押し付けたもの | ナノ


ほんの少しだけでいいの、だから真っ白な骨を見せて


午後九時。長い夜は幕を開け、女たちはここぞとばかりに駅前や街頭に繰り出し、男たちは餌食にされようときらびやかなネオンの光る場所へと向かう。
エレンももれなくそんな女たちの一人。制服を扇情的に着用し安っぽい香水を身体中にふりかけて、ばっちりメイクで男を誘おうと夜の街へと出て行く。幸いにも容姿に恵まれたエレンは、ただ立ってなんとなく見ていれば勘違いした男たちが寄ってくるので相手に困ったことはなかった。

その日も彼女はいつもと同じように電車に揺られて、最寄り駅から何駅か離れた輝く街へ向かった。パンツが見えそうな程に短いスカートの裾を風に揺らして女を殊更に強調して歩く。生足を冬の風にあたらせて寒いことこの上ないが、地元に比べれば人々の熱気やアスファルトのおかげでそこまででもない。いつもの場所で立ち止まって、一度鏡をチェック。大丈夫、化粧も崩れてないし充分にかわいい。
ふらりと街灯にもたれかかって男を待つ。今日はどんな人だろう、昨日のはハズレもハズレ、大ハズレだった。元々幸せが薄そうな顔(ついでに言えば頭の方もだいぶ薄かった)だったが、金は払うからと言うから渋々ながらも了承したのに。最初は嫌だったのだ、エレンの予感が相手にしたくないと訴えていたから。それでも金のためならと思って相手にしたら!思い出すのも嫌なほど、ベッドの中で虐げられた。抵抗しようとすれば料金を下げると言われ、こちらにも下手に警察に突き出すこともできないからそのままでいたのだが。なんと、最後に受け取った金額が、いつもの金額にたった1万円プラスしただけ!最早呆れかえったエレンは、二度と相手をしないと言い放って鳩尾に鋭い蹴りをお見舞いした。
そんなことがあったから、今日は少し機嫌が悪い。楽しくなくても上がっている口角は下がっているし、大きな目は少しだけつりあがっている。二度と、あんな男は相手にしないんだから。
思い出してもイライラする。腕を組んでフン鼻を鳴らそうとしたその時、後ろから肩を叩かれた。
「はい、なに―――」
エレンは振り返って相手の顔を確認して、思わず言葉を失った。
なぜ、何故!何故お前がここにいる!?
「オネーサン、いくら?」
胡散臭い笑顔を貼り付けてエレンに声をかけた、その男は。
「あ、兄貴っ!?」
エレンと同じ名前の、一つ上の実の兄。顔までそっくりで、だけど性格は全然違う…と、エレンは思っている。
そんな彼はエレンと同じ学校の制服に身を包んで、去年の冬にエレンがあげたマフラーを巻いている。両手はポケットに突っ込んで、いかにも高校生です!といった出で立ちだ。
「やっほ。お前ここまで来てんの?お疲れ〜」
全く笑っていない銀色の目がネオンに照らされてきらりと煌めいた。ふわふわと揺れる猫っ毛も同じ様に照らされて紫やピンクに染まっていた。
「今仕事中だから。てか兄貴なんでここにいるの」
「オレは予備校帰り。オネーサンたらつれないね、さっきいくら?って聞いたでしょ。さ、行くよ」
そう言って彼はエレンの左手を取る。エレンは慌てて、それを振りほどこうとした。兄はなんだかんだと言いくるめたり空気に流してしまうのが上手い人なのだ。そんな手には乗らない。流されないんだから。
「行くよって、どこに!オレはやだぞ、そんなん近親相姦じゃねえか!」
足を踏ん張ってそう言うと、彼はエレンの方に向き直ってじっと彼女の瞳を見つめた。金色が銀色に射抜かれる。エレンはいたたまれなくなって、視線をそらしてしまった。兄の強い視線には弱い。銀色が苦手だ。
そんな彼女の隙を見て、エレンの片手が彼女の腰に回され、すっと引き寄せられた。そして耳元に口を近付けて囁かれる。
「いいからお前は黙って抱かれてりゃあいいんだよ、売女が」
「ッ」
昨日も散々だったのに、今日もだなんて!ついていない、全くついていない。極めつけとばかりに彼の舌がエレンの耳をべろりと舐める。彼女はぞわぞわと気持ち悪い鳥肌が全身に立つのを感じた。
エレンは握られたままの左手を強く握り返した。いいだろう、腹を括ろうじゃあないか。それでも、後悔するのはお前の方だ、クソ兄貴が。
「ヤるんだろ?なら、5万だ。出せるのか?」
負けじと耳元で囁き返してやる。彼の足の間に太ももを押し付けるという特典付きで。
「なめんな、そんくらい出せる」
にやりと笑った気配がした。背中に悪寒が走る。握った左手が冷たい。
密着していた体温が離れて、エレンはほうと気付かれないように小さく息をはいた。
「さあ、行こうか」
声音は楽しそうだ。口元だけ笑ったエレンが彼女の手を引いて言う。どこへ向かうのだろうか。近くのホテルか、家か。きっと家だろうなと思って、エレンは不思議な気分になった。ただなんとなく、兄とこういう関係になるのは何ら不自然でない気もする。自分の家で、まさか自分の実の兄と交わるなんて考えたこともなかったし、考えたくもなかった。今だってそうだ。だけど、なんとなくそれは不自然なことではない――自然なことでもないのだが―――気がした。

