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 顔を洗っていると、水の音の向こうで七海が起きた音が聞こえた。冬の彼はたいへん寝起きが悪い。寒いからだ。わたしんちは特別寒いから、余計に。
 夏は暑い、冬は寒い、若干狭いのクソが三つそろったアパート。ここにはほぼ寝に帰ってくるだけだから、引っ越す手間の方が面倒で、だらだらと住んでしまっている。高専を出てからずっとここを拠点としているから、必然的に物が増えてしまう。引っ越しするにしろしないにしろ、そろそろ大掃除はしないとなあ、と毎年考えて数年経つうちに、七海という恋人ができていた。
 化粧水を塗って部屋に戻ると、七海がなじみのカーボンヒーターの前で毛布をかぶりながら丸くなっていて、ブッと吹き出してしまう。

「おはよ」
「おはようございます」
「ふふっ、声がらがら! 誰のせい?」
「貴方のせいです」
「かわいそうだし、寒そうだから、ヒーターの前は譲ってあげる。食パン焼きますか?」
「コーヒーも……」
「はいはい」

 インスタントを好きじゃないのは知ってるけどうちにはこれ以外ないし買うつもりはない。七海も文句は言わない。パンをトースターに突っ込み、マグカップに適当な量の粉とお湯を入れてベッドのそばに戻る。

「できたよ」
「……はい。ありがとう」
「なんでうちに来るといつも寝汚いの?」
「寒いからです。夏はすぐに起きてます」
「あれ、そうだっけ?」
「そうです。夏は暑くて早くに目が覚めて、冬は寒すぎて布団から出られない。最悪の家です」

 人んちに向かってなんてことを! と思う反面、その通りだなあとも思う。暑いのと寒いのはいいとして、まあ七海はそこを嫌っているが、それよりも住んでいるわたしとしては物が増えすぎてしまったと感じる。面倒な気持ちはあるが、断捨離や掃除も兼ねて、真面目に引っ越しを検討しようかな。自分とは何年も付き合ってきているから、よっぽどな理由がないと動かないことを知っている。引っ越しはこれ以上ないほどによっぽどな理由だ。決めてしまえばやるしかなくなってしまうだろう。
 七海は変わらず小さくなったままコーヒーをすすっている。

「じゃあ引っ越そうかなあ。大掃除したかったし、物も捨てたいし、ボロいし、七海がかわいそうだし」

 わたしもわたしでコーヒーをすする。苦いなあと思いながら七海を見たら、めずらしく変な顔をしながらこっちを向いていた。

「なに?」
「引っ越しするんですか」
「そう言ったよ。さっき決めたから具体的なことは今はなにもないけど」
「いつ?」
「だから具体的なことは決めてないって! 急にどうした?」

 ヒーターから離れこちらに身を乗り出してきていて、びっくりした。そこでチンとトースターが鳴ったので、パンを取り出して七海の前に皿ごと置く。

「また狭くて暑くて寒い部屋を選ぶんですか」
「寒い暑いは住まないと分からないけど、広い部屋にするよ。大きいソファと大きいベッド欲しい。そうだ、七海んちのソファって、どこのやつ? あれ好き。同じの欲しい。白とかあるかなあ」
「……うちに住めばいい」
「ハイ?」
「一緒に住みましょうと言っています」
 
 賞味期限ギリギリのよくわからないジャムを塗りながら七海は言った。グルメなくせにわたしが出す食べ物に文句をつけたことがない。それはまあそうなんだけど、そういうところが好きだなあと思う。
 ええと、何の話だったか。

「聞いていますか?」

 耳が少し焦げていて、そこをかじった。わたしはそれからようやく頷いた。

「うん。引っ越しの……部屋の話」
「どうでしょう。うちのソファが好きならうちのを使えば良い。わざわざ買わなくて良い」

 七海は、食べながら飲み込みながら喋りながらと、口を動かすのを忘れなかった。

「七海んちは……二人で住むには狭いんじゃない?」
「では私も引っ越します。二人で住める広さの新しい家を探しましょう。まだ何か?」
「聞きたいことがあるわけじゃないけど」
「希望は全部聞きますよ。私が探しますので」
「七海」
「それぞれの部屋は必要でしょうね。あと……」
「七海?」

 起きてちょっとしか経ってないのによくしゃべる。寝ぼけてんのかと思ったがそれにしてはハキハキとしゃべっている。止まらないので黙って聞くことにしたら、やっぱり止まってはくれなかった。家賃とか駅から近いとか、これまでの人生であまり考えてこなかったことをずっと言っていた。
 七海の耳が赤い。こういうところだなあとまた思う。きちんとしていて、わたしより年上みたいで、でも年下、というような態度と行動。たぶんわたしの前でだけ。ちゃんと起きてるのがよく分かる。

「なまえさん聞いていますか」
「聞いてるよ、七海のほうが聞いてないじゃん。もうわたしが頷いたあとみたいな内容の話してるけど」
「…………」

 サーッと顔色がわるくなる。面白い。さっきから、七海の好きなところを確認してばかりだ。

「うそ、意地悪した」
「……」
「そんな顔しないで、ごめんね。一緒に住みましょう」
「……コーヒーのおかわり淹れてください」
「はーい」

 引っ越したらコーヒーメーカーを買ってみようかなと考えたが、手入れが面倒で使わなくなる未来が見える。七海んちにはあるかもしれないが、なぜかキッチンは立たせてもらえなかったから知らない。うちのキッチンは狭いから二人で立ったことはないけど、新しい家だとできるのかもしれない。他人と暮らすってどんなだろう? さっきまでは存在すらなかった選択が、目の前で急に鮮明になってきた。おかわりのマグカップを渡すと、不機嫌そうに「ありがとうございます」と七海は言った。



201227 寝言