テキスト | ナノ


ぼくをまきこむ紫煙なんかてではらえるよ


小学生の頃に図工の授業で作った豚の貯金箱を壊した。中にはほんのお情けみたいな少しだけの小銭が入っていただけだった。オレは自分の背中でそれを隠すようにして財布の中におさめた。
携帯は置いて行く。通帳と印鑑と財布だけをポケットに入れて、オレは立ち上がった。彼はもう準備ができていたようで、ぼんやりと暗い部屋の中で立ち上がったオレににっこりと笑いかけた。金色の瞳が鈍く光った。オレは無理に口角をあげた。ちっとも笑う気分じゃない。
彼はオレの手を掴んで部屋から出た。足音を立てずに、階段を降りて玄関を開けた。うっすらと白んだ空は雲に覆われていたが、雨はまだ振っていなかった。ぼんやりと空を見上げるオレの後ろで彼が玄関の鍵を閉める音が聞こえた。続いて、植木鉢の下に鍵を隠す音も。
彼はまた、オレの手をひいて駅に向かった。駅前のコンビニでペットボトルに入った水とタバコとライターを買った。彼がいかにも楽しそうに買い物をするものだから、どうしたらいいのかわからなくなって、結局曖昧に笑った。彼がお金を払うあいだ、雑誌をパラパラめくった。どうやら女性向けだったらしいそれの星座占いでは、今月のおひつじ座の運勢は最悪だった。ビニール袋を片手にさげた彼が後ろから覗き込んで、そんなものあてにならないよと言った。耳元で彼が喋るものだからくすぐったかった。
人ひとりいない駅の中で、電車を待つ間、コンビニで買ったタバコに火をつけた。2人で交互に吸って、紫煙がオレたちの周りをうずをまいてのぼっていった。それがどうしようもなく気持ち悪かった。彼の金色はじっとオレを映していた。いつまで耐えられるだろうかと自問して、答えは過去の自分を問いただすことでしか得られそうになかったからやめた。

オレとエレンは双子だ。一卵性双生児で、2人とも同じ名前。オレの方が4分17秒早く産まれたから、戸籍ではオレが兄だ。どっちが兄でどっちが弟かなんてどうだっていいけど。
エレンは小さい頃からオレにべたべたくっついてきていつも一緒だった。同じベッドで寝て一緒に学校に行って休み時間も一緒に過ごして、家に帰っても一緒に遊んでお風呂に入るのも一緒だった。両親はそんなエレンを見て、お兄ちゃんのことが大好きなのねなんて笑っていたけれど、笑い事なんかじゃなかった。
中1の時に、好きだと言われた。オレはとりあわなかった。中2の時には夜這いをかけられた。オレは怒って追い返した。
だけどあんまりにも押しが強くって、中3の夏に、クーラーを25℃に設定した寝室でセックスをした。それからはなし崩しに物事がごろごろと転がっていった。週2回のペースでオレたちはセックスをした。その度にエレンはオレに好きだと言った。オレは何も言わなかった。弟が少しだけ恐ろしく感じた。
高3の春、エレンは2人でどこか遠くへ行こうと言った。もっとずっと遠くへ、遠くへ。オレは鼻であしらおうとしてやめた。エレンの金色は獣のようにギラギラと光っていて、まるで肉食獣が逃げ足の遅い草食動物を狙っているようだった。彼は2人で家を出るのは雨の降る季節がいいと言った。傘に隠れられるから、と。
6月の18日に、オレたちは家を出ることになった。オレはなんにも言わなかった。なにも。

電車の中で眠っていたオレはエレンに揺さぶられて起きた。殆ど誰もいない車内はクーラーが効いていて寒かった。窓の外には、視界で捉えられる限りの地平線の向こうまで続く、濁った色の海が広がっていた。
電車が止まって、エレンはオレの手を引いて駅に降り立った。仄かに潮の生臭いかおりがした。エレンは楽しそうだった。
雲の向こう側できっと朝日はもう朝日ではなくなっていた。どんよりと重く垂れ込める厚ぼったい雲はオレの気持ちを割増で重くさせた。隣でエレンがまたタバコを吸っていた。紫煙を見て少しだけ羨ましく思った。

寄せては引き、寄せては引きを繰り返す波を眺めながら、湿った砂をつま先でいじくった。海の匂いが強い。当たり前だ、海が目の前にあるのだから。風で髪が煽られた。向こうでは波が高く立ち上がって、すぐに海面に打ち付けていた。
エレンは砂浜を駆け回って、オレを振り返って言った。
「オレ、お前と一緒ならなんだってできる気がする!」
オレは曖昧に笑った。エレンと一緒にいると、曖昧に笑うことが多い。
ため息をつくと、どっと疲れが押し寄せて膝を折った。起きてからほんの数時間しか経っていないのに、まるで何十年も何百年もの時を過ごしてきたように疲れていた。
エレンはうれしそうだった。
エレンはたのしそうだった。
オレは目を閉じて、海の中を思った。どんよりと暗い空を映して、荒っぽくうねる海の中を。
「エレン」
静かに声をあげた。今日初めて、声を出した。
「帰ろう」
エレンが動きを止めた。
「家に帰ろう」
エレンに意見したのは初めてだった。彼は腕をだらんとさげて、呆けた顔をしてオレのことを見つめていた。
立ち上がって砂を払い、エレンの手を取った。彼はまだ、どこかぼんやりとした金色で見つめていた。
「帰るんだ」
彼は何も言わなかった。彼の手は冷たく、氷のようだった。エレンらしいと思った。
海は波を繰り返し寄越していた。




090714 こまち