虹を渡って君に会いに行こうね ※女体化注意 エレンには三つ年下の弟がいる。今も昔も彼女にひっついて回り、変わったのは体の大きさと呼び方だけ。少し前まではエレンの方が大きかったのに、去年の夏からぐんぐん伸びて今ではエレンとそう変わらない。可愛くないの、とエレンは最近、心の中でよくぼやく。呼び方だって昔は「お姉ちゃん」だったのに、「姉さん」なんて少し大人びた呼び方をしちゃって。あーあ、可愛くないの。 加えて、歳を重ねるにつれてお互いに顔がよく似てきた。エレンはナルシストでも何でもないので、自分の顔が好きではない。なのに、自分と同じような顔がもう一人いるのだ。耐えられない。しかも、名前まで同じだなんて。親もどうにかしてる。 そんな訳で、弟のことは嫌いではなかったが特別好きという訳でもなかった。普通の家庭の、普通の姉弟…より、少し距離があるくらい。エレンはこの関係が調度よかったし、距離をつめようなんて考えたことはなかった。 18回目の誕生日までは。 エレンの人生の中で18回目の誕生日、それは弟のエレンの15回目の誕生日でもある。二人して同じ誕生日なので、ケーキ一個分を損した気分だ。違う日だったらもう一回ケーキと、ご馳走が食べられたのに。 二人とも大学受験、高校受験を終えて春が来て、3月の月末。姉のエレンは家から少し遠いものの第一志望に置いていた大学に合格したし、弟のエレンも姉が今年卒業した高校に合格した。その合格祝いも兼ねてなのか、今年の誕生日の料理はいつもよりも豪華だった。そのことを母親に言うと「頑張ったもの、二人とも」と嬉しそうに目を細めて笑って、エレンの頭を撫ぜた。長らくそんなことをしてもらうことなんてなかったから、エレンはくすぐったくてクスクス笑った。 さて、ご馳走もケーキもお腹いっぱいに食べて、心地よい眠気の中ゆっくりと湯船に浸かり、エレンは鼻歌でも歌いたい気分で自室で寝る準備をしていた。まだ肌寒い部屋の中で、ベッドの上にごろごろ転がってみたり、携帯を確認して返事をしたり。とにかく今日は楽しかったなあと思い返して、そろそろ寝ようと電気を消した、11時半。 暗い部屋の、ふかふかの暖かいベッドの中で微睡んでいるとドアがノックされた。調度寝ようとしているのに、間の悪い、とちょっと不機嫌になってドアを乱暴に開ける。口をへの字に曲げた彼女の目の前に立っていたのは弟で、風呂から上がったばかりなのか髪がしっとりと濡れている。 「どうしたの」 とりあえず部屋の中に入ってと彼を誘い、エレンはベッドに腰かけた。彼の表情からすると、あと30分は眠れなさそうだ。何を思いつめているのか、でもちょっと早くしてほしい。 「姉さんに、言いたいことがあって…」 弟の言葉にエレンは片眉を釣り上げた。思い当たることが多すぎる。エレンは女にしては(多分)ざっくばらんな方だからだ。現に、部屋もごちゃごちゃとしていてお世辞にも綺麗とは言えない。 「あのさ、オレ」 ドアの前で立ちっぱなしだった彼が、エレンの方に近づいてくる。エレンは弟を見上げて、こいつこんなにでかかったっけとぼんやり思った。 言葉を切ったエレンは、およそ30秒程唇を閉じたり開いたりして迷ってから、真っ直ぐにエレンと目を合わせて言った。 「オレ、姉さんのことが好きなんだ」 「…は?」 エレンの口から間の抜けた声が漏れた。弟はそんなエレンを、困ったような顔で見つめている。 「いや、あの…今言わなきゃいけないことだったの?そりゃあまあオレも家族だし」 「違うよ、姉さん」 弟の瞳に、エレンは怯みそうになる。初めて見る色、彼の瞳は金色の筈なのに、まるで、まるで― 「オレ、姉さんのことが好きなんだよ?こんな風に…」 エレンは自分の姉の頬を掌でゆっくりと撫ぜる。心から愛おしむように。そんな彼の瞳は、狂気を写すかのように月の色をしていた。 「ルーン…」 思わず呟いたエレンの唇を弟の細い指がなぞった。エレンはその手を掴んで自分に触れるのをやめさせる。だいたい、元から男というものは好かないのに。こんな風に、しかも実の弟に触れられるなんてエレンには不愉快でしかなかった。 しかも、好きだって?弟が姉を?彼女は鼻で笑ってやりたくなった。彼は自分と血の繋がった弟であることには変わりないし、相談事には出来る限りのりたいし力にもなりたい。だけど、こんなのは無理だ、駄目だ、駄目だ。 「そういうの、やめろ。気持ち悪いんだよ」 こう言ってしまえば彼は傷つくかもしれないが、しかし嫌なものは嫌なのだ。ほんの少しの侮蔑を込めて弟を見上げると、彼は今まで見たこともない目をしてエレンを見つめていた。怒り、悲しみ、愛おしさ、全てをごちゃ混ぜにして、瞳を光らせている。 ああ、駄目だ、この目は危ない。本能が叫んで、エレンは逃げようと足に力を込めた。 しかし遅かった。 