エレンの予想通りにエレンは駅の方へ彼女の手を引いて行った。電車を待っている時もずっと手を繋いだままで、兄は一体何がしたいんだろうと隣の男を見上げた。繋いだ手はじっとりと汗ばんで心地よいとはお世辞にも言えないのに、二人の手は繋がれたままだ。
電車に乗って、窓の外を眺める兄を見つめながらエレンは昔を思い出していた。そう、昔から、幼い頃からエレンは兄が苦手だった。何を考えているのかわからなかったし、べたべたとやたらに触ってくる。小さい頃は気にしなかったけれど、流石に小学五年生の時まで一緒に風呂に入っていたなんて未だに自分でも信じられない。自分からは突き放すくせに、自分が少しでも離れられると機嫌を悪くする。扱いにくいし、多分自分でも分からない何かが彼を拒否していた…ように、感じる。それなのにこれから体を重ねることは嫌ではないのかと問われれば、それは確かに嫌なことではあるのだけど。それでも何か、それで何かが変わる気がするのだ。今までの不快感も、不自然な何かも、何かが変わる気がする。それはもしかしたら今まで以上に彼を受け付けることができなくなるかもしれないし、もう二度と会いたくないと思うのかもしれない。どんな結果になるにしろ、何かが変わると感じた。
嫌で嫌でたまらない、同じ顔の彼はぼうっと窓の外を眺めている。彼はもしかしたら、このまま窓の外に飛び出してしまいたいのかもしれなかった。

電車から降りて、家に向かう。まだ手は繋いだままだ。今までの道のりでは全く何も感じなかったのに、暗くて冷たい空気がそうさせるのか、心臓がどくどくと大きく波打っている。繋いだ手はやはり冷たくて、気持ち悪い汗をかいていた。
道には仕事帰りのサラリーマンがぽつりぽつりといるだけで、ほとんど二人きりだった。ほんの一時間前、一時間にも満たない、この道を歩いていたエレンはこうなるなんて全く考えもしなかった。それなのに、こうして兄と。
家の鍵を開ける兄に、そういえば両親はどうしたのだろうと思った。ここ最近、自分は援交で夜はほとんど家にいないし両親は朝早くからいないことが多い。最後に家族揃ったのはいつだっただろう。
「母さんと父さんは?」
「今日は当直だって、二人して」
エレンは靴を脱ぎながらそう答えた。
「オレ、先シャワー浴びるから」
振り返りもせずにそう言った彼の後ろ姿を、エレンは何も言わずに見つめた。これから自分は、あの人に抱かれるのだ。そう思ってみても、よくわからなかった。心臓は激しく動いて主張しているのに、エレンには現実味がないことのように感じた。ただ冷え切った家の冷気だけが本物だと思った。

