エレンは言葉を続けた。 「うーん、今はそんな気分じゃあないよ」 「えー、いつならいいの」 「太陽が、帰ってきたら…」 「ふーん」 エレンの後ろでエレンが一層背を丸めた。断ったことで負い目を感じているのか、同じように寒さを感じているのかは分からなかったが。 太陽が帰ってくるのは、いつだろう。あと数十分は帰ってこないだろう。一時間かもしれない。二時間かも…明日かもしれない。バーカ、とエレンは双子の弟を胸の内で罵った。バカ、アホ、ドジ、マヌケ…。 エレンは彼に全体重をかけてもたれかかった。ぐえ、と蛙が押し潰されたような声を聞いてフンと鼻を鳴らす。 窓の外では木の葉が甘ったるい露をぼたぼたと垂れ流していた。あ、あれは元は雨なのだから、やっぱり雨は甘いのだとエレンは唐突に思った。 「エレン、雨って甘いんだね」 「だから、そう言ってんじゃん」 幾分か不機嫌そうな声が背後から聞こえて、エレンはまたフンと鼻を鳴らした。太陽が帰ってこないなんて拗ねていたくせに、バーカバーカ。 「エレン」 「んー」 名前を呼ばれて、バーカ、と罵ってしまいそうになるのをどうにか抑えて返事をする。 「エレンって、食べたら美味しいかなあ」 「…さあ?」 人肉は不味いという噂を聞いたことがある。なんでも、雑食だからだそうだ。 「不味いんじゃない?」 わかンないけど、と付け足す。 背を丸めていた彼が、のっそりと背を伸ばした。エレンもそれにつられて体重を移動させる。 「食べてみたい」 エレンはその言葉に、笑ってしまった。 「さっき、太陽が帰ってくるまでは嫌だと言ったのに」 「バーカ、秋の空と乙女の心、とかって言うだろ…」 「今は秋じゃあないし、お前は女でもないだろ」 今度はエレンがフンと鼻を鳴らした。 「そんなことはどうでもいいんだ、ただオレがそうしたいってだけ…ホラ、だから、太陽も帰ってきただろ」 「えっ」 彼が窓の外を指差した。目で追うと、確かに透明な雨粒は親元を離れるのをやめたようだった。 「随分短い雨だった」 「オレがやめさせたのさ」 エレンと背中合わせをしていた彼は、今度はエレンの目の前に回り込んできた。彼の瞳は太陽と同じ色に輝いている。 「神様、食べたの」 「そ」 「美味しかった?」 「食べきれなかった」 彼はエレンの脇に手をついた。 窓の外では甘い雨を太陽が明るく輝かせている。太陽は帰ってきた。 「今から食べるの」 「だって、いいだろ。さっきは寒いって言ってたんだ」 彼は懇願するようにエレンを見た。なんだ、だったらさっきいいよって言えばよかったんだ。 「バーカ」 へらりと笑ってエレンは言った。 「早くしろよ、母さん降りてくるぜ」 冷たい風が二人をいっしょくたにかき混ぜようとした。太陽の光はまた、毒を孕んで二人を侵食しようとする。 「いただきます!」 けれど太陽が毒を二人の体に充満させる前に、双子は食事に移行した。 200514 こまち 僖須美さんへ相互記念です!相互様になっていただいてから随分と経ってしまいましたが…感謝の念と、心からの愛はぎっしりと詰めてあります! 相互リンクありがとうございました! |