勢いよくベッドに押し倒され、息をする間も無く唇を押し付けられる。唇を舌でこじ開けられ、熱っぽい舌が口内を這いずり回る。必死に弟の体を押し返そうとするが叶わず、エレンは吐き気を抑えてされるがままになされていた。 暫く経ってやっと解放された時、エレンの視界は涙で歪み、今にも吐きそうだった。目の前の男は狂気を瞳にたたえたままエレンを見つめている。 エレンは弟の体をを押し退けて、部屋から飛び出た。そのままトイレに駆け込む。弟はやりすぎたと思ったのかなんなのか、追いかけてくることはなかった。 「お゛ぇ゛ぇ゛っ」 トイレの個室の中に濁った音と鼻を突く臭いが充満する。エレンの腹から逆流してきたものはびちゃびちゃと汚物になって便器の中に落ちていく。勿体無い。母親が作ってくれたものが、全部、胃液と一緒に出て行く。 思い出そうとしなくても蘇ってくる、唇の感触と口の中を蹂躙される気持ち悪さ。思い出しては吐き、吐いては思い出す。何度も繰り返して、胃の中が空っぽになっても胃液を吐き続けた。 そうしてひとしきり吐いて、洗面所に移動して口をゆすいだ。冷たい水が口の中を清めてくれる気がして、でもそれでも口の中の気持ち悪さは残ったまま。エレンは震える手で歯ブラシを手に取り、歯磨き粉をいつもの2倍付けて口の中を磨く。歯のひとつひとつ、舌の表裏、歯茎、弟の舌が触れた場所全て、口の中全てを歯ブラシで洗う。洗っても洗っても一向に綺麗になる気がしなくて、力を込めてこする。口から吐き出す物に血の色が混じり始め、最後には口の中が血だらけになった。エレンはそれを見て少し落ち着いた。歯ブラシを洗い、もう一度口をゆすぐ。 コップを置いて洗面台の両脇に手をついた。誕生日、折角の誕生日なのに。はあ、とため息をつくと口の中がヒリヒリした。 ふと顔を上げて鏡を見た。弟と瓜二つの自分の顔。 「っやだ、なんでこんなッ」 自分の顔を両手で覆って、逃げるように洗面所から出る。また口の中に弟の舌の感触が蘇り、どうにもできずにリビングに駆け込んだ。ソファに横になって、冷えた体を縮こめる。はらはらと涙が頬を伝いソファに落ちた。ほんの数十分前まで、楽しくて幸せだったのに。数時間前はこのソファに座って満たされていたのに。 何故弟があんなことをしたのか、全く理解できなかった。理解のしようがなかった。低く嗚咽が漏れる。 エレンには弟が分からなかった。幼い頃の記憶さえ、不確かで曖昧で、疑うには充分だった。 涙は次から次へと、目を閉じても溢れた。 それからエレンは、弟のエレンを避け続け、親に頼み込んで大学の近くに一人暮らしをすることになった。どうしても弟と関わりたくなかった。離れていたかった。家にいる間は朝起きる時間だってずらしたし、極力顔をあわせないようにしていた。それでも、鏡を見るたびに思い出す。だからエレンは、毎日血が出るまで歯を磨き続けた。自分でも異常だと思ったが自制が効かないのだ。自分の吐き出した唾液に血の色が混じっていると安心した。 エレンが家を出る日、家族は送ると言ったが彼女は拒んだ。弟にできるだけ知って欲しくなかった。両親は弟に聞かれたら答えるだろうが、こちらから教えることはしたくない。 「…それじゃあ」 荷物はもう向こうに送ってあるから、エレンの持つ荷物は少ない。玄関を開けて片手をあげる。両親は寂しそうに笑って手を振りかえした。そして弟はこう言って笑った。 「またね、姉さん」 彼女は恐怖した。彼の笑みに、言葉に。彼の目はあの日と同じ、狂気を感じさせる銀色だった。少しも笑っていない目でエレンを射抜こうとする。 「さようなら」 強引に視線をずらして、彼女は玄関を閉めた。そしてすぐに歩き出し、駆け足になる。一刻も早く、家から離れたい。早く、早く、あの弟から――― *** 一年が経った。弟のエレンは彼女の部屋に訪ねてくることは無かった。 エレンは充実した大学生活を送っていた。今日だって、明日は実家に帰ってお祝いをしてもらうという彼女に、誕生日の前夜祭だと言って友達が飲みに誘ってくれた。友達にも恵まれて、心から楽しいと思える日々だった。明日のことが少し心配だけれど、きっと大丈夫だろう。そう楽観視出来るほど、エレンは立ち直っていた。 暗い部屋で一人、布団の中で微睡む。月明かりが部屋を照らして、エレンの髪をキラキラと輝かせた。彼女は目を瞑った。 その時、部屋のチャイムが鳴った。 「誰だよ、こんな時間に…」 少しイライラとしながら玄関へ向かう。そして、あれ、と思う。そういえば、去年の誕生日もこうして微睡んでいるときに弟が部屋に来たのだっけ…。 ガチャン、と鍵を開けた瞬間に玄関が勢いよく開いた。 「姉さん、久しぶり」 そいつは狂気を孕んだ月の色を光らせて、エレンの目の前に現れた。 300314 こまち 企画、はちみつ色 様に提出 |