二人分の体重で、ベッドのスプリングがうめき声をあげた。兄のエレンの部屋は殺風景だった。生活感はあるのに、寂しかった。冷たい蛍光灯の色が二人を照らした。
「ねえ、電気消さないの」
見上げてそう言えば、消して欲しいのと問われる。普通、消すんじゃないのか。
「消して欲しいならそうするけど」
エレンは瞳は少しも笑っていないくせに、口角だけは上げて薄く微笑むようにして言った。彼はどんな気分なんだろう。ふとエレンはそう思って、消さなくていいと言った。
彼もまた、心臓が肋骨のなかで窮屈だと暴れまわっているのだろうか。
まるで初めての日のようだった。初めて、見知らぬ男に抱かれた日。恐怖と快感にのまれて、あの日ほどに声をあげた日はない。
エレンのキスは優しかった。銀色は冷たい氷のようなのに、触れ合う体温は相反するように暖かく優しい。
「ン、っぁ」
ベッドに腰掛けていた二人はキスをしたまま、ゆっくり倒れていく。青いシーツが波打って、二人の姿はまるで海に浮かぶ孤島のようだった。
唇同士が触れ合うだけでこんなに気持ちよかったっけ。エレンはじくじくと熱を持ち始めた体を持て余しながら、頭の隅でそう思った。温かい、柔らかい唇が触れ合って、角度を変える。何度か角度を変えて、今度は舌が侵入してくる。ぬるりとした感触が口内を巡って、先ほど耳を舐められた時にはあんなに気持ち悪かったのに、今ではとろけてしまいそうなほどに気持ちが良い。
「は、ァ」
ぷちゅ、じゅぷ、と二人の唾液が絡み合い、舌が蠢き、唇の触れ合う角度が変わる度にいたたまれない音が響く。口の中でそんな音をたてられるものだから頭の中にも音が響いて、エレンは目をぎゅっと瞑った。
ベッドについていた兄の手が彼女の耳元の髪を掻き分けて撫ぜた。何故、愛おしむような行為をするのだろう。彼は自分を買ったのに。エレンは不意に泣きたくなって、唇を強引に離した。その拍子にぽろりと涙が一滴零れた。ころころと転がってまだ脱がされていない制服に染みた。そこだけ色が変わる。離した唇はてらてらと光っていた。
「あにき、早くして」
腰を兄の下半身に押し付ける。思ったとおり、彼の下半身はもう反応し始めている。そんなことを思うエレンもまた、下着の中は少なからず濡れているのだけど。
「泣くほどよかったの?」
制服を脱がそうとしているエレンにそう聞かれて、エレンは咄嗟に言葉が出ずに焦る。
「…ただの、酸欠」
「ふうん」
言葉が聞いたくせに彼はさして興味無さげに答える。そういうところも嫌だ。エレンは自分の制服が兄の細長い、骨ばった指に手早く脱がされていくのを見ながら唇を噛んだ。なんで自分がこんな気持ちにならなきゃいけないの。
「ぁ、う」
冷たい手にいきなり、乳房を包まれた。そのまま揉まれて、気まぐれにその頂上も弾かれる。殆ど脱げていなくて、ただ胸元のボタンを外されてブラジャーをずらされただけの格好で、なんとなく恥ずかしい。
「んン、あ」
男っていうのはね、こっちができるだけ声出した方が喜ぶのよ。いつだか友達に言われた言葉を思い出す。目の前のエレンも同じなのだろうか。彼が一瞬、全く知らない男に見えた。
そのうちに指では飽きたのか、片方は指で弄りながら口を使ってエレンの胸を弄り始めた。指できゅっと摘まんだり弾いたりする傍らで、唇で挟んだり舌で転がしたりしている。冷えた鼻先が乳房に当たって最初は冷たかったしくすぐったかったけれど、すぐにそんなことは気にならなくなった。ちろちろと見える彼の赤い舌だとかふわふわと揺れる猫っ毛だとか、まだ脱いでいない少しくたびれたワイシャツさえも扇情的に見える。こんなこと思ったことなかったのになとエレンは少し笑った。そして思わず、片手で兄の髪を梳いた。柔らかくて、しっとりと濡れている。
兄のエレンがその感触に顔を上げた。
「あ…ごめん」
思わず謝る。彼の銀色は苦手だ。
その時、信じられないことが起きた。
彼が、笑ったのだ!幸せそうに、心から。
ああ、とエレンは思い出す。幼い頃、一緒にいるとこうして笑っていた。この笑顔が大好きだった。こうやって笑った後、彼は必ずこう言うのだ。「エレン、大好きだよ!」と。エレンはそれを恥ずかしいよと言って、同じ言葉を返す代わりに彼の髪を撫ぜてから頬にちょこっとだけキスをする。
ああ、そうだ、そうだった。
エレンは兄に口付けた。全てでは無いにしろ、思い出した。自分にとって、彼がどんな存在であったかを。
エレンもそれを受け入れて、先程よりも激しく唇を重ね合わせる。彼女の後頭部に手を回し、しっかりと捉えて離さないようにと唇を押し付ける。
二人にはキスだけで全てが事足りる気がした。

しばらくして唇を離して、抱き合ったままベッドに沈む。冷たくて仕方なかった部屋の空気が心地よかった。
「…お金、払わないで」
静かな空間の中で、ふとエレンがそう言った。
「もう、こんなことやめる。オレが欲しかったのは、手に入ったから」
そうでしょう?と兄に微笑みかけると、彼は笑って言った。
「元から払う気なんてなかったけど」
エレンはフンと鼻を鳴らした。この先も多分、この男の手の中で踊らされるのだろう。それでもいいと思う。もし、自分が騙されているのだとしても。
「…続きしよっか」
「え?ぁ、ちょ、あ、あァんっ」
不意に乳房を掴まれて声が漏れてしまう。少しだけ彼を睨むと、彼は獲物を前にして舌なめずりをして喜ぶ捕食者のように笑った。
「せいぜい大声で喘ぐんだな、売女が」
エレンは兄に抱きついた。今だけは満たされていた。




050314 こまち
けん太さんへ