押し付けたもの | ナノ


瞑目せよ、そして盲目となれ


瞑目せよ、そして盲目となれ

二人は夕日に照らされる庭を眺めながら、縁側で昨晩父の買って帰ってきた焼き菓子を頬張っていた。マドレエヌというらしいそれは、二人の目には初めて映されるものだった。マドレエヌは平たい、淡い黄色の箱に慎ましやかに並べられていた。
「なんというのだっけ、ええと…そう、パン、というものに似ているね」
エレンが隣に座るエレンに話しかけた。二人とも顔を夕日に照らされて、ほんのり橙色に染まっていた。
「でもパンはこんなに甘くもないし、不思議な香りもしないよ」
彼はそう云って、ふんわりとしたマドレエヌをまた一口頬張った。彼はエレンの方を見なかった。
エレンは、もう最後の一口になってしまったマドレエヌを見て後悔した。もっと少しづつ食べればよかった。例えば、隣のエレンみたいに。
エレンは少し考えて、彼が最後の一口になるまで待とうと思った。
「…食べないの?」
口に持っていきかけたマドレエヌをまた戻したエレンを不審に思ったのか、彼はエレンの方を向いて尋ねた。
「違くてね、お前が食べ終わるのを待とうと思ったんだ。一緒に終われたらと思って」
云っているうちにエレンは恥ずかしいような戸惑うような心持ちになって、言葉が尻すぼみになってしまった。隣のエレンは「ふうん」と云ってそっぽを向いてしまった。夕日が一層朱くなった気がした。エレンはいたたまれなくなってマドレエヌの最後の一口を食べてしまった。美味さも香りもなく食べてしまってから、やってしまったと後悔した。
「ごちそうさまでした」
エレンがぽつりと呟くと、庭の池がゆらりと揺れた。中で鯉が尾鰭をくゆらすのが見えた。
そのうち、同じく食べ終えたらしいエレンがエレンの方を向いた。彼の瞳は燃えるようだった。エレンはその瞳に焼かれそうだと思った。
彼がエレンの方に手を伸ばした。
「じっとしていて。口の端に、マドレエヌの屑が付いている」
「あ、」
有難う、と云おうとすると、黙っていてと叱られた。仕方なしにエレンは口を閉じて彼の指を待った。
彼は戸惑っているように見えた。いつだって彼はエレンと血の繋がった双子であり半身であったのに、彼はその境界に触れようとしているようだった。
エレンは目を瞑った。
彼の震える手がエレンの唇の端に触れた。熱かった。
熱を孕んだ指は、直ぐにエレンの肌から離れた。知らぬ間に息を止めていたエレンは、ふうと息を吐き出して瞼を開けた。
「有難う」
今度こそエレンがそう云うと、彼は小さく頷いた。
池の水面がまた揺れて、キラリと夕陽を反射した。その光がエレンの瞳を焼いた。
異様に光るエレンの視界の中で、隣に座っていたエレンが立ち上がるのが見えた。もう行くのかいと声をかけようとした時、彼の声がエレンに囁きかけた。とても小さい声だったろうに、エレンの鼓膜をしっかりと震わせた。
「エレン」
反射した夕日に焼かれたエレンの視界では彼の表情を正確に見ることが出来なかった。若しかしたら彼は此方を見ていないのかもしれなかった。エレンの世界は、この時だけは光り輝く闇の中にあった。
「好きだよ」
彼の声は掠れていた。
エレンは何故この大事な時に視界が悪くなってしまったのだろうと、夕日と池を恨んだ。
彼は去っていった。
エレンは暫く縁側に座り続けた。日が地平線の向こうにすっかり沈んで、辺りが暗くなり冷たい風が彼を追い立ててもエレンは縁側に座り続けていた。

***

あの日と同じように、縁側に座る二人を夕日が眩しく照らしていた。二人はマドレエヌ片手に並んで座っている。中に混ぜられたオレンジの香りが、ごくりとエレンに唾をのませた。大きな口を開けて頬張りたいけれど、やはり勿体無くて少しづつ口に含んだ。前に二人で食べた何も混ざらぬマドレエヌも美味しかったが、オレンジの皮が混ざると更に美味かった。エレンの頬は自然に緩む。

「そういえば、こないだの話だけれどね」
とエレンが唐突に切りだすと、隣に座る彼は一瞬なんの話だかわからないという顔をした。そしてややあって、「ああ、うん」と云った。
「考えてみたんだ。そうしたら、オレも同じ気持ちだろうと気づいたよ」
彼はエレンの言葉を聞いて、鈍く瞳を光らせた。それから、さもなんでもないことのようにエレンに告げた。
「それはきっと間違いじゃあないかい」
彼は続けて云った。
「オレの話を聞いたからそう思えてしまったんだろう。きっと違う」
「そうかね」
とエレンは返した。彼がそう云うのだから、そうなのかもしれなかった。
「しかしね、オレはちゃんと考えたんだよ。それとも、オレはお前とただの兄弟だと思っているのかね」
隣のエレンは顔をしかめてこう云った。
「それはお前のことだからわからないよ」
「でもお前はさっき、オレはお前のことを好きではない、好きという感情は勘違いだとオレに云ったじゃあないか」
彼は渋い顔をした。エレンに言い返されて少々腹が立ったのだと見えた。
それでエレンは、納得してみることにした。なんだって彼の言うことはほんとうであることが多いのだし、彼が渋い顔をするのは見たくなかった。
「やっぱり、そうなのかもしれないね」
「何が」
「お前の云ったことさ。お前が云うのだから間違いはない筈だと思ったよ」
口に出して云ってみると、いかにもそうであるように思えた。エレンは満足して、まだ片手に持ったままだったマドレエヌを大きく頬張った。相変わらず美味かった。
彼は隣で黙ったまま何も云わなかった。少し、夕陽に照らされた頬が光っていた。瞳も、ダイアモンドというらしい、母の指輪に埋め込まれた鉱石のように輝いていた。
ふと庭の方に視線を移すと、庭の池の水面が風に吹かれてゆらゆらと揺れていた。ふわりと湿った土の匂いがした。


140201 こまち
やこさんへ