ゴミ箱 | ナノ


ひとりぽっち


そっと、その石に触れる。ひんやりとしたそれは、そこに刻まれた名前の人たちがもう帰っては来ないということを伝えているようで嫌になる。
「アルミン…ミカサ…ジャン…コニー…サシャ…」
エレンは今はもう亡き友人の名を呟いて、唇をかみしめた。
何年前だろうか。最終作戦、と名乗るそれによって、人類は持てる全ての力を、技術を集結させて巨人相手に戦った。結果として、人類は勝った。そう、勝利したのだ、巨人に。勝ったには勝ったのだけれど。損失は、免れない。
「お前らがいなくて、さ」
ぽつりと話しかける。オレは、少なくともオレは。幸せだけど、ほんとに幸せだとは言い切れないな。欲張りかもしれないけど。
もう、お前らとは、喋れないんだよな。笑いあえもしない、一緒にメシを食べることもできない。死者が出るほどの辛い訓練を乗り越えて、たくさんの死線をくぐりぬけてきたけれど、最期は、……。
確かに、巨人に勝ったとき、民衆は喜んだ。エレンも喜んだ。喜んだ、けれど、
「寂しい、なあ…」
ハハッと、エレンは自嘲気味に笑う。巨人がいなくなって、夢は叶ったはずなのに。平和になって、よかったはずなのに。満たされては、いない。大切な人を、守れなかったから。今、隣にいないから。
そう、ーーー大切な、人。
エレンは少し移動して、最愛の人の名の刻まれた場所へ行く。その名を、眺めて、見つめて、見つめて、指で触れて、なぞって。
「…っ、……、っ」
声のない嗚咽がエレンの喉の奥から溢れる。口を歪めて、眉を歪めて、手は爪が食い込むくらいに握って、太陽のような眩しい目には涙をためて。それでも堪えきれなかった涙が、ぼろりと涙がこぼれ落ちる。ぼろ、ぼろ、ひとつ、ふたつ。それと一緒に、今まで抑えていた感情が、激情が、口からほとばしる。
「兵長、へいちょおっ…っ!オレはっ!あなたがいなくて寂しいんですっ…!あなたが隣にいないと、風がひゅうひゅうしてっ、冷たくて、オレは、オレはっ…!」
涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃに歪めて、刻まれたLeviの文字を辿る。辿って、唇を押し付けた。石碑が、涙で光る。

「オレは、あなたをまだ、愛してるんです」
どれほどの月日が経っても、リヴァイはエレンの心の中にいて、思い出すたび、心臓がぎゅうううう、と誰かに握りしめられるみたいになる。その誰かが、リヴァイであったらいいのに、とか、その痛みを感じることで、リヴァイが確かにいたと、まだエレンは忘れていない、愛していると確信する。
初めて会ったときの視線、蹴られたときの痛み、徐々に募った恋、伝えて、リヴァイも同じだと知ったときの喜び、初めて肌を重ねたときの感動、全部全部、エレンは覚えている。リヴァイの肌の滑らかさも、手つきの優しさも、ふとしたときに見せる微笑みも、怒ったときの刺々しさも。思い出して、でも何故か思い出すと、それらを忘れていくような錯覚に陥る。忘れたくなんてないのに。全部閉じ込めておきたい。空をのぞむ、鳥を籠に閉じ込めるように。

どれくらい、そこに佇んでいただろう。少し肌寒くなってきて、空も赤が混じってきている。そろそろ、帰らなければ。
「…兵長、みんな。また、来ます」
名残惜しげに石碑を撫ぜて、離れる。何歩か進んでしまえば、どこに誰の名があるかなんてわからなくなってしまう、小さな文字。人類最強とまで言われた男が、そんな小さな文字になって刻まれるなんて。思ってもみなかったし、思いたくなかった。できることなら何年も前の、最終作戦、とやらの時に戻ってやり直したい。こんなことはいいから、せめて誰か愛する人と一緒にいさせてくれと懇願したい。みんなみんなひとりぽっちになってしまうから、と。心臓は確かに捧げた、けれど。平和を手に入れた今は、ただ愛するひとと一緒に居たいと、強く願う。

カラスが一羽、カァ、と鳴いた。彼もまたひとりぽっちだった。


130623 りーく