※学生時代
「えっ、先生?」
すっとんきょうな声を出したわたしとは違って悟くんはずっと冷静でおとなしかった。机のうえには教職だのなんだのという文字の入った表紙の本がならび、本屋の紙袋も落ちていた。
「学校の先生になるの?」
「そう」
「悟くんが?」
「ほかに誰がなるんだよ」
持っていたサイダーの缶を取られて、勝手に飲まれる。だいぶ傾けられてしまったからもう中身はほとんど残っていないだろう。いや、そうじゃなくて……。
「教職って大学に行かないと取れないんじゃないの?」
「まあそこはズルする予定だけど、勉強はしねえと免許取れないし」
「……なんかみんな急に勉強しはじめてて、不安になってきた」
「なんで?」
「だって……」
だって。窓際の自分の席に座る。
あの秋以降、わたしはわたしがよくわからない。直接関わったわけではないにしろ、クラスメイトがああいうことを起こしてしまった。人が突然目の前からいなくなったことがないわけではないけど、なんというか、やっぱりクラスメイトは特別だ。わたしたちは普通とは違うところに立っているわけだし、数少ない同期がひとりいなくなるのは、大きな出来事といえるだろう。
それから周りは大きく変わった。夜蛾先生は学長になったし、硝子ちゃんはお医者さんの勉強や解剖とかで、わたしの知らないところでいそがしい。悟くんも、特級術師として任務ではいつもいそがしいのは分かっていたけど、まさか新しいことをやっているとは。
「……みんな頑張ってるのにわたしだけ何もしてない」
「ふうん。任務頑張ってねえの?」
「頑張ってるよ……階級上がって前より仕事振られるようになったし」
「じゃあいいだろ、ずっとやってきたことじゃん。やれることもできる仕事量も増えたんだろ」
テキストに落ちていた視線が上がり、青い目がわたしを見た。持っていたペンの動きも止まる。
「なにオマエ、寂しいの?」
ぼやけて長いこと中身が見えなくなってしまっていた胸の中に、悟くんの言葉がストンと落ちてきて、やわらかくはめ込まれたような気がした。
「四年になったら授業ねえから学長とは毎日顔合わせなくなったし、硝子はいつも通り治療と勉強、俺も任務と勉強、お前も任務ばっかりで、一緒にいることは殆どなくなったもんな。あれだけ一緒にいたのに」
そう。そうだった。誰かの部屋に全員が集まって過ごしたりすることもほとんどなくなった。硝子ちゃんは変わらず隣の部屋だから、たまに寝に行ったりはしてるけど……。
「わたし、寂しかったんだ?」
「そーだよ。自分で気づかなかったのか?」
「うん……」
「たまには硝子誘って出かけたりしたらいいのに」
「うーん、忙しいと思って遠慮してたけど、聞いてみるだけ聞いてみようかな……でも硝子ちゃん、学校の外に出るの駄目だしなあ」
「俺ついていくか?」
「えっ?」
まさか悟くんからそんなことを言ってもらえるとは思わなくて、教室に入ってきたときのような声をまた出してしまった。パッと顔を上げた悟くんがおかしそうにわたしを見る。
「オマエじゃ硝子を守れねえからな。日付決めたら言えよ。空けとく」
「……それは硝子ちゃん次第だけど……いいの?」
「うん。でもまあ来るだろ」
あ、荷物持ちはしねえぞ。
その言葉を悟くんはどんな気持ちで言ったのかわたしにはわからない。なつかしい記憶を思い出すけど、むりやり蓋をして奥に寄せた。
分かったら邪魔するな、硝子ちゃんに会ってこいと教室を追い出され、わたしは夕日のさす廊下に一人になる。はめ込まれて元のかたちに近くなった胸は、教室に入ってテキストを読んでいた悟くんを見たときよりよっぽど気持ちがよくなっている。今のこの高揚を落ち着かせたくなくて、走って保健室に行った。ちょうど硝子ちゃんは居てくれていて、はあはあと息切れしているわたしを見てどうしたどうしたとわざわざ立ち上がってもくれた。そのことに、なんだか泣きそうになった。
210213